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30 借りてきたチワワ

 ダンジョンがどうやってできるのか、実はよく解らない。

 大地にあふれる魔力が高まり、それがダンジョンと言う形で発露する。これが最も有力な仮説だ。聞いた話でよく知らないが。

 とにかくシュラム荒野のダンジョンは、今まさにできている途中だそうだ。

 天幕を打つ雨の音を聞きながら、テオはやわらかいパンにかじり付く。

「ある程度までのダンジョンなら、冒険者ギルドで対応するんだがな。錬金術師の話では、今回のダンジョンはかなり大規模なものになるらしい。――これ、旨いな」

 ダンジョンの規模が大きくなると、国とギルドが合同で調査と管理を行う。今回国からその司令官に任じられたのが、アレクサンドル・フォン・キリック。テオのお兄さんだ。

 話のついでにほめたのは、ふわふわのパンに切り目を入れてフライとタルタルソースをはさんだものだ。これは本当に気に入った様子で、テオはあっと言う間に食べ切った。

 ただ一つ問題なのは、フライの中身がヤジス虫だと言うことを伝え忘れたことだけだ。

「けどさあ、もう二ヶ月もここにいるんでしょ? 調査とか、まだ終わんないの?」

「中々安定しなくてなぁ」

 灰色の目が、やたらと遠い。

 荒野に到着して二日目。我々は軍とギルド共同の、食堂テントの中にいた。食事ではない。こう見えて、依頼を遂行中なのである。

「安定しないと、どうなるのですか?」

 カウンターテーブルを配置して、客席と区切った厨房の中からレイニーが問う。彼女は焼きたてのホットケーキを、客に渡す係である。私はそれを、客席側から眺めた。

 いや、一応手伝おうとはした。しかしどうせ渡されるなら美人からがいいと、一部のおっさんと青年と美しさを愛する女性陣から要望があったのだ。世の中は非情なものである。

 そもそも私がヒマなのは、ホットケーキが丸く焼けずに戦力外通知を受けたからだった。いよいよ、なにもすることがない。

 ダンジョンに関しては食い付きのいいレイニーに、テオは少し考えて答える。

「安定しないと、たまに外までモンスターが溢れてくる事があるな。人数を集めるのはその対策のためもある」

 それに、と少し憂鬱そうに。彼は小さく息を吐く。

「不安定な内は、中も滅茶苦茶でな。浅い階層でボス級のモンスターに遭う事もある。だから軍とギルドの手練れを集めたパーティで、慎重に探索するしかない」

 構造的にはほとんどできているそうだが、調査の進捗はかんばしくない。でたらめに出てくるモンスターのせいで、ランク的に下手な人員は増やせないからだ。

 それもまた、頭の痛い問題らしい。

 なにもない荒野の真ん中で、雨にぬかるむ地面には大小いくつものテントがあった。万一のために集められた戦力が、その中でじっと耐えてもう二ヶ月だ。

 ダンジョンにも潜れず、長雨のせいでロクに外にも出られない。ただじりじりと、待機させられているのである。

 それでは、ストレスがたまって当然だ。

 しかしそれでも兵士なら、身分や規律でしばることができる。問題は冒険者たちだった。力こそ全てみたいな脳筋のノリで、ただ命令してもあんまり聞いてくれないのである。

 アレクサンドルもこれには苦労するらしく、だから強引にテオを呼んだ。ギルドを通し、正式な指名依頼してまでも。

 絶対に逃がすまいとする、強い意思しか感じない。扱いにくい冒険者たちとの折衝役に、気心の知れた高ランクの人材がどうしても欲しかったようだ。

「レイニーさん、次の焼けました!」

 きびきびとした声に呼ばれて、レイニーがさっと仕事に戻った。焼きたてのホットケーキを一枚載せて、木製の皿がカウンターの前で待つ客の所へと運ばれる。

「お待たせ致しました。熱くなっておりますので、お気を付け下さい」

 レイニーは客の前にお皿を置くと、軽く膝を曲げ優雅な所作で会釈した。接客は今日が初日のはずだったが、プロ感がすごい。

 ホットケーキを待っていたのは、冒険者ふうのおっさんだ。ありがとなと皿を受け取り、なんだかほんわり幸せそうな顔になる。

 それを見て、テオがほっと小さく息を吐く。

「……成功だな」

 つまりこれが、我々の受けた依頼なのだ。

 昼下がり、三時のおやつにホットケーキを焼いて出す。それだけだが、依頼を出したのはアレクサンドルだ。

 二ヶ月と言うのは、彼にも予想外の長丁場だった。それだけダンジョンの規模が大きいとも予想されるのだが、とにかく兵や冒険者たちがつのらせてきたイライラを緩和させる必要があった。

