41 しんどい
「笑い過ぎだぞ!」
テオはすねた。
我々が笑いすぎたせいである。
お母様と叫んだ瞬間、少女は「あ、やべ」みたいな美少女らしからぬ顔をした。多分、誰でもいいから助けを求めなくてはと言う思いと、早く母を探さなくてはと言う気持ちが一緒に出ちゃっただけなのだろう。
それはなんとなく解ったが、授業中にクラスメイトが先生をお母さんと呼んじゃうやつよりツボに入ってもうダメだった。Aランク冒険者で凄腕剣士のイケメンがお母さん扱いってすごくない?
我々がひーひー言って笑ってる間に、少女はぱっとテオから離れて駆け出した。
「お母さま!」
そしてもう一度叫び直して、抱き付いた相手は高級下着のお店から飛び出してきた美しいマダムだ。
あー、マダムのお嬢さんか。どうりでかわいいと。どうりで美少女だと。
リアルロリータの美少女とシンプルだが妖艶なドレス姿のマダムがしっかりと抱き合う姿は、なんだか一種の尊さがあった。
「何あれしんどい」
たもっちゃんは全然嫌そうじゃない顔で、心の声をちょっとだけもらした。
「どうしてこんな危ない事を!」
「ごめんなさい、お母さま。でも――」
魔力で動く小さな馬車をぶっとばしてきた美少女は、琥珀の瞳に涙を浮かべて口を開いた。しかし、その懸命な訴えは声にはならない。その前に、現れた。
それは男たちだった。見るからに後ろ暗い身の上の。怪しげな風体の集団だった。
彼らは古びた荷馬車に乗って現れ、少女とマダムが抱き合う姿にやれやれと億劫そうに息を吐く。
「ごきげんよう、マダム。お嬢さんを渡してもらいましょうか」
まだ幼いような美少女が、その声にびくりと震えて母親にすがる。どうやら彼女はこの怪しい男たちを振り切って、助けを求めてここまで逃げてきたようだった。
「それで?」
「え、いや……普通にお金貸しましたけど」
答えると、それでと問うたアーダルベルト公爵が机の向こうでほほ笑むように瞳を細めた。しかしなぜだか背筋がぞわぞわするので、ほんとは笑っていないのかも知れない。
我々がいるのは、公爵家の書斎だ。
買い物の続きをしたり王都の冒険者ギルドに立ちよったりしていたら、帰りが遅くなってしまった。そうして夏めいてきた夕暮れ頃に屋敷へと戻ると、すぐに呼ばれてこの部屋まで連行されたのである。
書斎に入るのは初めてだったが、ほかの部屋とテイストはそんなに変わらなかった。ただ壁一面には本棚があり、その中は厚い革の背表紙でびっしり埋め尽くされている。
個人が所有する本の数ならこれだけでも充分多いほどだが、蔵書室はまた別にあるそうだ。アーダルベルト公爵家の当主は、本の収集が代々の趣味らしい。
ずらりと並んだ本に見下ろされる書斎には、大きく重そうなデスクがあった。そこにいるのは淡紅の瞳を持った美貌の人だが、今だけは校長先生と呼んでみたさがすごくある。
机の前で横一列に整列させられ、我々はまるで校長室に呼び出された学生だ。確実に、これからお説教されるパターンのやつ。
早くおわんないかなー。みたいな気持ちでずいぶんと暗くなった窓の外を見ていると、公爵はしたたるような蜜色の頭を傾けてデスクの上に頬杖を突いた。
「普通はね、見ず知らずの相手に道端で金貨二百枚を貸したりしないんだよ」
「えー、二百枚じゃないですー」
「百九十八枚ですー百九十八まーい」
「やめろ! 子供か!」
たもっちゃんと私がぶーぶー言うのを、テオがごすごす小突いて強めに叱る。昼間お母さん扱いしてから、我々に対するイケメンの当たりが若干雑だ。
マダムの娘さんが追われていたのは、借金のためだった。と言ってもあの美少女はまだ十歳だ。彼女自身の借金ではない。
なんでもマダムが今の娼館を買う時に、売り主である前オーナーが生きてる限り月に金二枚を払い続ける契約をしたそうだ。
私の感覚だと無限に払い続けなくてはいけない気がして訳が解らないが、代わりに一回の支払いが割安に設定されるためこちらの世界では結構よくある契約らしい。
特に売り主が高齢の場合、数回支払っただけで相手が消滅してしまうケースがあるのでそこに賭ける買い手もいるとか。
マダムがその契約をしたのが十一年前。この世界の一年は九ヶ月だから、年に金貨十八枚。それに年数を掛けて合計すると、金貨百九十八枚になる。
