42 記憶の苦さ
事務長は今日も、絶好調にピリピリしていた。
「何か、言って置きたい事はあるか?」
感情にとぼしい表情ではあったが、明らかに全てバレてるような予感しかない。
試しに最近は干した薬草を抱き枕にして寝ていますと報告してみたが、ものすごくどうでもよさそうだった。事務長の眉間のシワが深くなり、足元からはタンタカタンと特殊なリズムが刻まれる。
でも嘘じゃないの。一晩かかえて翌朝になると、なぜだか草に健康特性付いてんの。
別に手を加えなくても一緒にすごす時間によって付与されるのか、朝になると袋の中で薬草が勝手にバッキバキになってる私の寝相の問題なのか。
事務長と、ジャンニ。たもっちゃんとレイニーと私に、ついでにテオ。
公爵家の豪華に飾られた応接間の中で、我々の間にはちょっとした緊張感が流れていた。
なんとなくだが、問題起こして学校に保護者呼び出しを受けた時みたいな気分だ。これはやばい。これはいけない。おこづかいが減らされてしまう。もらったことないけど。
代わりに税率でも引き上げられたら、さすがの私も泣いてしまうぞ。税金の大部分は、稼ぎ頭であるうちのメガネが払う気がするが。
「それで、今日は?」
場の空気に耐えかねたのか、事務長をうながしたのはテオだった。
「近く、私達はローバストへ戻る」
「あ、そうなんですか。お疲れ様です。交渉上手く行きました?」
「そこそこ、だな。ローバストでの技術独占は成らなかったが、技術使用料は吹っ掛けて置いた。楽しみにしていろ」
たもっちゃんの質問に、事務長は無表情のまま淡々と答えた。楽しみにしてろとは言うが、こう見えて楽しみなのは事務長だろう。
一度こちらに入った使用料は、所得税的な名目でローバストにごっそり持って行かれる予定だ。税金と言うものは、世界を問わず無情なものであるらしい。
そもそも、ローバストが我々の保護に骨を折るのはこの税収が目的だ。人情とかじゃないところが切ないが、しょうがない。
この交渉をするために王都へきた事務長が、話を終えて去って行く。当然だ。こちらとしては、意外と早く話が付いたんだなくらいの感覚でいた。
「君達は?」
これからどうするつもりかと。
問う事務長に、たもっちゃんが悩ましげに表情をしかめる。
「大森林に行きたいんですよね。村の家に透明な窓付けたくて」
「そうなの?」
「そうなの」
思わず口をはさんで確認したが、大森林行きは初耳だ。こちらでガラスの代わりに使われる透明の素材は高いから、自分で取りに行きたいらしい。
「では、すぐに発つのか」
「どうでしょうね。できればそうしたいんですけど。俺ら、一か所にいるの向いてないんで」
恩寵スキルがどうのこうので、今は公爵家に留め置かれている状況だ。とりあえず、王様からの返事がないと身動きが取れない。
たもっちゃんは、だから、ここにしぶしぶ留まっている。でもね、メガネ。王都にとは言わないが、別に定住してもいいのよ。
我々がここに留まるつもりはないと、そう知って、事務長は詰めた息を少しだけ吐いた。なぜだか安堵したように。
けれどもそれは一瞬で、彼は眉間にシワをぎゅっとよせ視線を床の上へと落とす。
その姿は言葉を探しているようで、なにかに迷っているかのようで。
あとで知る。
探すのでも迷うのでもなく、彼は、記憶の苦さに耐えていたのだ。
応接間の床を飾るのは、華やかで繊細な寄木細工だ。ローバストからきた文官はその美しい模様をにらむふうに視線を這わせ、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「奥方様は、君達を救わんと公爵様に助けをお求めになられた。手紙とは言え、直接のやり取りはあれ以降初めての事だ」
「あれ以降?」
ホットケーキにハチミツを垂らし、たもっちゃんがなにげなく返す。話は終わったと油断して、備蓄のおやつを出したのは私だ。
「公爵様と、奥方様の婚姻が立ち消えになって以降だ」
皿をジャンニやレイニーに渡していると、少し間を置き事務長が答えた。
おやつを出すのは早かったのだと、真剣そうな空気を察して反省した。
