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40 事件

 たもっちゃん、事件です。

 私の目の前では今、異世界のおっぱいたちがカーニバルを絶賛開催中です。

「どう言う事なの」

「いや。なんでいんの、たもっちゃん」

 調理器具や食材を見に行きたいと、別行動していたはずのメガネがいつの間に戻ってきていた。しかし、たもっちゃんが普通に入り込んでいるのは女性下着専門店の店内である。遠慮しろや。

 異世界にきて数ヶ月。私はやっと、ブラを買うことにした。

 これまではくたびれたふうな革の上着の前を閉め、人様にお見せできないものをごまかしてきた。下はちょっとごわつく生成りのシャツだが、別にそれで大丈夫と言う悲しみの胸板については触れないで欲しい。

 あるんだなあ、ブラ。最初に装備してなかったもんで、ないのかと思ってたよおばちゃんは。

 なんとなく女性下着に詳しい気がしたイケメン公爵に教えてもらい、期待と不安いっぱいに突撃したお店はなんかすごくぴかぴかしていた。

 レースや絹をふんだんに使用したゴージャスな下着や、シンプルだが補正力に自信ニキと言った佇まいの下着がこれでもかと店内にレイアウトされている。

 そこで私は、目も眩むような美女たちに出会った。出会ったと言うか、普通に先客。

 ボイーンとしてバイーンとした肉感的な美女たちからは、なんかすごくいい匂いがした。なんだこれはと思ったら、王都で一番と呼び声高い高級娼館のレディたちだそうだ。

「人数が多いものだから、騒がしくって。ごめんなさいね、お急ぎかしら?」

 おっぱいの世界にまぎれ込んだ我々に気付いて、美しいマダムが妖艶にほほ笑み気遣ってくれた。なにこれ優しい。色っぽい。私の中のおっさんが、課金したいと魂で叫んだ。

 マダムと従業員のレディたちは仕事着を新調にきたそうで、いくつか用意されているフィッティングルームとその周辺はおっぱいでいっぱいだ。

 一応カーテンや扉の向こうでサイズを合わせているのだが、デザイン性が気になるらしく「ねーねーこれどう?」とか軽率に出てくる。おっぱいが出てくる。

 付き添ってくれた公爵家のメイドさんたちと一緒になって、わーすごーいとか言って。よく解らないアクティビティ感覚にどよめきが起こる。すごいものを見てしまった。

 この店の製品はフルオーダーがメインだが、セミオーダーも受け付けているらしい。プロのレディたちはフルオーダーにしているようだが、私はセミオーダーのほうにした。

 ほとんどできている製品を体に合わせてお直しするので、仕上がりが早い。それにフルオーダーに比べると、お値段もお手頃。

「セミオーダーですと、どうしてもご用意できるお品が限られてしまうのですが……何かご要望はございますでしょうか」

「私あんまり詳しくないんで、選んでもらえますか? 白いシャツでも響かなくて、付けやすくて、強いやつがいいです」

 補正力が。

 接客をしてくれたのは、中年に足を引っかけた姿勢の綺麗なご婦人だった。彼女は私の要望を聞くと、こちらの顔をじっと見て、それから力強くうなずいた。心が通じた瞬間である。

 これもこれもと差し出されるまま試着して飛んだりはねたり走ったりさせられ、フィット感を確認しながらサイズを調整。レディたちはこんなことさせられてねえぞと思ったら、あちらは機能性を捨てエロスデザインに全振りらしい。プロ魂とはまさにこのこと。

 そしてぜえはあしながら一仕事終えてフィッティングルームを出て行くと、なんかまるで当然のようにうちのメガネが合流していた。

「普通さあ、遠慮しない?」

「だって外暑いんだもん。マダムもいいって言ったもん」

 いや、言うよ。そりゃ言うよ。

 たもっちゃんがいるのは、ソファとテーブルが用意された一角だ。ソファにいるのはレイニーやマダムで、メイドさんたちはそばに立って控えている。

 そこに男一人で普通にまざり、ちょっと戸惑う下着店の店員さんから冷たい飲み物などを出されているところだ。ここまで堂々とされたらね。受け入れるしかねえじゃんよ。

 接客の鬼である美しきマダムも、ちょっと苦笑しちゃってるもの。

「もう買い物終わったの? 早くない?」

「いや、それがさ。聞いてよ。王都の道具街こえぇわ。俺が二人くらい煮れそうな大鍋とか売ってんの。そんなん買うじゃん? 食器とかも凄いいっぱいあるしさぁ。気付いたら財布が空だよね。お金下さい」

