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35 てへぺろ

 昨日は結局、ルディ=ケビンに会えずに終わった。

 なのにやけにおとなしいと思えば、たもっちゃんはしっかりと翌日のアポを取っていた。つまり、今日のことである。

「リコ、リコ。起きて起きて」

「……むり。せめてあと五、六時間」

「いやいや、長い長い」

 仕方ないんだ。公爵家のベッドは、人をダメにするやつだから。

 なにでできてるか知らないが、ベッドマットが最高だった。絶妙なやわらかさと反発力で全身を包み、その上で泥のように眠った私が人に戻るには時間が掛かる。

 急遽用意されたゲストルームは、天蓋付きの大きなベッドが真ん中にあった。壁はぐるりと繊細なレリーフや飾りの付いた柱や梁で彩られ、天井までもが美しい。

 公爵とは王族に次ぐ身分であると、誰かに聞いたような気がする。アーダルベルト公爵にあまりになれなれしい我々に、家令を務めるおじいちゃんが苦い顔で教えてくれたのかも知れない。多分そう。

 だからこのお屋敷も、ちょっとしたお城のようだった。

 ごろりと体を横に向けると、目に入るのは腰高の窓だ。ものすごく高価だと聞く透明の板は、このお屋敷では全ての窓に使われている。お金つよいよ、お金。

 その透明の窓からは朝日に白み始めた空が見え、部屋の中にもやわやわと光がまぎれ込んでいる。確かに、朝だ。朝は朝だが、もうちょっと寝たい。

 人をダメな泥にするベッドの中で体を丸くしていると、たもっちゃんに上掛けの布をはぎ取られた。

「リコ、料理したいから。材料出して、材料」

 うちのメガネは、私を便利な収納だと思っている疑いがある。まあ、便利ですけど。いくらでも収納できますけど、神様からもらったアイテムボックス。

 公爵家の広く優雅に整えられた庭先で、たもっちゃんは朝早くから料理を始めた。まず魔法で土を造成し、かまどや石窯を作成するとそれらを魔法の火の玉で熱した。

 アイテムボックスに預かっていた肉や野菜を言われる端からぽいぽい出すと、愛用の包丁でさくさく切って煮たり焼いたり。

「なんで庭で料理すんの?」

 こんなに大きなお屋敷だ。台所くらいあるだろう。屋敷から庭へと伸びた階段で、レイニーと座ってあくびまじりになにげなく問う。

「うん。あるけど、借りようと思ったら公爵家の台所に部外者を入れる事まかりならんとか言って断られた」

「おじいちゃん?」

「おじいちゃん」

 あの人なら言いそうで、思わず笑う。

 アーダルベルト公爵家の家令は、頑固そうなおじいちゃんだった。家ぐるみで長く仕えているらしく、なんかもう公爵に対する無礼は許さぬと言う気概がすごい。

 ちなみに今、屋敷の奥からあわてて走り出してきてかまどや石窯の造成された庭の惨状にふっと意識を遠のかせているおじいちゃんがその人だ。

「なんと言う事を……なんと言う事を……!」

 おじいちゃんは、わなわなと震えた。

 たもっちゃんと一緒にされて私たちまで懇々と説教を受けることになったが、これは完全におじいちゃんが正しい。人んち勝手にリフォームしたら、そら怒られて当然ですわ。

 しかし持ち前の空気の読めなさで、たもっちゃんは最後まで料理を作り続けた。それから家令のおじいちゃん監修の元、可能な限り庭を修復。そんなふうにばたばたしてたら、あっと言う間に時間がすぎた。

