511 すきなどない
※ご遺体についての描写があります。ご注意ください。
ツィリルのお姉さんにすきなどないのだ。
いや、本当にないのかは知らないが、少なくとも亡くなってから数年を経てどうなっているか解らないと不安を持たせたお姉さんそのものは、なんと言うか、びかびかとしていた。
さすが堅牢な部屋いっぱいに魔石を発生させた根源、だからなのだろうか。
お姉さんはその体全体が、びっちりと魔力の結晶におおわれていた。
こうなるともうあれ。なに一つとしてよく解らない。
明らかに人間サイズの物体ではあるのだが、ちくちくと好き勝手に成長した小ぶりのタケノコサイズの結晶があちらこちらにびかびか光を反射して、屈折率の加減なのかなんなのか。その内側に閉じ込められたなにかについてはうっすらと、見えるような。見えないような。いやギリギリなんとなく人っぽいような。
――と言った、やたらとふんわりとした感じとなっている。
もはや我々が目の前にしてるのは本当にお姉さんなのか確かじゃないみたいな疑いすらあるが、それはメガネがガン見して取り違えなどはないように細心の注意的なものを払ってことなきを得た。
結晶化した魔力によってあまりにもがっちり保全されていてこれもうそのまま運んでも大丈夫じゃないのかとも思ったが、一応わざわざ買ってきたしと絹の大布でくるんでいると、底と言うか、下になっていた部分まできっちり魔石におおわれていた。お姉さんには一分のすきもないのだ。
ここまでくると不謹慎にもちょっとだけ琥珀に閉じ込められた太古のアリみたいだな……などと心の片隅で思ってしまい、若干の動揺と混乱で逆に訳の解らない平静な心持ちになってしまった。
そのために改めて、寂しいとか悲しいみたいなしんみりとした気持ちになるまでしばらくの時間が必要になる。
具体的に言うと、その人を慎重かつ若干のやけくそ気味に強引に布でくるんで砂漠まで運び、望んだ形ではないにしろ姉、そして母との再会に戸惑い、恐れながらに向き合った三人の魔族たち――が、なんとなくシルエットからちくちくしている布の包みに「なんだこれは」みたいな感じで別の意味で戸惑う一方、急にキリッとしたしたうちのメガネが、立派な石棺とお墓を作る。任せて。とか言い出して、砂漠の砂を魔法でこねて魔族らの住まいとなっている異世界三大ピラミッドの近くに手足を体の下にうまく収めてうずくまる巨大なヒツジをスフィンクス的に製作し始めた姿を「なぜなのか」と言った気持ちでぼーっとなすすべもなく見守ったりしていると、やっとじわじわ感傷が出てきた。
これまではなんだかんだと色々やることがあったので、じっくり考えたりせずにいたのだ。
けれども少し時間に余裕ができてしまうと悲しいような、寂しいような、落ち着かない気持ちにさせる寒々しいなにかがうっすらと胸の中に染み込んでしまった。
お姉さんのことは直接知らないし、当然会ったこともない。
そんな私ですらそうなのだ。
身内であるツィリルらはもっと複雑な思いがあるだろう。
そう思ったらもうダメで、なんだかいても立ってもいられずに私は巨大ヒツジの石像作りを計画しているメガネを置いて、花壇化している一番小さなピラミッドに向かい雨季と日々の水やりでもしゃもしゃしげる砂漠の草を一心にむしった。
どれくらい経った頃だろう。
ふと気が付くと、かなり近い所まで気配もなく忍びより私の手元を覗き込んだ魔族の双子がふるふると、ハイスヴュステの黒布でほっかむりした頭を横に振っていた。
「それは根っこまで採集したほうがいいです」
「そのほうが高く売れるって行商の人が言ってました」
草のむしりかたがダメだったようだ。勉強になる。
ルツィアとルツィエは砂漠の草に不慣れな私を指導するついでに一緒に草をむしってくれたが、そのことに私はなんだかそわそわしてしまう。
「二人とも休んでていいよ。ネコでもなでてゆっくりしてなって」
まあ、その肝心の彼女らのネコは我々がピラミッドに現れると同時にフギャアと跳ねてピンボールみたいな勢いで逃げたのでどこにいるかは解らないけども。
しかし双子の魔族の少女らは、やはりこれにも首を振る。
「落ち着かなくて」
「なにかしているほうが楽なので」
「そっかあ」
立場としては全然関係ないながら、私にもちょっとだけ解るような気がする。
