516 そんなつもりは
のちに、レイニーは語った。
そんなつもりはなかったと。
けれどもそう主張するレイニーの顔面が「やっちまったなあ」とばかりにものすごくあまりにもどんよりしてたので、我々も「まあ……、そう言うこともあるよな。次から気を付ければ……ねっ」などと変な理解を示してしまい、この件はなあなあのうやむやでまるでなかったかのような扱いとなった。
いや、現場には基本我々だけだったし。
夜空に天から光が射して虹がきんきら輝いていたのも、割と一瞬と言って差し支えない短時間だった。
叔父と姪と姪の三人の魔族もおどろいてはいたが、わあきれい。みたいな感じだったので、まあいいかと思った。
ただテオのしっかりしすぎた常識だけが不安ではあったが、テオはテオで「もう嫌だ」とか言ってフェネさんの毛皮にもっふりと顔面を押し付けてなにも見ていなかったのでこれはこれでセーフだった。セーフだと思う。セーフじゃないと困るので、テオにはこれからちょっとだけ優しくするキャンペーンを張りたいと思う。
あと、一瞬で終わってしまった天体ショーにじゅげむが顔をぴかぴかさせて「もーいっかい!」とわくわくねだりレイニーをちょっぴり調子に乗せ掛けていたが、彼はなぜ、この人外の所業がレイニーがやらかしたことだと解ったのだろう。
暗いはずの空がご利益ありげにきんきら輝き始めた瞬間にメガネと私が一斉にレイニーをわちゃわちゃいじりすぎたのは別として、本当に不思議だ。
そんな感じでもはやもうなにも訳が解らなくなってしまったが、とにかく魔族たちの大事な人をやっとちゃんと埋葬できたことはよかった。
葬儀で祝福とはどう言うことかと私には理解できない部分もあるのだが、この場合の祝福は祝いではなく幸いあれと祈る意味なので大丈夫だそうだ。
この日は暗い夜空に虹を掛けたのがどうやらレイニーの祈りと察し、神の矜持をビシビシと刺激されたらしいフェネさんが「我も奇跡できるもん!」と張り合いメガネが作ったヒツジの巨像周辺に大体は雨季にしか見られないはずの砂漠の花をぽんぽん咲かせてヒャッハーとしたり、でもこの辺だけは魔族が豪快に水やりしてて割といつでも花は咲いてるんだよな。と、さすがに気を使って言えなかった我々の微妙な態度にもっとおどろいていいのよなどと称賛をぐいぐい求める小さなキツネを「あっ! そろそろお風呂入っておねむの時間だ!」とはぐらかし、魔族らに今日はお疲れ! と勢いしかないそこそこの挨拶を言い置きクレブリに戻った。
大丈夫じゃないのは、これから少しのちのことである。
レイニーによるこのうっかりとした祝福――と言う名の天変地異が、なかったことになったのは我々の中でだけだった。
ピラミッドから割と離れた砂漠の民の集落や賭博都市でもしっかりと夜空の光や虹が観測されていて、まあまあの騒ぎだったとのことだ。
それを我々が聞いたのは、三年目になるテオの塩を届けるために夏の終わりに滑り込んで訪れた砂漠都市。シュピレンでの話だ。
思いのほか広範囲で目撃されていたうちの天使の祝福について。
クレブリでせっせと作って持ってきた七槽の塩を運びつつ、砂漠の都市の四分の一を支配するブーゼ一家の若いのがもうちょっと早ければおもしろいものが見れたのに。と、世間話のように触れたのだ。
「ありゃあなんかの前触れに違えねえよ。年寄りなんかは世界の終わりだっつてよー、えれえ騒ぎだよ。オレもそりゃー大変だっつって、あり金パーッと使っちまったんだけどよ。……終わらねえんだわ、世界……」
おっかしいよなあ……なんで借金だけが残るんだろう……。
ブーゼ一家の若いのが岩塩の重たい箱をよろよろ持ち上げどんより暗くそう言うと、完全に「わかる」みたいな顔の仲間のチンピラが集まってしょんぼりしている若い奴の肩をなぐさめるようにばしばしと叩いた。同類か。かわいそう。
世界の終わりと思い込みあり金をぱーっと使ってしまっただけでなく借金までかかえてしまったことが本当になにもかも我々の責なのかちょっと疑問ではあるのだが、その原因となった天体ショーは間違いなくレイニーのあれである。
改めて、やっちまったなあみたいな顔のレイニーと一緒に関係者である我々も全然なにもない高い所を見上げたりしてすっとぼけるのが大変だった。
