510 晶洞
※ご遺体についての描写があります。ご注意ください。
夏を迎えた海辺の街のクレブリで、丹精込めた手もみの塩の製作に加わっていたらしいじゅげむから今日すごくがんばったとふんすふんす報告を受け、孤児院の子供たちにもふんすふんすされて、そりゃーすげえなと感心しきりの我々がおみやげにザイデシュラーフェンの栗菓子を巻き上げられたりしてから一夜明け、翌日。
また我々が自分を置いて出掛けると知り、じゅげむは寂しいと言うより「まだゆるしてもらえてないの? ぼくもいっしょにあやまる?」みたいな心配をにじませ、金ちゃんと共に見送ってくれた。優しい……。
昨日は色々覚悟してピラミッドの魔族らに謝罪に行ったその足でお姉さんを探しに出掛け、そのため帰りが遅くなってしまったことで誤解が生まれていたようだ。誤解……? 誤解とは……?
まあそれで、今日は今日でメガネの便利なスキルを使い、ドアからドアへ礼儀もなにも関係なしにガン見のスキルであっさり見付けたお姉さんが現在眠るその場所へ直接移動することになる。
恐らく、牢獄なのだろう。
石材を組み上げた四角い部屋は、六畳ほどで窓はない。それに天井が低いせいなのか、息の詰まるような圧迫感を覚える。
けれども、なにより異様なのはその壁、天井、そして床までもおおい尽くした大量の魔石だ。
まるで空洞になった岩の内側に、びっしりと結晶が形成された晶洞のように。
石づくりの四角い空間を埋め尽くすおびただしい魔力の結晶が、我々の持ち込んだランプの明かりをぴかりぴかりと赤っぽく光りはね返す。
それらは決して人の手でばらまかれたものでなくて、濃密に発散された魔力によってこの場で結晶化したものと言う。
その魔力の根源にあるのがツィリルの姉、ツェツィーリエの体だ。
「何かねぇ、魔族の魔力って凄いらしいじゃない? それでね、普通なら本人が亡くなったあとには魔力も大気に散っちゃうんだけど、ここ、密室だからさ。それにどうも魔法を封じる術式も部屋自体に組み込まれてて、魔力の逃げ場がなくなったみたい。そのせいで空気に溶けてられなくなって、魔力が魔石として結晶化しちゃってるっぽいんだよね」
たもっちゃんはそんな説明をつらつらとしながら、おもむろに取り出した木べらのような物体を私に「はい」と手渡した。
「なにこれ」
あまりにも当然みたいに渡してくるので私もうっかり受け取ってしまうが、なにこれマジで。
しかし、たもっちゃんはやっぱり当然みたいな顔で言う。
「いや、この魔石もお姉さんの魔力な訳だから……ほら。一緒に回収したいじゃん。置いて行くとなんかいずれ普通にエネルギー源として活用されそうじゃん。嫌じゃん」
「それはなんかそうやけれども」
なんでも主犯のど腐れ貴族の中に悪魔が取りついていた頃には結晶化したお姉さんの魔力を端のほうからべりべりはがし、実際にエネルギーとして利用されてしまっていたようだ。
ただし、その行いは長く続きはしなかった。
主を失い一気に放出された膨大な魔力が石の牢獄に充満し、室内の魔力密度が極端に上がっていたためである。それこそ空気に溶けていられずに、あちらこちらで結晶化してしまうほど。
人間は思うよりも脆弱なのだ。
自らの魔力が枯渇しても体調を崩すし、その逆に自分のうつわを上回る大量の魔力にさらされることでもばたばたと倒れる。
この世界ではこれを魔力酔いと呼んだりするそうだが、まさにこの現象によって牢獄で結晶化した魔石を回収していた人間がばたばたとやられ、床や壁から魔石を引きはがす作業さえもままならず今日まで放置されていたらしい。
お陰でと言っていいものか、だから牢獄にびっしりとへばり付く魔石はほとんどが無事に保存されている。これがケガの功名だろうか。違うような気もする。
この、部屋を埋め尽くす魔石がお姉さん由来だとしたら、確かにカケラの一つも置いて行くことはできない。あんまり意味はないかも知れないが、なんかそんな気がする。
我々は――たもっちゃんとテオと私は、なんとなくあんまり釈然とはしてないものの、待たせたな。我々がきたぞ、と言った気概で牢獄いっぱいの魔石の回収にせっせと取り掛かることになる。
