45 ぎゅっと
残酷と思われる描写があります。ご注意ください。
黒い怪物は、フィンスターニスと言う名前だった。そう言われれば、そんな気がする。
公爵家の庭に落ちてきた大きな黒いかたまりは、よく見れば前に見たものよりはずっと小さなものだった。こいつは水を吸って巨大化するらしいから、最近雨が降ってないのが幸いしたのかも知れない。
それはそうとして、しかし充分な大きさがあった。公爵家のお屋敷を、半分くらい押し潰してしまうには。
厳しい顔の家令と執事にはさまれて、アーダルベルト公爵は困ったように私たちを見下ろす。
周囲ではケガ人や魔獣やガレキの始末に使用人たちが走り回っているところだが、我々は芝生の上に正座していた。さながら、校長先生とその仲間たちによるお説教タイム。
一体どう言うことなのか。
お前たちはなんなのか。
襲撃者とうちの天使が暴れている間に、障壁の中で我々は口を滑らせた。その事柄について、尋問などを受けている。
「いやー……俺らちょっと特殊体質って言うかー。あんま長い事一か所にいると、悪魔的なものがくるって言うかー」
正座しながら顔をうつむけ、言い難そうにごにょごにょと。たもっちゃんのとがらせた口から出てきた言葉に、思わずキレ気味の声が出たのは私です。
「は?」
それ、私も聞いてねえから。
「だからー、俺らの体って多分一回作り直されてるじゃん? こっちくる時に」
「まあ……そうか。そうね」
そうだよな。我々、一回死んでっからな。体もそのままの訳がない。
鉄槌が落ちてきたはずの私の頭は傷一つないし、たもっちゃんは老人になるまで生きたのに今の体は若すぎる。比較的。
作り直したと言われたら、まあそうかも知れないなと思う程度には不自然だ。
「うん、そう。そのせいで、神の気配的なものが強いみたいでさー。何か、いいエサになるっぽいのね。悪魔的に」
「悪魔的に?」
「悪魔的に」
うなずくメガネに、思い出す。
ベーア族の小さな村に、黒い怪物が出たあとのことだ。寝てたら光の玉が現れて、たもっちゃんが言うところの詫び石をもらった。
その時に、レイニーは言ったのだ。あの怪物を、「悪魔の手先」と。
だとしたら、もう一つ。
「たもっちゃん」
「うん」
「ヴィエル村にあの黒いのが出たのも、私らのせいとか言う感じ?」
問うと、たもっちゃんは視線をどこかへやりながら黒ぶちメガネを押し上げた。そして顔をそらしたままで、出てきたのは言い訳いっぱいの肯定だ。
「そりゃー家も建てたくなるってもんでしょ」
なんで住みもしないのに、村に家を建てたのか。まあなんか、気が向いたんだろくらいに思っていたのだが、違った。きまぐれではなかった。
クマの祖母と孫たちが住む家を失ったのは、我々のせいだったのである。
自分らのせいで潰れた家を建て直すのは、親切じゃない。賠償だ。
一ヶ所にいるの向いてないって、お前。そう言う、お前。
この頭が痛くなるような、目が回るような事実をどう受け止めたものか解らない。思わず自分の目と目の間を、つまむようにぎゅっと押さえた。
しかし、困り果てたのは私だけではなかった。全く同じ格好で、目と目の間をぎゅっとするのはアーダルベルト公爵だ。どうやら彼も、色々と受け止めかねているらしい。
その両側ではおじいちゃん家令と中年執事がとても信じられないと色々言っていたのだが、主である公爵の「でも、嘘はついてないんだよ」の一言でぐっと黙った。そして二人も、目と目の間をぎゅっとした。
この夜に、公爵家の受けた被害は甚大だった。
美しく整えられていた庭は、もはや見る影もなくボロボロだ。上のほうから落ちてきた、たくさんの魔獣に踏み荒らされてしまったために。
そして、お屋敷。
まるでお城のようにどっしりと大きく、しかし瀟洒な白壁の家もかなり被害を受けていた。巨大な黒い怪物が倒れ込み、家屋を下敷きにしてしまったからだ。公爵家の建物は、真ん中からこちら側だけきれいに半分容赦なく潰された。
その怪物は今もお屋敷をベッドにしたまま、ぶよぶよの巨大な体をさらしている。そして、まだ死んでない。
だが、まだ死んでいないにしては正座でお説教を受けたりと、我々はある意味余裕がありすぎた。