こうして無事に、いや、無事の概念がちょっとよく解らないけども。
とにかくテオの身柄と引き換えにブーゼ一家と約束した塩の、最後の取り引きが終わった。
晴れて自由。テオ、自由。
もうすでに自由ではあったけど、あとは、俺が作ったほうが早いし安いじゃんと人工岩塩を量産したメガネやレイニー。それと塩の製作に必要な濃縮塩水を海水から生産して協力してくれた孤児院の面々にお礼的なことをしなくては、と、テオの心にずっしり伸し掛かっているほかには彼のかかえるものはない。借金の意味で。
これでもう我々も、一年経ったら塩のこと綺麗に頭からすっぽ抜けていて「いやまさかこんな大事なこと忘れる?」みたいな外部からの指摘を受けてあわててシュピレンに飛んでくるなんて思いをしなくても済むのだ。本当によかった。
だが、これは我々だけの話だ。
砂漠の都市では塩が貴重品だから、七槽ぶんの岩塩もすぐに買い手が付くと言う。これまで納めてきた塩も、ブーゼ一家の小遣い稼ぎに活用されていたそうだ。
ここで一度、逆の立場から考えてみよう。
今年でテオ塩の納入が終わると、今までは毎年勝手に運ばれてきた塩、そして収入が来年からはなくなってしまう。
――嫌だ。
そんなことを思ったかも知れない。
ブーゼ一家の頭脳派幹部、一見優しげでありながらなんとなくタチの悪さが隠せていないラスなどは。
根拠はない。
完全にラスに対する先入観となんとなくの勘で言ってるが、しかしそうとしか思えないできごとが我々の身に割と立て続けにあった。
まずは御しやすい子供と思うてか、卑劣にもじゅげむに対してこのかわいい砂漠の魔獣を特別に売ってあげようねえなどととささやいてかわいくない借金を作らせようとしたり、人間の法など知らぬ金ちゃんが物損事故を起こしたと言い掛かりを付けて借金を作らせようとしたり、白い小さなキツネながらに人語を解するフェネさんにきんきらのアクセサリーを見せびらかしてテオにねだらせまた新たな借金を背負わせようとする動きが見られていたのだ。
いや、直接的にラスがそうした動きをした訳ではない。
ただ、大体はブーゼ一家のチンピラや息の掛かった商人などが暗躍していた感がある。
裏でほら。糸を引く的なほら。そう言うポジションがラスには似合うから……。かなりの偏見って気はするが。
あと、よくよく話を聞いてると金ちゃんの件だけは実際なんか壊してたらしく、これは普通に弁償になった。
と、まあ。そう言うことがあったので、私もさすがにピンときたのだ。
「たもっちゃんさあ」
「いや、待って。違うの。聞いて」
第一声からすでにうんざいしてしまっている私の、その口調と表情にやばいものを感じたのだろう。
たもっちゃんはやたらとにっこりとしたラスに引っ立てられた格好で、俺もびっくりしているとばかりに割と必死の勢いで言い訳を始めた。
場所はシュピレンの一角にある獣族の街。イタチの仕立て屋の中である。
私は今度シュピレンにきた時にTシャツにプリントしてもらおうと、超絶達筆なレミに頼んで書いてもらった全然読めないけどなんとなくありがたい格言を持参していたのだ。
その相談に訪れた仕立て屋のほうにはじゅげむと金ちゃんとレイニーも一緒で、じゅげむの服が新しくなっているのを鋭く見抜いた仕立て屋にうちでも一着仕立てちゃどうだとぐいぐいとした営業を受けながら達筆Tシャツの発注を進め、ちょうど生地の納品にきた、もっちりと肉付きを取り戻してきたペンギンにジャージや下着の意味でのぱんつについて新製品はどうなっているかを聞いていた。
服もそうだがぱんつはほら。伸縮性があるとないでは大違いだから。大事なことだから。
とにかく、そうして和気あいあいとペンギンの生地を使った洋服や下着、達筆デザインの可能性について大きな作業台を囲んで話しているところへ、意気揚々と現れたのがラスとラスに引っ立てられたメガネと言う訳だ。
メガネの主張はこうである。
「何かー、俺とテオは別行動で食材とか買い出しに行ってた訳じゃない? そしたらー、お店の人がー、何か噂でー、森から出てきたばっかのエルフが騙されて踊り子としてカジノで働かされてる的な話を教えてくれてー、それはもうさ、助けなきゃと思って。探しに行ったらー、何か借金できてたってゆーか」




