472 金布
トロールの腰布を引っ張ってはいけない。
その一心で我々は、純粋で一生懸命なじゅげむをあわわわと止めた。
「邪魔しない様に気ぃ使ってくれてありがとね! でもやめて!」
「じゅげむはえらいね! でもやめよう!」
たもっちゃんがじゅげむをはがいじめにして持ち上げて、私がその小さな手から金ちゃんの腰布、略して金布をそっと離させる。どうして略したかは自分でも解らない。
そう言えば、以前一回金ちゃんの金布がふわりとなって金ちゃんの金ちゃんがまろび出てしまった悲しいアクシデントを教訓に金ちゃんの腰回りにはメガネがせっせと縫い上げたふんどしと言うものが装備されているのではないかと思い出したが、自分で装備できない金ちゃんのために金布の下に秘められし金ちゃんの金ちゃんを隠すふんどしのヒモを結ぶお仕事は男子たるメガネに課せられた使命だ。しかし最近は金布ふわっとなったりしてないし、金ちゃんの金ちゃんに毎日立ち向かうのがつらすぎてこの頃その使命をさぼっていたらしい。
金ちゃんの金ちゃん、まさかのノーガード。いや金布はあるけど。
「なにやってんだよ!」
「だってつらいの!」
あまりのことに私が責めて、たもっちゃんが苦しみを訴える。
そうやって周りがわあわあしている間にも、金ちゃんの歩みが緩むことはなかった。
彼が淀みない足取りで進むのは、裏庭に向かって開け放たれて気持ちのいい風を取り込むテラス窓のほうだ。
思えば、いつしか我々はトロールである金ちゃんに対してやたらと鷹揚な大人みたいなイメージを持つようになっていた。
実際、金ちゃんが小さな子供なんかに見せる大らかさ、そして優しさみたいなものは小鳥を自分の体で遊ばせるでっかい水牛のような寛容を思わせる。本当に水牛の心が広いかどうかはちょっと私は知らないが。
そんな鷹揚なる金ちゃんは、出会った時から隻腕のトロールでもあった。
その片腕に今、にぎられているのは一斤の食パンの成れの果て。どんぶり茶碗一杯ほどのかたまりである。
それは金ちゃんの朝食だったはずだが、全てを食べず金ちゃん的には少し残したそのパンを、なんか知らんがうちのトロールはためらうことなくテラス窓からぶん投げた。
「えぇー……」
うめくようにこぼれた声は、誰のものだったか解らない。
多分私もうめいていた気がする。
直接庭へおりられる大きな窓の外側は、今もまだ透明な窓を保護するためのレイニーの障壁が張られたままだ。
が、それはニワトリ対策である。
内側から投げられたパンは普通に障壁を通り抜け、そこそこ大きなふかふかとしたかたまりはなかなかの放物線を描きつつ芝生の上に落ちるだけに思われた。
しかし、それは間違いだ。
地面に落ちるよりたいぶん前に、コケェ! と鋭い雄叫びを上げ、真っ白で肉厚な立派な翼でばっさばっさとムダに羽ばたき飛びあがった雄鶏が、あざやかな黄色いクチバシで見事にパンをキャッチしたのだ。
小さな花がちらほら咲いた瑞々しい芝生にぼってりと、丸めたおもちみたいな体を落ち着けコーッコッコと我々にプレッシャーを掛けていたニワトリたちの集団が、にわかに騒がしく動き出す。
私が勝手に頭取と呼ぶ、群れ唯一のオスであり金ちゃんのパンをキャッチしたボスに、周囲の雌鶏たちが勢いよく殺到。コケーコケーと悲鳴のような鳴き声を上げ、やわらかパンを奪い合う。
空中でパンをキャッチした時はどことなくドヤ顔だった頭取がいつの間にかニワトリの輪から弾かれて、もうボスには見向きもしない雌鶏の背中にどことなく寂しげな視線を投げている。悲しい。
そしてそのやるせない光景を、原因を作り出した金ちゃんが覇者のような落ち着きでじっと見下ろしていた。
その様に、矮小なる人類は少し思い出す。
大森林で某王子の護衛をしていた兵たちと一番最初に会った時、こんな感じで大量のイヌを餌付けし始めたのがまさにこの金ちゃんだったなと。
トロールはあれか。餌付けで野生動物をペットにする習性でもあるのか。
そんな割と的確な疑問を差しはさんでくる武者姫や、筋肉主体の近習たちも金ちゃんの餌付けに意識を奪われ、リビングのソファでお茶をいただいているレイニー以外の大人と高貴な少女らは裏庭に面したテラス窓の辺りにわらわらと集まってだんごになった。
