474 ぐでぐで
我々がぐでぐでとしたソファから、心の底から仕方なく起き上がって離脱したのは姫一行がそそくさと帰ってしばらくしてからのことだった。
できれば、光属性の筋肉をそなえた武者姫の襲来により削られた陰キャの精神力がもっと回復するまで存分にうだうだしていたかった気持ちはあるのだが、そうして無為にすごす間にも事態は刻一刻と変化しているのだ。
そう、例えば、金ちゃんが普通にお昼休憩に入ったことで一時的にうやむやになっていた、トロールの餌付けによってニワトリの雌鶏たちがチョロインと化し、群れの中でのボスの座をおびやかされた頭取が突如として彼らの中に割り込んできた金ちゃんとコーッコッコとにらみ合いを再開。またバチクソのケンカを始めそうになっていたりとか。
またはトロールとニワトリの両雄を取り巻くハーレムを構成する有能なる雌鶏たちがリビングの大きなテラス窓、その外側を保護する魔法障壁の向こうで可憐な小さな花を付けている芝生の上に丸っこい体でおもちのようにぽってりと座り、それぞれが農園とは池で隔てられている森へとささっと入り手早く仕留めてきたらしきそこそこ大きい虫やヘビやげっ歯類などのぐったりとした死骸をそこらに並べ、どことはなしにしずしずと「さあどうぞ」みたいな感じでコッココッコとしっとりした視線を金ちゃんのほうへ向けていたり、などである。
これはいけない。
ような気がする。
金ちゃんがニワトリたちに与えたパンへのお礼なのだろう。
雌鶏たちのその様は、新たなるボスへの言祝ぎと捧げもの感がすごかった。
我々がお昼休憩のついでに心にかかえた不安と罪悪感で武士のように泣き出した姫をもういいと言うのに執拗にお腹いっぱいにさせ、そのあとでなんとなくやる気が出なくてうだうだと時間をムダにしていた間に新しい異種族ハーレムがうっかり形成されようとしていた。
もしかするとすでに形成されていて、手遅れのような雰囲気すらある。
我々は悟った。
なんかやってんなと思ってやっとのそのそ起き出してきてはみたものの、もう多分、ちょっと手遅れだったのだ。
きっともっと早い段階で、やる気いっぱいのトロールとニワトリをどうにかして引き離しておくべきだったのだと思う。いや、実際できたかどうかは別にして。
あああああ……金ちゃんがハーレム主人公になってしまう……。
そんなじわじわとした危機感に遅まきながら突き動かされ、たもっちゃんと私はどこに隠し持っていたのかダシを取ったあとみたいな異様に綺麗なでっかい骨を棍棒のように振り回し試合前のアップに取り組む金ちゃんをちょっと待ってと必死に止めた。
金ちゃんも大いに不満そうではあったが、手近な家具の後ろに隠れるようにして小さな体でしっかり安全を図りつつ戦いに備える金ちゃんをちょっとだけわくわくと見守っていたじゅげむが、我々のわあわあとした介入で金ちゃんの試合がなくなってなんとなく残念そうだった。
レイニーはずっとなににも参加せず、一人優雅にソファに座り農家の青年にお茶のお代わりをつがせるなどしていた。
じゅげむは意外と、大活躍する金ちゃんが嫌いではないのだな。
敵性生物や強い魔獣やいいお肉になりそうな生き物に対して容赦なく喜々として襲い掛かる金ちゃんを、じゅげむがいつか「ヤダ野蛮」みたいな感じで恐がり始める時がくるのではないか。そしてホルモンバランスの崩れた思春期がやたらと親に反抗するように、かわいくないことを言い出すのではないか。
そんなうっすらとした心配が我々の中には常に消えずにあるのだが、それが思春期だとしたらウザがられるのは金ちゃんに限らず我々も一緒のような気がする。悲しい。
ただ一旦ホルモンバランスは置いといて、じゅげむがいつか金ちゃんを恐がり始めるかと言うとなんかそうでもないのかも知れん。
これはむきむきとした金ちゃんのたくましさや小さき者には鷹揚な普段の様子への信頼からくるものかも知れないし、あの子の示す騎士への憧れや敬愛を見るに強い男と言うものになにかこだわりでもあるのかも知れない。
我々は、まるで憧れのプロレスラーでも見るかのようにぴかぴか顔を輝かせ、金ちゃんの活躍を期待するじゅげむの意外な一面にちょっとした動揺を覚えつつ、そんなふわっとした憶測を持った。
「俺も寿限無に愛されたいからさ、筋トレとかしたほうがいいって思う?」