それはなぜか。
フィンスターニスを始めとした、魔獣たちが一匹残らず戦闘不能の状態だからだ。
戦闘不能にしているのは茨だ。トゲを持った植物のつるがどこからともなく発生し、魔獣たちにぐるぐる巻き付きその自由を奪った。
奪ったのは自由だけではない。意識もだ。茨に包まれた生き物たちは、一匹残らず深い眠りに落とされた。
つまり、公爵家の庭でそこら中に生えたこの植物が眠りの茨。神様から追加でもらった詫び石スキルが発現した姿だ。
自分でも、このスキルを実際見るのは初めてだった。そりゃそうだ。草しかむしらない草刈りババアが、そんなほいほい死にそうな目にあってたまるか。
眠りの茨が発動する条件は、ヤベエ危機に陥ること。私が死にそうになった時、全自動で展開する防衛システムなのである。
あの時。
上から落ちてきた怪物が、黒い触手をこちらに向かって伸ばしてきた時。私は目を閉じてしまった。いや、普通に恐かったんで。つい。
だからこれは、あとで聞いた話だ。
たもっちゃんによると、なんかすごいすごくてすごかったらしい。
「何かさ、ばー! って茨が生えてきてさ。すげー勢いでぐるぐるー! 巻き付いて、動けなくなった魔獣とか、その辺にごろんごろん転がしてくの。でもさー、動けなくなった黒いやつが建物の上に載っちゃったのはまいったよね。もうちょっと方向考えて欲しいよね。他の魔獣もリコがやばいと思ったみたいでどんどん集まってきて入れ食いだしさー。最後には空飛んでたやつもレイニーほっといてリコんとこきて巻かれたよね。茨に。何かさー、何か。このスキル、強くない?」
勢いしか伝わらない証言ではあったが、とりあえずそんな感じで襲撃者と魔獣たちは一気に拘束されたようだ。
とにかく、そうして襲撃は止んだ。
だが、まだ安心はできなかった。むしろ、混乱はそれからのほうがひどかった。
なにしろ我々、体に穴の開いた人間を目の前で見るのはさすがに初めてだったので。
魔獣のツノで串刺しになっていた騎士は、踏み荒らされた庭の芝生に放り出され倒れていた。あわてて近くへ行って様子を見ると、息はある。細く弱く、かろうじて。
皮の鎧にはぽっかり大きな穴が開き、その下の胴体はぐちゃぐちゃの血まみれ。騎士が浅く呼吸するたび、穴から見えるズタズタの肉が人間もしょせん生肉ですよとうごめいた。
なにこれ恐い。
半泣きになった我々が胴体の穴に目掛けてギルドのほどほどポーションをぶっかけ、煎じた薬湯を鍋ごと取り出しぶちまけて、両手の指を組み合わせ祈りの覚悟を決めた辺りで公爵家の騎士団に所属する治癒師と言う名の衛生兵が駆け付けた。
その時、重症患者である騎士は地面の上でびたんびたんとのた打ち回って苦しんでいた。
なんでかなーって思ったら、完全に私のせいだった。アイテムボックスにしまってあった薬湯は、沸かした直後の状態でおもっくそ熱湯だったのである。やだー、うっかり。
騎士は当然ガチギレで「あっちいんだよ!」と叫んだが、ほんの少し前まで彼は瀕死で虫の息だった。叫ぶ元気があるのを見ると、ある意味お茶も少しは効いていたのかも知れない。傷は全然、ふさがってなかったが。
仲間の騎士に押さえ付けられ、衛生兵にじっとしろと怒られながら治療を受けて、どうにかお腹の穴はふさがれた。ひとまずそれで、命の危険はないとのことだ。
そこでやっとほっとして、ほかにも庭に散らばっているケガ人にポーションやお茶を配り歩いたりした。効果のほどは解らんが。
そうして薬やお茶を受け取ったり断られたりしながらに忙しいふりをしていると、公爵に呼ばれてなんなんだお前はと尋問を受けることになったのである。
その間にも公爵家の人たちは走り回っててきぱきと、負傷した騎士たちを回収し治療した。だからすでに、庭に残されているのは茨に巻かれた魔獣や怪物だけだった。
いや、もう一つ。
そのどちらでもない者がいる。レイニーを相手に魔法を撃ち合い戦った、襲撃者の中心にいたなにか。
それは一見、人に見えた、しかし黒っぽい羽を持っていた。長い爪を持っていた。
頭にはゴツゴツとした巻きツノがあり、それを誰かが、魔族だと言った。