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47 買収

 公爵は、明らかにぼう然としていた。

 逆に言えば、公爵だけだった。

 我々は詫び石詫び石と騒ぎ、レイニーはがっくり地面に四つん這い。上司さんは金の玉をかかえたままに、ぴかぴかと光る。

 なかなか目立ちそうな状況だったが、ほかに気にする人はいなかった。不自然なくらいに。

 周りに誰もいないと言う訳ではない。

 実際、まだ明けぬ渡ノ月の夜の中、あちこちでランプや魔法の光が瞬いていた。茨に巻かれ魔獣が転がる公爵家の庭を、使用人たちが忙しく走り回っているからだ。

 それでいて、こちらを気にする者はない。

 ただ一人、オスカー・フォン・アーダルベルトその人のほかには。

「成程」

 涼やかな声が呟いた。そして、嘘みたいに綺麗な女は――天使は、よくぞ気付いたとでも言うようにほほ笑む。

「さすがは神の恩寵を宿す者、と言うところか」

 もしかすると天使とは、普通の人には見えないものなのかも知れない。彼女の言葉は、そんなことを思わせた。

 光り輝く天使の姿は、そしてその声は。ひどく尊い奇跡のように、威厳たっぷりに響くべきものなのだろう。でも、ダメだ。

 その足元では我々が、薄布のスカートをずり下ろす勢いで必死にしがみ付いている。神秘性とかなにもない。

 しかし、上司さんはめげなかった。まとわり付いた我々をうっとうしげに、若干雑に蹴飛ばしながらずいずいと近付く。

 ただぼう然と立ち尽くす、アーダルベルト公爵のほうへ。

 淡い瞳は見開かれ、光り輝く天使の姿を間違いなくとらえているようだった。

 上司さんはほっそりとした手をかざし、光を集めて公爵へ向ける。

 封印すんのか。記憶でも飛ばすのか。と思ったら、どちらも違った。

「どうやら、面倒を掛けた様だね。せめてもの詫びに、貴方の願いを叶えましょう」

「……願い?」

 解らない、と言うふうに。

 淡紅の瞳を揺らして公爵が呟く。

「あなたがずっと、望んでも仕方がない事と胸の奥に隠していた願いを」

 心の底を暴くかのような、涼やかな声。

 美しい男が息を飲む。はっと、どこか恐れをにじませて。けれども天使は、待たなかった。理解を、準備を。

 公爵の目の前で、かざした手から光があふれる。そして、視界を白く染め上げて奪った。


 数時間後、私たち三人は王都から遠ざかり爆走する馬車の中にいた。

 急展開と言えなくもない。昨日まではのんびりと、公爵家で謹慎と言う名のカンヅメだった。

 こうなった理由はただ一つ。

 諸事情により、アーダルベルト公爵がやる気になったからだった。やたらとキリッとした顔で、権力を持ったイケメンが我々の保護と逃亡ほう助を心に決めてくれたのだ。

 なんなの。いきなりどうしたの。

 我々の処遇、王様が決めるまで保留とかじゃなかったの。どうしたのって言うか、まあ、上司さんのアレしか理由がないが。

 公爵はどうやら、新しいスキルを手に入れたようだった。どんな力をもらったのかは解らない。教えてくれなかったので。

 それは当然のことらしい。スキルは普通、隠すものなのだそうだ。預言者と判定者は有名すぎるし、我々の管理がガバガバなだけで。

 とにかくその新しい力によって、公爵の気持ちが変わったのは確かだ。上司さんの言葉通りに、きっと願いがかなったのだろう。

 スキルによる買収である。

 天使つよい。

 力を受け入れた公爵は、多幸感でいっぱいだった。淡紅色のきらめく瞳がやたらとうるみ、見ただけで解る。まともな状態ではないのだと。

 これ多分、熱でぼーっとしてますね。

 とりあえず、熱冷ましによさそうな薬湯などをぐいぐいと勧めた。

 その効果もあったのか、今回は寝込むほどではなかったようだ。そこそこ熱はあるみたいだが。

 そんな状態でありながら、公爵は我々のためにある一人の客を呼ぶ。

 公爵が使いを出したのは、まだ暗い未明のことだ。それでもその人は文句も言わず、むしろよろこんで駆け付けた。

「やっとお目に掛かれた。ずっと、お礼を申し上げたかったのですよ」

 そう言って、ほっとしたように息を吐く。

 現れたのは髪が白く痩せ型の、しかし背筋は真っ直ぐ伸びた老紳士である。

