38 付与
私の装備にブラはない。
こちらの世界へきた時に、神様が付けてくれなかったからだ。
「公爵、貴方は何も悪くない。何もです」
テオはわざわざ素振りを中断し、テラスのイスにぐったり崩れるアーダルベルト公爵をなぐさめた。
灰色の瞳を痛ましげに伏せ、そっと首を振る姿からやるせなさがにじみ出ているかのようだ。大げさすぎない?
なんとなくだが、イケメンは女性下着に詳しいような気がしていた。偏見である。思い込みで話を振ってしまった。
ちょっと反省していると、片手で目元をおおいながらに公爵がぼやいた。
「君は、私を何だと思っているんだ」
そして、王都のご婦人が憧れてやまない高級下着の専門店を教えてくれた。
知ってんじゃねえか。
釈然としない思いで休憩を終え、鍋のそばへ戻る。そこでは、たもっちゃんが腕組みしながら首をひねっているところだった。
「どうしたの?」
「いやー、何かさ。これ、あんまり健康特性付いてないみたい」
メガネの下で眉の辺りに力を込めて、ガン見するのは洗濯ロープに吊るした草だ。じりじり熱い日差しの下で、それらはほとんど乾いているように見える。
「え、困る。なんでだろ」
たもっちゃんの横に並んで、私も腕組みをして首をひねった。
この草が冒険者ギルドのポーションよりも効果があるなら、あんまり効かないほどほどポーションを買わずに済むかと期待していた。
草によってそれぞれ薬効が違うから、色んな草を干しておく必要はあるが。
しかし特性付与が不安定だと、常備薬としてアテにできない。それではいざと言う時に、使ったり売ったりできないではないか。
「何でだろうねぇ。前に干した時と、何か変えた?」
「前だって干しただけだよ。たもっちゃんが家建ててる時、ヒマでさ」
ヴィエル村の宿屋の裏で、ちまちまと干していたのである。あの頃は雨季の前だったはずだが、イマイチ天気がよくなかった。そのため草もなかなか乾かず、やたらと時間が掛かった気がする。
「あ、それかも」
前回となにが違うか心当たりがなさすぎて、思い付くまま言ってたら途中でメガネがなにかに気が付いた。
「時間と手間だわ」
「たもっちゃん、主語をはっきり言えって私いっつも言ってるでしょ」
「いや、いっつもは言ってなくない?」
そうだね、言ってないね。でも今気にするのはそこじゃないと思うの。
「たもっちゃん」
「だから、付与の条件だよ。多分さ、リコが時間と手間掛けただけ効果にプラス付くんだと思う」
村で干していた時と違って、今はものすごく天気がよかった。朝から干して、まだ昼前だ。なのにすでにほとんど乾いて、草の束を裏返したりもろくにしてない。
確かに前の時と比べたら、手間も時間も掛かってないな。
「じゃあ、あれかな。別に干すんじゃなくてもいいのかな」
刻むとか、潰すとか。単純に私の作業時間が増えればなんでも。
「あぁ、かもねぇ」
「だったらあれ欲しい。あれやりたい。時代劇で医者がごりごりしてるやつ」
「あー、あのローラーみたいな」
「そう。それか石臼」
「いしうす」
「囲炉裏の横にムシロ敷いて夜な夜なごーりごーりなにかをひきたい」
「日本昔ばなし感が凄い」
雪女の精霊っぽさがときめくとか、三年寝太郎の昼行燈ぶりがツボだとか。西洋のお城めいた公爵家には似合わない話で、たもっちゃんと私は盛り上がった。
まあ、盛り上がっても仕方ないのだが。
時代劇で見た漢方薬を潰す道具は、金属でできていた。大きな五円玉みたいな円盤には中央に穴があり、そこに通した棒を持って細長い皿の上を往復させて使う。
草を潰すだけだから、別にこの道具じゃなければいけないってことはない。ただ、なんか好きだから単純に欲しい。
「どっかに売ってないかなあ」
「売ってるとしたら王都かな。探しに行く?」
「あ、ホント? だったら私、ついでにブラも買いに行きたい」
「えっ」
たもっちゃんは、ひどくなにかにおどろいていた。もらした音は短いが、こちらも長い付き合いだ。幼馴染が一瞬なにを考えたのか、察するのには充分だった。