 ああ、なんだ。ATMから預金下ろしにきただけか。

 財布に入れて持ち歩くには額が大きく重すぎるので、金貨の袋はアイテムボックスに預かっている。こちらも採寸は終わっていたので、一緒に行くほうが話が早い。

 下着の代金は先払いだったが、そのお金は約束通りうちのメガネの貯えから出た。傷付いた私の心も、これで少し癒えた気がする。

 注文した商品はお直しでき次第、手元に届けてくれるらしい。我々にはほかに滞在先もないので、届け先は公爵家にしてもらう。すると、そこで一回店員の意識が遠のいた。

 そう言えば、と。その時になって思い当たった。最初から普通に接客してくれたから、誰の紹介できたとかなにも言ってなかった。

 鬼気迫る勢いで奥から飛び出してきたオーナーを振り切り、遠い目をした店員さんに見送られ、店を出るとテオがいた。

 通りの向こうに二台並べて止めてあるのは、公爵家の地味馬車だ。我々が出掛けると言うので公爵が用意してくれて、御者と従者が暑い中を待っている。

 ぞろぞろ道を渡って行くと、気付いたテオがこちらを向いた。そして灰色の目をふっと陰らせ、なんとも悲壮にため息をつく。

 昨日、これまでさんざん食べさせてきた謎フライがヤジスのフライだと知ってから彼はずっとこんな感じだ。王都の料理に飽きたジャンニが、たもっちゃんにあれはないのかと言い出してバレた。

「えーなに? まだ気にしてんの?」

「お前は……虫だぞ、虫」

 テオは苦虫を噛み潰したような、実に不快そうな顔をした。虫だけに。異論は聞く。

 だがまあ、気持ちは解る。おいしいんだけど、これって虫なんだよなあとか食べながら頭の隅で考えちゃうの。私もそうだ。

 しかし、しかしね。だからこそ、思うんだ。あの味を心から楽しめるのは、事実を知らない間だけだと。

「だからさ、優しさじゃない? むしろ、今まで黙ってたのって優しさじゃない?」

「そんなのじゃ絶対納得しないからな」

 ダメか。

 余程ショックだったと見えて、全然許してもらえそうになかった。たもっちゃんとレイニーは虫論争に興味がなくて、さっさと馬車に乗っている。もー行こーよーと首だけ出して、馬車の窓から二人が急かしている時だ。

 どこか遠くガラガラと、石畳を叩くみたいな車輪の音が聞こえてきたのは。

 改めて見ると、王都の街は情緒があった。

 建ち並ぶ建物はどれもレンガと石でできていて、とがった屋根が空をちくちく刺している。石畳の街を歩いているのは身なりのよい紳士や外出用のドレスを着たご婦人で、さすがに王都は空気からして華やぎが違う。

 考えてみれば、王都の街をゆっくり見るのは今日が初めてのような気がする。今までは馬車を急いで走らせていたり、寝ていたり、ぐったりしているばかりだった。外を見る余裕などなかったのである。

 まあ、その華やかだが平穏であるはずの王都の空気は、悲鳴や怒声でぶち壊されている真っ最中だ。原因は、石畳をぎゃんぎゃん走る爆走馬車がこちらに向かってくるためだ。

 軍服を着た警邏の兵が怒鳴りながら通行人を下がらせて、逃げ惑う人々の間を小さな馬車が蛇行しながらすり抜ける。

 猛スピードで走ってくるのは細い車輪に座席と屋根があるだけの、形としては二人乗りの馬車だった。しかし馬の姿がどこにもなくて、なぜかと思えば必要ないのだ。

 魔動馬車と言うらしい。魔道具の一種で、動力は魔石や運転手の魔力。

 馬の世話が必要ないぶん重宝しそうな気がするが、魔力を食うから長距離移動には向いてない。だから魔動馬車はどれも小型で、走っているのも王都の中に限られた。

 操縦は手綱ではなく座席の足元から突き出た棒で行うのだが、今、暴走する魔動馬車をあやつっているのはまだあどけない少女だ。

 運転免許とかどうなってんだろ、とぼんやり思うのとほとんど同時に少女は座席から吹っ飛んだ。細い車輪が縁石に乗り上げ、車体が派手に横転したためだ。

 ロリータファッションのリアルロリータが宙を飛び、石畳の道に向かって落ちて行く。

「タモツ! 風だ!」

 叫んだ時には駆け出していた。研ぎ澄ました剣のようにきらめく髪がぐんぐん離れ、その背中を追うように強風が下のほうから吹き上げる。魔法によって生み出された風が落下する少女の体をふわりと押し上げ、すかさずテオが小さな体を抱きとめた。

 少女は琥珀色の大きな瞳をぽっかり開き、恐怖に震えているようだった。そして、テオのたくましい腕に抱き付き必死に叫んだ。

「お母さま!」

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