 身なりは貴族らしく上品で、しかし全てが控えめだった。ぱっと見て、目立つ部分がなにもないのだ。ただ一つ、若々しく輝く琥珀色の瞳が目を引くくらいのものだろう。

 この人が、ヴァルター卿ことヴァルター・ザイフェルト元伯爵。

 以前出会った黒髪にぶどう色の瞳を持った、妖艶なマダム・フレイヤの内縁の夫だ。

 我々が引き合わされたのは、公爵家のお屋敷の中。いつも通り豪華に飾られた応接間でのことだった。

 貴族たちがほがらかに笑い、老いた家令が完璧なタイミングでお茶を差し出す。まだ薄暗い時刻ではあったが、まるで優雅なティータイムである。ただし、腹の探り合いはアリ。

 状況がシュールすぎると思う。

 こんなに優雅な時間が流れているのに、応接間を出てちょっと歩くとこの家は半分めためたに崩れているのだ。物理で。

 ヴァルター卿は、おだやかそうにほほ笑んでいた。そして、ソファに合わせた低いテーブルの向こうから正面に座る我々に背筋を伸ばして頭を下げた。

「うちの者から話を聞いて、血の凍る思いをしました。本当に、何とお礼を申し上げればよいか。まず、こちらを。どうぞお確かめに」

「あ、もう大丈夫なんですか?」

 老紳士がテーブルに置くのは、じゃらりと重い音のする袋だ。中身は恐らく、百九十八枚の金貨だろう。

「話を付けて、取り戻したのですよ。もっと早くお返ししたかったが、中々お許しを頂けなくて」

「すいません。私もしばし、新しき友と時間を過ごしたかったのです」

 琥珀色の視線を受けて、公爵は困ったみたいな笑みを作った。どうやら以前から訪問の申し入れがあったのを、この人が止めていたらしい。

 我々、謹慎中だったからね。仕方ないね。謹慎させたの、公爵だけど。

 たもっちゃんが重い袋をありがたく受け取り、代わりに一応の証文を渡す。この証文は、あの日マダムのお嬢さんを追い掛け回した怪しい男たちから巻き上げたものだ。

 いや、ちゃんとお金と引き換えだから巻き上げたってのもおかしいが。

 証文を受け取って、ヴァルター卿は表情を曇らせる。ロリータファッションのリアル美少女がさらわれ掛けた、当時の心境を思い出しているのかも知れない。

「折り悪く、王都を留守にしていたのです。恐らく、不在を狙われていたのでしょう。できればもっと礼がしたいが……」

「あ、俺たちは冒険者なので」

「そうですな。弱みになる事は、せぬ方がよい。――では、心ばかりですが」

 老紳士はうなずいて、革でできた二つ折りの書類フォルダを手に取った。テーブルの上をすべらせて、たもっちゃんの前に置く。

「現金ではなく、贈り物ならよいでしょう」

 さあ、と手振りでうながされ、たもっちゃんがフォルダを開く。中にはやけにボロボロの、紙が一枚はさまれているだけだ。

 私にはそれがなにか解らなかった。

 だが、隣に座る男には違った。メガネで隠れた顔をうつむけ、勢いよく席を立つ。そして、ヴァルター卿に握手を求めた。

「このご恩、忘れません」

 のちに知る。革のフォルダにはさまれていたのは、とある冒険者が残したと言うエルフの里の地図だったらしい。

 たもっちゃんは、魂を売った。

 この変態メガネへの贈り物を手始めに、老紳士は我々へのおみやげを応接室へ運ばせた。

 それは高価な石で作らせた最高品質の石臼であったり、王都の有名菓子店を買い占めたかのような美しい洋菓子の数々であったりもした。

 それらを部屋へ運び入れると、老紳士は申し訳なさそうに眉を下げた。そして、残念ながらローラーで薬草を押し潰す器具は国内にはないようです。と私に向かって謝った。

 王都の道具街でも見付からず、まあそうかなとは思ってた。その時に石臼も探したが、どこへ行っても現物はなく受注生産とのことだった。欲しいだけで使う予定も別にないので、購入は見送ったのである。

 て言うかね。なぜなの。

 なぜこの人は、初対面で我々の趣味嗜好を熟知してるの。偶然にしては、贈り物の内容がピンポイントすぎると思うの。

 リーク元は貴様かと公爵のほうを見てみると、彼は笑顔を張り付けたまま蜜色の頭をぶんぶん横に振っていた。

 ヴァルター・ザイフェルトと言う人は、おだやかな老紳士であるように見えた。しかし、そんな訳はなかったのである。

 なにこれこわいと我々は震えた。

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