現に今もなんとなく落ち着かないのを草をむしって紛らわせようとしていたし、双子がやってきた少しあとには肩の辺りにフェネックみたいな小さなキツネを張り付かせたテオが「何か手伝わせてくれ」と合流してきた。
テオもまた、なにも思わないと言う訳には行かなかったようだ。
たもっちゃんの気持ちは知らないがピラミッドそばの砂漠を作業場としてやたらと熱心に巨大なヒツジの石像を作ろうと魔力や構想を練り上げていたし、その近くではレイニーが八つ当たりのようにこれでもかと魔法の技術と魔力をそそぎやたらと装飾にこだわったエレガントな石棺の製作に従事している。
最初は、内部に棺を納める予定のヒツジの像と同様に砂漠の砂を素材とし石棺もメガネが作ると変な熱意を見せるなどしたが、試しに作ってみた石棺のつるりとしたシンプルすぎる石の箱でしかない仕上がりにセンスのない奴は引っ込んでろと。レイニーがメガネを押しのけてなぜか自ら石棺の製作を買って出たのだ。
思うに、ツィリルのお姉さんの運命を目の当たりにして、レイニーもまた少し傷付いていたのではないか。
天使は愚かしい人間に対してちょっと冷たいところもあるが、別に人類の不遇を望んでいる訳ではないのだ。多分。
それでなくてもお姉さんの件は、天使、ひいては天界の宿敵たる悪魔が関わった末でのことになる。今は天界から放り出された身ではあるものの、レイニーも天使としての立場から思うところがあるようだった。
だからお姉さんを取り巻いていた魔石の除去も黙々としたし、今は持て余したやるせない気持ちを砂漠の砂を魔法で練り上げ装飾の細やかな石棺を作り上げることにぶつけているのだと思う。
その人のためになにかしたいのに、もうできることはなにもない。
我々の心にはそう言った、どうしようもない思いがわだかまっているような。そんな気がした。
なお、やはり落ち着かなかったのかツィリルは一人で砂漠に出掛け、自分よりもずいぶん大きなサソリを仕留めて戻ってくるなどしていた。
完全に魔族のツノに触発されて大体の感じでモチーフをヒツジに決めた石像については「何かしっくりこないんだよね」とメガネが謎のこだわりを見せてこの日だけでは完成にいたらず、翌日も作業は続行の見込みだ。
まあ建築物に近い大きさの巨大石像が一日でできるほうがどうかしている感じはあるが、そのために我々は以前ツィリルらがあわあわ助けた商人がたまに呼び出しの笛を吹き手みやげや代価と引き換えに草や素材を引き取って行っているみたいな世間話を聞きながら花壇化しているピラミッドの草をこれでもかとむしったし、ツィリルが持ち帰った大きなサソリをボイルして、やっぱりこれエビじゃない? などと言いつつ晩ごはんまでごちそうになってしまった。もてなされてどうする。
しかし、わざわざ素材から自力で狩っておしみなく神に食事を捧げたツィリルの献身は神たるフェネさんに響きまくっていたらしい。
じゅげむと金ちゃんを待たせているので夜はクレブリに戻ろうと、また明日くると予告しながらそろそろドアから帰ろうとしている時だ。
フェネさんが小型犬めいた小さな体でテオの肩から飛び下りて、見送る魔族の前まで進み出た。そして前足をちょっこりそろえてきちんと座り、金色の両目で三人を見上げてふっさり大きな耳をぴこぴこ動かしながら言う。
「ねー。我、神だからお願いきーてあげる。なにがいい? あのにんげん生き返らせる? 我、生き返らせるのあんまり得意じゃないけど、ごはんおいしかったからがんばってあげる!」
「えっ」
と、思わず声が出たのは誰だっただろう。
正確には特定しかねるが、フェネさんが急に落とした爆弾に誰よりも動揺したのはレイニーだった。
順序としては、すでに失われた大事な人を取り戻そうかと急に言われた魔族らが動揺してしかるべきだろう。しかしこの世界を作り上げた神でもおいそれとはなされない奇跡を、この。少々長く生きたことによりほかよりもいくらか大きな力を持って弱き人間から祀り上げられたと言うだけの、小さな村のベンチャー地方神ごときに起こせると言うことが。天使には信じ難いようだった。
結果、レイニーはもっふりとしたキツネの小さな頭をがっしりつかみ、ものすごく顔を近付けて「は?」と心底のガチギレを見せる。