それがすべて未払いで、売り主の前オーナーが支払いを求めている。と言うのがマダムの娘を追ってきた男たちの言いぶんだ。
マダムには寝耳に水のできごとだったが、それも当然のことである。全部でっちあげのようなので。
マダムは前オーナーへの支払いをおこたったことはないし、支払いを求めるならマダム自身が支払い勧告を受けていないはずがない。
たもっちゃんのガン見によると、ある商人がマダムに恋してしまったものの相手にされず愛憎をこじらせあげくの果てに娘を奪おうと画策したと言うことのようだ。
動機としては、超どうでもいいやつだ。
知らない人の恋路とか、もう全然興味ない。
しかし問題は、この騒ぎが陰謀であると証明できないことだった。看破スキルで見ただけなので、証拠なんかない。他人に信じてもらう手立てがないのだ。
「でもなんか、すぐ払わないとマダムの娘さんソッコーで奴隷商に売るとか言ってて」
「後で間違いだったって解っても、売られてからだと遅いんで。しょうがなかったって言うか」
ねー。とか言ってメガネと顔を合わせてうなずくが、頬杖を突く公爵の顔がなんかやたらと生ぬるい。
確かに、金二百枚は大金だ。と、思う。
実はあまりピンとはきてないが。こっちは銅貨と引き換えに草をむしる冒険者だし、異世界の金銭感覚もまだなじまない。特に大きすぎる金額を金貨の単位で数えられると、なんか解らんけどすごい大金と言う印象だ。
日本円で言うと一万円をくれると言ったらうれしいが、一億とか言われるとさっぱり意味が解らないのに似ている。違うかも知れない。違うような気はする。
我々がお金を出すと言った時、美しきマダムは戸惑うようにぶどう色の瞳を揺らした。よく解らない相手に大きな借りを作るのは、きっと抵抗があったのだろう。
だが、それも一瞬のことだ。すぐに覚悟を決めた様子で、必ず返すと約束しながら何度も何度も深く頭を下げていた。
「しかし、よく出せたね。金二百も」
「はあ、まあ。ちょっとまとまったお金があったんで」
黒い怪物が出た時の、ローバストの報奨金とかが。
だからお金を出すのは出せたし、なによりあの美しく妖艶でいい匂いがする上にボッチ体質のコミュ障相手にも優しいマダムが悲しむ姿は見ていられなかった。
それが我々の一致した意見だ。
ちなみにボッチ体質のコミュ障とは、たもっちゃんと私のことだ。自覚はあるの。
しかし公爵の綺麗な顔が生ぬるくなるのを見ていると、さすがに不安になってきた。なんかそれ、あきらめの顔じゃない?
「そんなにダメでした? 金二百枚って、草で言うとどれくらい……ですかね?」
「草……は、ちょっと解らない、かな。それに、決めるのは私ではないさ。ただ、君達は本当に癖が強いのを引き当てると思ってね。あのマダムは、ヴァルター卿の愛人だから」
運がいいのか悪いのか。解らないねと公爵は言って、頬杖を突いたまま困ったみたいに笑って見せた。
この意味は後日、なんとなく知る。
我々から目を離すとロクなことにならないと気付いた公爵に一切の外出を禁止されたり、調子に乗って買い求めた商品が次々届いてその量にあきれられたり。
王都を旅立つ直前に話を聞いたらしいチーム隠れ甘党からなにをやってるんだみたいな手紙をもらったり、その手紙でヴァルター卿は家督を譲って今は引退しているものの元は軍の諜報部でぶいぶい言わせてたやり手だからふざけるのもほどほどにしておけみたいな忠告を受けたり。
諜報部の響きに震えたり、ちょっとだけまんがみたいだとときめいたり。
大量に買った大きな土鍋で体によさそうな草をこれでもかと煮て、土鍋で煮るためのよさそうな草を干したりする内に数日がすぎた。
さすがの私も当日の夜などは遅れてやってきた正確には百九十八枚ショックでぐるぐるとお金について考えてしまい、普通の泥くらいにしか眠れなかった。しかしそれも、もはや過去。
まあ、あの報奨金もあぶく銭みたいなもんだからなー。使っちゃったもんはしょうがねえよなー。
今ではそんな、あきらめの境地だ。考えるのが面倒になったのもある。
苦々しげに眉間のシワをくっきりさせて、ローバストの事務長が公爵家を訪ねてきたのはそんなある日のことだった。