アーダルベルト公爵とローバストの奥方様は、以前正式に婚約していた。しかし、結婚にはいたらなかった。
その話はざっくりと、公爵本人から聞かされた気がする。ただし、詳しい理由を知ったのは今だ。
「奥方様のお父上である前領主は、当時病に臥せっておられた。早急に後継を立てる必要があったが、お子はお嬢様ただお一人。然るべき家柄の婿を迎えるしか手段がなかった」
元々、話はあった。
オスカー・フォン・アーダルベルトはその当時、ただのオスカーだったから。
彼はアーダルベルト公爵家の分家の分家にぽろりと生まれ、その存在を重要視されることもなく育った。
オスカーが重要視されなかったのは、血の薄さばかりが理由ではない。公爵家の当主はその頃、代替わりしたばかりだったからだ。
「アーダルベルト公爵家は、恩寵スキルの家柄だ。恩寵スキルは血に宿る。判定者スキルはアーダルベルトの血筋を継いだ、選ばれた一人にしか継承されない」
そしてスキルが継承されるのは、前の持ち主が死んでから。しかも誰に渡るか解らないので、理屈としては血族の誰もが後継の可能性を持っていた。
ただし、実際その可能性を意識するのは当主に死期が迫っている時くらいのものだ。
そんな時期は一生の内にそうそうないが、タイミングが合ってしまえばアーダルベルトの血筋の者は縁談からは遠ざけられる。
判定者スキルを受け継ぐ者が、公爵家の当主を務めなくてはならないからだ。すでに他家に入っていても、後継となってしまったら問答無用で呼び戻される。
しかし、当時は若き公爵が誕生したばかりの時期である。次に代替わりがあるまでは、長い猶予があるはずだった。
公爵となる前のオスカーが、ローバストへ婿入りすると決まっていたのはそのためだ。
誰も、考えもしなかったのだ。まさかこんなに早いとは。
「花婿としてローバストへ旅立つ直前に、先の公爵様が急死された。それで全て変ってしまった」
恩寵スキルの継承者として、次に選ばれたのはオスカーだった。彼は先代の急死を知るより前に高熱に倒れ、意識のないまま二ヶ月近くを病床に伏した。
これは、恩寵スキルを継承する者の特徴だそうだ。高熱は大きな力を受け入れる副作用であり、それが終われば、判定者のスキルは新しい公爵のものになる。
オスカーが次に目覚めた時には、全てが終わったあとだった。
彼はすでに恩寵スキルの持ち主であり、アーダルベルト公爵であり、そして婚約者を奪われた男となった。
ローバストは領主の交代を急ぎ、花婿だけを入れ替えて予定通り婚儀を強行していたからだ。
「うわぁ」
同情いっぱいに心底引いてうめくのは、うちのメガネとテオだった。
この顛末は、国内でも結構有名なエピソードらしい。テオも噂としては耳にしたこともあったようだが、関係者から直接聞くとエグさがまたひとしおだそうだ。
「批判は甘んじて受け入れる。ローバストは、それだけの事をした」
事務長は――ハインリヒは、まるで過去でも見ているように伏せた瞳をわずかに揺らす。
「だが、断言できる。あの当時、他に生き残る道はなかった。先代を失うのは時間の問題で、一刻も早く後継を立てる必要があった」
だから、後悔はないのだと。当時を知る文官は、静かに重く首を振る。
その上で。
「公爵様には借りがある。故に、弁えなくてはならないのだ。公爵様に仇為してはならない。煩わせてはならない。我等ローバストの者は、これだけは譲らずにきた。それを奥方様が曲げたのは、君達の為だ。これが、どう言う事か解っているか?」
ああ、その話がしたかったのか。
なんでいきなり深刻な空気で昔話始めたのかと思った。
結婚までするはずだったのに、起きたら居場所なくなってんだもんな。普通にきつい。
目覚めたら、結婚相手が、人の妻。
字余り。
あまりに訳が解らなかったので、うっかり一句できてしまった。
後悔はしてないと言ってはいるが、ローバストを支える人たちに今も重くのしかかるものはなんだろう。それは傷んだ良心か、自責の念に囚われているのか。
とりあえず、むしゃむしゃホットケーキなどを食べながら聞く話ではなかったなってことだけは解った。