なぜか膨大な魔力に酔いもせず元気だが、これは我々が人間ではないと言うことでは決してなく、鉄壁のメガネのお陰か自称神の白キツネの加護か、そして強靭な健康に守られているからだと確信している。根拠とかはないです。
牢獄いっぱいの魔石の回収は難航を極めた。
いや、極めたは言いすぎだとしても、木べら片手にしゃがみ込み床の魔石をべりべりはがして足場を確保せんとした我々は、まず腰と首をやられた。
しみじみとした鈍痛と不調。
症状としては、ただの老化による肉体の衰えに近い。なんと言う悲しみ。
私には天界で付与してもらった強靭な健康はあるのだが、それはそれとして別にムリは利かんのだ。
それでえっちらおっちらと休憩を多めに取りながら魔石の回収作業を進めていたが、ふと気が付くとレイニーまでもが木べらを手にして黙々と建材に付着した魔石の結晶をべりべり引きはがしていた。
一緒にきていたはずなのに気配がないと思ったら、極めてめずらしいことに文句も言わずに手伝っていたのだ。
どうした。レイニー。いつもの感じと違うじゃないか。
逆にどっか具合でも悪いのかと心配になり、レイニーの周りをおろおろうろうろしていたら「気配がやかましい」とものすっごい迷惑そうに言われた。元気そうだった。
――思えば、ツィリルのお姉さんもまた悪魔の間接的な被害者である。
天界で神に仕える存在として、レイニーにはそれががまんならない不遇に思えているのかも知れない。
天使は地上の命あるものに関われないが、悪魔が相手ならば話が違う。
自分がもしもその場にいれば、間に合えば、くそほどボコボコにしてやったのに。
そんな思いをぶつぶつと小さな声でぼろぼろこぼし、レイニーはいら立ちをぶつけるようにして牢獄の魔石と言う魔石を力いっぱいかつていねいな仕事で引きはがしてくれた。頼れる。
地道と同時に膨大な作業で途中からなにがなんだか解らなくなり、これ魔法かなんかでいっぺんに回収できんじゃねえのと思ったりもしたがそもそも牢獄全体に魔法を封じる術式が組み込まれてて魔法が発動しないからこんなことになってるんだと改めて説明されなおしたり、腰が肩が、いやいや首が。て言うかずっと屈んでて地味に膝にもダメージがきている。みたいなことをやいやい言って我々は、日中だけだが大体五日、晶洞めいたその牢獄に連日せっせと通い詰め地道に魔石の回収に努めた。特に天井部分がきつかった。元々の高さが低いからちょっとした台で対応はできたが、ずっと顔と腕を上げての作業、しみじみとつらい。
また、それと同時進行で夜間はクレブリのほうですごし、孤児院に滞在しているエルフらが露天風呂をわかすついでに取ってくれてた海水から真水を分離したあとの濃縮塩水で作れるだけの人工岩塩を作り、迫るシュピレンへの塩納入三年目についても抜かりなく準備を整えておく。
と言うかこれも我々は目の前のことでいっぱいになって普通に忘れそうになっていたのだが、前回の納入をすっかり忘れて延滞料に余分な塩を取られてしまった例の件でなに一つ信用してくれなくなったユーディットらが気を回し、あちらでできる準備を全部して人工岩塩を作るための魔法陣を刻み込んだ板の前に連れて行かれてとりあえず魔力をよこせと迫られたりしただけである。たもっちゃんとかが。助かる……。
こうして、私は魔石の結晶でいっぱいの牢獄以外はなに一つ目にせず、一歩も出ず、ひたすら魔石を引きはがすことに終始して結局現地の誰にも会うことすらなくお姉さんとお姉さん由来の魔石の回収を終えた。
なんかもうずっと魔石だけを見詰めてたので、そう言えばお姉さん探しにきたんだったと改めて思い出したのはほとんどの魔石をはがし終え、牢獄の片隅に置かれた木製の簡素なベッドとその上に横たわるものに意識が行ってからだった。
正直、できれば遺体は見たくなかった。
きっと、恐かったのだ。
お姉さんに会ったことはない。
ツィリルらの話に聞いて、彼らの大切な人だと承知しているだけだ。
それでもなんだか亡くなってしまったその人の、亡骸そのものを見てしまうのはつらすぎるように思われた。
……まあ、そんな感傷も心配も、マジ太陽で悪魔すらしりぞけたお姉さんのガードが今なお堅く、あんまりよせ付けてもらえないのだが。