オタクを擬人化したかのようなメガネが心配そうにこんなことを言い出し、私から「知らねーよ!」と強めの言葉を引き出す。ほかに言葉が思い浮かばなかった。
季節は雨季直前の、六ノ月初頭のことである。
いや、今が六ノ月なのはちょっと前から変わらないのだが、相変わらずニワトリたちは別荘の裏庭にたむろして、金ちゃんは残したパンをぽいぽいと投げ与えて餌付けして、その返礼の捧げものの死骸がニワトリたちのすきを見て美しく整えられた裏庭にさあどうぞと並べられる日々。
それに終止符を打てないままにずるずるとすごし、我々は雨季まで置いとくと傷んでしまう農園の野菜の収穫を手伝ったりして数日の時間が経過した。
人手はいくらあっても足りないって言うし、お駄賃に野菜や草をもらえるので、つい。
たもっちゃんは金ちゃんもちゃんとごはんは食べなさいよと焼いたり焼かなかったりするサンドイッチのパンの端を切り、わざわざパンの耳を作ってニワトリ用に取って置くようになった。もはや餌付けを止めると言う気すらないようだ。
我々も、毎日野菜を両手にかかえて右往左往と忙殺されて、なんでここにきたんだっけと当初の目的を見失ったような気持ちではいた。お駄賃の草とかは単純にうれしい。
しかし思えばそもそもが王様からのご褒美の件で公爵に連れてこられただけなので、自発的な目的とかは最初からなかったような気もする。
あと、王様本人がいた時に先々代王妃のペトロネラ様の隠し部屋の扱いをどうするかちゃんと聞くの忘れたなと思ったが、これは武者姫が最初に訪問してきた翌日、よく考えたら急に押し掛けて問い詰めて勝手に泣いて自分のタイミングで帰ってごめんと手みやげ持参で困り果てた様子の姫が自分で謝りにきたことで律儀な侍かよとじわじわ笑ってしまった我々が、なんとなく姫にも気安くなってしまって王様なんか言ってなかった? みたいな話を姫に振り、その日はそれで終わったのだがまた後日、割とすぐに姫が王様の返事の手紙を持ってきた。
王様からの手紙によると、娘がごめん。隠し部屋は別荘と同様に好きにしていいが、大事にしてくれるならうれしい。とのことである。
武者姫はなにをどの辺まで保護者のかたに報告してあるのかは知らないが、婿入りしても頻繁に家族と連絡を取っているのか姉の行動を知ったらしき王子から、姉がすいません。と言う神妙な様子での通信魔道具への着信もあった。声でも解るほど追い詰められた様子の王子は、今までで一番シリアスだった。
先々代王妃のための別荘の、かつての主たるペトロネラ様の隠し部屋については元々そんなに秘密ではなかったとしても、やはりプライベートルームであるのでできるだけそのままにしておこうと言う話でまとまる。
農家の青年立ち合いの元でちょっとだけ部屋の中を覗かせてもらうと、壁一面の棚には本や植物の瓶詰め標本がずらりと並べられ、整然としながら物であふれた使い込んだ机に、用途さえも解らない様々な道具がいくつも、ほこり一つなく置いてある。
別荘の外から見ると壁の飾りに偽装され、そうとは解らない小さな窓がまるで間接照明みたいに光を取り込んで、少々薄暗くはあるもののかえって居心地はよさそうだった。
空気に溶けるみたいにやわらかな光がていねいに手入れされた室内に満ちて、今もまだ部屋の主はすぐそこにいて、ほんの一時席を外しているだけのようにも思わせる。
この空間で自分の好きな研究を、自分の信じる道として打ち込んでいた人がいたのかと思うと、なんだか胸がときめくみたいにわくわくとした。
だからやっぱりこの部屋はこのままがいいねと話し合い、掃除などを含めた管理はこれまで通りにペトロネラ様へ忠誠を誓う農家さんの一族にお願いさせてもらった。我々が変に関わるよりも、安心感が違うのだ。
そうする間にも野菜の収穫は忙しく進み、少し形が崩れたりして王城へは納められず、かと言って食べ切れないものを知り合いの所へ配り歩いたり、冒険者ギルドへ滑り込み草を売って仕事してるアピールをしたり、今が旬の果物などを保存食に加工するのを手伝ったりしている内に、今年も雨季がやってきた。
六ノ月の中旬。
空はいつもどんより暗く、雨の降らないほうがめずらしい。空気そのものがじめじめと湿気て、ニワトリに与えたはずが鉢植えの陰に落ちて見逃されたパンの切れ端がふさふさとした緑色の物体になって発見されて誰が片付けるかでちょっとしたケンカになった頃、それは、湿気に負けずじめじめとして訪れた。