 軍規で兵を。ランクで冒険者を。力で押さえ付けるにも、限界がある。そんな時に現れたのが我々で、そしておもしろい食べ物を持っていた。

 荒ぶる戦士を嗜好品でなだめろ、と。この依頼にはそんな意図があるらしい。

 食堂の客席はほとんど埋まり、がやがやと話し声や笑い声で騒がしい。しかし空気は、おどろくほど平和だ。

 甘いものと品のいい美人の接客により、我々は勝利した。勝てば正義なのである。

 けれども、しかし。

 勝利のためには、犠牲もあった。

「ホットケーキ焼けました! 次ください!」

「こっちも焼けました! 配膳頼みます!」

 厨房の中できりきりと働いているのは、軍で調理を担当する兵たちだ。彼らはさすがに手慣れたもので、真ん丸なホットケーキを次々ふっくら焼き上げる。

「タモツさん! これもういいですか?」

「タモツさん! 焼くのやるんで、生地お願いします!」

「タモツさん! これ!」

「タモツさん! こっち!」

 彼らの指導と生地の発酵を管理するのは、当然ながらうちのメガネの担当だ。その姿を、心配そうにテオが見る。

「大丈夫か、あれは」

「たもっちゃん、ボッチ体質だから……」

 大丈夫か大丈夫じゃないかと言ったら、多分大丈夫じゃないほうだ。

 厨房で大人気のタモツさんはしかし、まるで借りてきたチワワのようだ。なんか悲壮な顔色で、ふるふると小刻みに揺れている。

 厨房担当とは言え、兵士である。声は大きく動きは機敏で、しかも相手は複数だ。たもっちゃんが一人浮くのも仕方がないが、本人的には地獄だろう。それでも手だけは動かしているのが、かわいそうでえらい。

 遠足の班決めであぶれてしまい話したこともないグループに振り分けられて絶望を体現した小学生時代の幼馴染を思い出した。

 荒ぶる戦士のストレスケアに、たもっちゃんは犠牲になったのだ。

 私は無力を噛みしめながら、厨房の外でおやつ片手にその雄姿を見守ることしかできなかった。ヤジスフライのタルタルサンド、おいしいです。

「……あぁ、お前達もいたのか」

 いるとは思わなかった。そんなふうに聞こえたが、まるで悪気はなさそうだ。現れたのは騎士服の上に厚い革のコートを身に着けた、全身びしょぬれのヴェルナーだった。

「どうかしましたか」

「いや……タモツを呼んでくれ」

 彼は、どことなく落ち着きがなかった。茶色の髪から雨のしずくがしたたるのにも構わずに、きょろきょろと周囲をうかがっている。完全に挙動不審である。

 言われた通りに声を掛けると、たもっちゃんが救世主を見るような涙目で厨房の中から飛び出してきた。

「何ですか? 用ですか? 外出ますか? 外出ましょうよ!」

「いや……あぁ、そうか? そうだな……」

 用事があるのはヴェルナーのはずだが、さあ行こうすぐ行こうと急かしているのはうちのメガネだ。兵にぎっちり囲まれた、圧迫厨房が余程のことつらかったらしい。

 びしょぬれの背中をぐいぐい押して、二人でいそいそ食堂のテントを出て行った。

 気になるよね。気になるよな。気になりますね。私とテオとレイニーは、言葉を使わず合わせた視線で会話した。

「これを」

 コートの中から素早く出して、隠すように手渡した。たもっちゃんが、受け取った物とヴェルナーの顔をおどろいたように見比べる。

「どうしたんですか。これ、蜂蜜ですよね」

「今日は調査探索に同行していたんだ。ダンジョンのドロップ品だ。調査中の戦利品は本来提出するのだが……アレク様にお願いして、一つだけ譲って頂いた」

 昨日の礼に受け取って欲しいと、普段は辛辣な軍人が恥ずかしそうにうつむいた。

 このシュラム荒野のダンジョンで、ハチミツが出るのはこれが初めてのことらしい。

 しかし、不安定なダンジョンは不可思議だ。本当に恐れるモンスターが現れて、本当に望む物がドロップされることがある。探索者の心を読み取ってでもいるかのように。

 もしも強く望んでいたなら、ハチミツが出ても不思議ではない。そう教えてくれたのは、一緒に隠れていたテオだった。

 私は、思わず物陰から飛び出した。こそこそ覗いていたのも忘れ、二人の間に割って入ってすがり付くように腕をつかんだ。

「ねえ……白砂糖、欲しくない?」

 欲しいよね。私は欲しい。

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