 我々がルディ=ケビンの自宅を目指し、出掛けたのはもうすぐ昼と言う頃だ。

 私たちが出掛けると言うと、公爵が馬車を用意してくれた。もちろん馬と御者付きである。とどまる所を知らないご厚意。勝手に出歩くなってことかも知れない。

 昨日は公爵家の紋章がばーんと付いた、やたらと豪華な馬車だった。しかし今日貸してくれたのは、別のもっとおとなしいやつだ。

 どこを見ても紋章はなく、一言で言うと地味でシンプル。しかし造りはしっかりしていて、やはり乗り心地は最高だった。

 ふっかふかの座席でいつの間にか寝てしまい、目覚めたらルディ=ケビンの家にいた。

 たもっちゃんは歓喜した。

 憧れのエルフが住む家で、同じ空気を吸っているのが信じられないみたいな顔が本当にやばい。

 ルディ=ケビンは、あれだなあ。この変態に自宅を知られてしまったのだなあ。ハアハアうるさいメガネの荷物をぽいぽい出して、私は半分寝ぼけながらも心の底から同情した。

「あの、これ。これ、作ったんで。あの、よかったら食べ……食べ……」

「そんな、いけません」

 申し訳なさそうに眉を下げ、ルディは宝石みたいな翡翠の瞳を切なく伏せた。

「今回の事で、タモツさん達も手配を受けたと聞きました。こんなご迷惑をお掛けして、本当に何とお詫びをすれば……」

 そんなのルディのせいじゃないよお! と、メガネははあはあしながら咆える。こいつほんと、なんかもうだめだ。

 ルディ=ケビンは似たような家がぼこぼこ並んで連なった、洋風の長屋みたいなタウンハウスに住んでいた。レンガ造りで二階建て。玄関を入るとすぐに上へ続く階段があって、最小限だが台所もあった。

 全体に小ぢんまりとしているが、妹と二人で暮らすなら広さはこれで充分らしい。

 その妹さんは、あいにくと留守だ。

「元々、ダンジョン調査で長く留守にする予定でしたから。一人にするのも心配で、知人の家に行かせていたのです」

 今になってみれば、その判断は正しかった。

 ルディはダンジョン調査で派遣された荒野からさらに、ヴィエル村へと回された。例の黒い怪物の調査のためだ。

 彼はそこで我々と出会ってしまい、調査書と共に目新しい技術や知識を王都へと持ち帰ることになる。

 ヴィエル村を去った時点で、当初の予定より長く家を空けていた。しかも彼は帰宅より先に、城へ報告に向かったらしい。

 そのまま身柄を拘束されて、一ヶ月。昨日になって開放はされたが、手続きを終えると夜だった。それから迎えに行くには遅く、まだ妹さんには会えてもいない。

 ――と言う話を、困り顔のエルフから、もっとやんわりした感じで聞いた。

 さすがに、我々も空気を読んだ。我々と言うか、レイニーと私が。

「ごめんね、うちのメガネが」

「申し訳ありません、タモツさんが」

「もう帰るから」

「もう帰りますよね」

 さあ帰ろう。今すぐ帰ろう。二人掛かりでぐいぐい押して、たもっちゃんを玄関のほうへと追い詰める。

 ルディが妹さんを迎えに行けていないのは、たもっちゃんが会いにきたせいだろう。

 アポは取ったと聞いていたけど、どうやって取ったのか今になって気になる。もしかして、一方的に伝言しただけじゃないのか。だとしたら多分、すごく迷惑なやつだそれ。

 一刻も早くこの場を去るのが我々にできる唯一のことだが、しかしメガネは強かった。察する能力の欠如したハートが。

「あ、あっ! じゃあ! じゃあ、俺も一緒に妹さんのお迎えに……!」

 玄関の開いた扉にすがり付き、ナイスアイデアとばかりにぱっと顔を輝かせたりしている。なにを言っているんだお前は。

 最終的には公爵家の御者を呼び、抵抗するメガネを馬車の中に押し込んでもらった。

「申し訳ありません。折角足を運んで頂いたのに……」

「いや、悪いのは全部あのメガネだから」

 申し訳ないのはこちらだし、妹さんを早く迎えに行ってあげて欲しい。

 それじゃあ、と互いに疲れた挨拶をして帰ろうとした時に。ふと、思い出した。

「あ、そうだ。酵母菌、なんかピンターさんがすごいくやしがってたよ」

 老獪なエルフとか言って、ずぶぬれでくやしがる中年文官。あれはなかなかインパクトがあったと、私はしみじみうなずいて伝えた。

 するとそれを聞いたルディ=ケビンは、一瞬目を丸くした。それから少し恥ずかしそうに、白皙の顔でてへぺろと笑う。

 これはあれだ。解っててやってる。


 たもっちゃんは不満げだった。もっと同じ空間でエルフと酸素を共有したかった。そんなぼやきを聞かされながら、我々はぐったりと馬車に揺られて公爵家へ戻った。

 すると、そこに一人の男の姿があった。

 お屋敷の大きな玄関の前で、彼は腕組みをして待っていた。

 怒っているのとは少し違う。一日ぶりに見るテオは、深い悲しみに暮れていた。

「……いや、違うんだよ」

 それを見た瞬間に我々は言い訳を始めたが、説得力はなにもない。

「お前達も大変だったのは解る。罪人として連れてこられて、王の前にまで引き出されたと聞いている。気が動転しても無理はない。しかし、しかしな……」

 ルディ=ケビンに料理を作る余裕があるなら、少しは思い出してくれてもいいのではないか。

 テオの主張にぐうの音も出ず、私たちはホントごめんと玄関先に三人並んで正座した。

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