「たもっちゃん。たもっちゃん。そのメガネ、城のお堀に沈めてやろうか」
「何で! 何も言ってないじゃん! ごめんね! ブラいらないんじゃないかと思って! ごめんね! 買いに行こ!」
よほどメガネが大事と見えて、動揺のまま余計なことまで口走る。
私は深く傷付いたので、高級下着のお店で出すのはメガネの財布だけと決まった。
「今日は駄目だね」
ちょっと買い物に行きたいんですけど。と、公爵に言うとなんかあっさり却下された。
「えー」
火から下ろしたあつあつの土鍋を手に持ったまま、思わず不満の声が口から飛び出す。
いや、なんか。却下は想定してなかった。
想定してなかったから、薬草が煮詰まったタイミングで一応言っとくくらいの感じで公爵に声を掛けたのである。鍋が熱いし重いので、話が長くなるなら置きたい。
「今日は午後から来客があるから」
「俺達にですか?」
「そう。ジャンニがローバストの文官を連れて来る。それと、キリック卿の部下が……何と言ったかな」
「手紙には、ヴェルナー・ツィメルマンと」
公爵の視線を受けて、後ろに控えた執事さんが答える。出てきたのは、ものすごく聞いた覚えのある名前だ。
貴族の邸宅を訪ねる時には、前もって約束するものらしい。だからジャンニやヴェルナーも、その手順をちゃんと踏んでいた。
つまり予定は事前に決まっていたが、公爵が伝え忘れただけだ。
おじいちゃんが倒れて、ばたばたしてたからね。仕方ないね。ロマンス小説朗読とかしてたけど。
「えー、なにしにくるんだろ」
「ヴェルナーくるんだったら、何かおやつでも作ろうかなぁ」
最近はあまり隠れてないが、彼は隠れ甘党だ。甘いものがあると、よろこぶかも知れない。たもっちゃんはいそいそと、材料を調達しに行った。
用件がなにかは知らないが、彼らにまた会えるのはこちらとしてもありがたい。お礼とか、すっかり言いそびれたままなので。
ジャンニは奥方様の使者として、わざわざ遠いローバストからきてくれた。
ヴェルナーたちは護送を請け負い、私たちを無事に王都まで送り届けてくれた。
お礼くらいは言わねばならぬ。人として。
ローバストの奥方様がジャンニを通してアーダルベルト公爵を引っ張り出してくれたこと、私忘れない。超助かった。
それに隠れ甘党は、なんかあれでしょ? 護送中に襲撃されるかも知れなくて、護衛とかもかねてたんでしょ?
それもちゃんと覚えてるから。荒野を出る時アレクサンドルに脅されたこと、まだ全然忘れられてないから。
そんな思いを込めながら、私はカラメルを担当した。こがすのは得意だ。
たもっちゃんはプリンを作るつもりらしい。卵と牛乳を入手して、なぜか白衣を着た背の高い男をくっ付けて戻った。公爵家の料理長である。
「この砂糖は本当に白いな。これでなければいけないか?」
「いえ、三温糖……あー、普通の、茶色っぽい砂糖でも大丈夫です」
「プディングとはどう違う?」
「えー、どうだろ。カスタードだけの、柔らかくて甘いのってあります? 冷やして食べるとおいしいんですけど」
「ああ、甘いのか」
美麗な庭にかまどをぼこぼこ増設し、公爵家の料理人と野生の料理人が二人並んでがしゃがしゃ卵をかきまぜる。
料理について話す姿は、まるで旧知の友人のようだ。こんなに仲よく見えるのに、うちのメガネはまだ台所に出入り禁止なのだろうか。禁止なんだろうな。庭で料理してんだもんな。
煮詰まったカラメルに水を入れ私が俊敏に飛びのいたり、大きな鍋を使おうとメガネが勝手にかまどを増設したり、純白砂糖を入手するため公爵家の騎士をダンジョンに派遣しようと料理長が騒ぐ内に時間がすぎる。
死蔵している圧縮木材のテーブルにひんやりする魔法陣を刻み、できたプリンをぽいぽいその上に載せておく。冷やす間に少し遅いお昼を食べて、味見希望のレイニーや私を料理人たちが阻止しているといい時間になった。
午後になると約束通り、ぽっくりぽっくり馬を歩かせジャンニやヴェルナーたちがきた。