そうしてごくりと見守っているのは、初夏のような陽気の庭で対峙するトロールとニワトリのボスの姿だ。
ニワトリは、ボスである頭取のほかはメスばかりの集団に思われた。ハーレムである。
けれどもそのハーレムは突如投げ込まれたふかふかのパン、そして投げ込んだトロールによって崩壊の危機を迎えようとしていた。
ハーレム要員のニワトリたちは金ちゃんの足元へそわそわコッコとなつくようにまとわり付いて、どいつもこいつもチョロインすぎる。
ちょっとしたふかふかパンのかたまりでボスの座をおびやかされた頭取は、キリキリと厳しい顔をして二本の鳥足でどっしりと金ちゃんの真正面に立っていた。
空気は一触即発である。
今まさに、向かい合う男たちの間で雌雄を決する戦いが始まろうとしている。みたいな感じがなんとなくしなくもないような気がしなくもなかった。
と、そんな時。
「きんちゃん……」
か細くこぼれた子供の声が耳へと届いた。
はがいじめの延長で、たもっちゃんに抱っこされているじゅげむだ。
私は、はっとした。
鷹揚なる金ちゃんの庇護を、一番に受けているのはほかならぬこの子だ。
その金ちゃんが戦おうとしている。
普段も割と自分からいそいそと武器を構えて魔獣に飛び掛かるタイプの金ちゃんではあるものの、ニワトリボスの頭取は鳥にしては大きく、周りにはその仲間たちもいる。
子供心に金ちゃんを心配しても不思議はなかった。
それか、どこか親しみのある姿かたちのニワトリと金ちゃんが争うことが悲しいと言うこともあるのかも知れない。
あああじゅげむがこんな不安げにどうしよう、と、思ったら違った。
「きんちゃん、がんばって!」
なんか、すごい応援してた。
トロールとニワトリ。
じりじりと間合いを測り合う両者は、一体なにがきっかけだったのか。
ある瞬間に、まるで息を合わせたように、ほとんど同時に地面を蹴って飛び掛かる。
コケェエエ! とニワトリの奇声が辺りに響き、金ちゃんが応じるように、ガル、と低いうなりに喉を鳴らした。
舞い散る白い羽根、躍動する筋肉。
羽を広げてばさばさと金ちゃんに躍り掛かる頭取が、たくましき肉体に弾かれる。
さながら、暴れ狂う白球と圧倒的運動量で動き回る高校運動部の攻防。
辺りではいいぞそこだと声援でも送るかのように、二人を囲むニワトリたちがコケーコケーと騒がしい。
男たちの争いは苛烈を極めた。
被害は主に、素朴ながらに美しく整えられた庭の植物に出た。
両者がびしばしと素手、鳥足、もしくはクチバシで激しい攻撃をくり返し、踏み荒らされた芝生の小さな花や頭取のぽってりと白い体が着地した花壇の植物が痛んで千切れ、周辺に散乱するのが見て取れる。
「ああああ……ペトロネラ様のお庭が……!」
リビングのテラス窓にすがり付き、悲鳴のような弱々しい声をこぼすのは丹精込めて農園を世話する農民一族の青年だ。もうホント、かわいそうだった。
まあ、そんな。
誰が得をするのか解らない種族を超えた男たちの戦いはコケコケガルガルと飽きもせずにぶつかり合って、終わりなどないかに思われて割と早めに離脱していたメガネが「お昼ですよー」と観戦しながらつまめる軽食を運んできたタイミングで急速に終わった。
ごはんの気配を鋭敏に感じ取った金ちゃんが、激しい戦いで羽毛が抜けるのも構わずにコケコッコと向かいくる頭取をぽいっと遠くへ投げ捨てたかと思うと、普通にごはんに戻ってきたからだ。
これはこれでなんかニワトリかわいそう。
ちなみにこちらが王様が手づかみで食べたお食事になります、と。たもっちゃんにホットサンドを勧められ念願かなって手づかみの食事をしながらに、武者姫がなんとなくぼーっとしたように呟く。
「トロールと言うものは、なかなか見応えのある戦いをするものだな……」
なにを見せられていたのかと全然消化できていない様子の姫に、いかつい近習もホットサンドをもそもそ食べつつ「まこと」「まことに」とこくこくとうなずく。
なんかそう言う昼食となった。
※これから数話にわたり鳥類にパンを与える描写が出てきますが、鳥の消化機能に加熱調理したでんぷん質は不向きで与えるのに適さないそうです。不勉強でした。すいません。
作中については異世界の強めの鳥としてご容赦いただければありがたいです。(2023年5月追記)




