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29 のた打ち回る謎

 荒野にも雨季は訪れる。

 雨粒が絶えずテントを叩いて、バタバタとうるさい音を立てていた。

「あの……お兄さん」

「あぁ」

「私、あんまり絵とか得意じゃなくてですね」

「見れば解る」

 アレクサンドルはうなずいて、野営用のテーブルをとんとんと叩いた。

 テーブルの上には紙があり、黒いインクで描かれているのはアバンギャルドにのた打ち回る謎のタコだ。作者は間違いなく私だが、画力の問題でムダに謎が深い。

「ヴェルナー、どう思う?」

「俄かには信じ難い話ですね」

 アレクサンドルに話を振られ、入り口で待機する部下はあっさりと答えた。

 まあ、解るけど。そうなりますよね。

 切って捨てるような物言いに、アレクサンドルが喉の奥で笑う。

「確かに、とても猛者には見えないな。だが、ローバストから報奨金が出たらしいぞ」

「あの奥方様がお認めになったなら、そうなのでしょう」

 理解しかねると言うふうに、ヴェルナーは深刻そうに首を振る。茶色の髪に茶色の目をした、地味な男だ。しかしおとなしそうな見た目に反して、どうやら性格は辛辣だった。

 私たちがいるのは、テオの兄であるアレクサンドルのテントだ。

 置いてあるのが最低限の、簡易的な家具だけと言うこともあるだろう。実際中に入ってみると、外から見るより意外に広い。

 テーブルは組み立て式で、そろいのイスも折りたためるようになっている。そのためイスの座面に板はなく、布が一枚張ってあるだけだった。

 しかし、それがいい。六日も馬車を乗り継いで、割れるほど痛い問題が再発する私の尻にも当たりが優しい。

 雨宿りついでに、討伐の話でも聞かせろよ。そんなふうに、気安い感じで招かれた気がする。多分だけど、だまされたのだ。

 いや、確かにテオやお兄さんは気安かった。しかし辛辣部下のヴェルナーからは、不審丸だしの厳しい視線がものすごく刺さる。

 ぼやぼやしたDランク冒険者である我々が、フィンスターニスと言う怪物を討伐したとは信じられないようだった。厳しい目はしんどいが、その気持ちはよく解る。

 あの怪物を間近に見ると言うこと自体、貴重な体験だと聞いた。ルディ=ケビンもこの話に食い付いて、かなり詳細に聴取を受けた。

 その時にも謎タコの絵を描かされているのだが、あれは一体どうなったのだろう。もしや正式な報告書と共に、王都へと旅立ってしまったのだろうか。

 あれが偉い人とかに回し見られるかと思うと、胸ではなくて目頭が熱くなるのだが。

「それで、お前達は何をしている」

 アレクサンドルが遠い目をした私の背後に顔を向け、あきれたみたいに問い掛けた。答えたのはテオだ。屈み込んだ彼の前には、火の入ったかまどがあった。

「ホットケーキと言うそうですよ。ローバストの領主ご夫妻も召し上がったとか」

 このテントには床がない。足元はぬかるんだ地面がむき出しだ。だから土のかまども、まあ解る。解ると言うか完全に、うちのメガネの仕事だった。

 あいつは家を建てるのに土の造成魔法を覚えて以来、軽率にリフォームできるようになっていた。やっていいかは別にして。

 魔改造されたテントの主は、しかし形のいい眉を片方持ち上げただけだ。ごつごつした手で自分のあごをなでるように触り、鋭く強い紺青の視線をこちらへと戻す。

「お前も会ったか。恐いだろう、あの奥方は。国内でも一、二を争う鑑定スキルの持ち主だ。随分値踏みされたのではないか」

「あ、あれ値踏みされてたんですか」

 その発想はなかった。

 どんな感じだったのか思い出そうとしてみても、ホットケーキを吸い込む様しか覚えていない。あとは床をこがして怒られたのと、奥方様がえらい美人だったのが印象に残っているだけだ。

 そうかあ、ちゃんと目的があったのか。

 いや、ほんとかよ。あの夫婦、ホットケーキを思い切り吸い込んでただけだったぞ。

 私が首をひねる後ろでは、たもっちゃんとレイニーがいそいそと準備を整えていた。かまどの上ではフライパンが熱せられ、ほどよく発酵した生地に土色のかたまりをごりごり砕いてまぜて行く。

「それは黒糖か?」

 二人の手元を覗き込み、ヴェルナーが問う。いつの間にかテオの横で一緒に屈み、調理の様子をなにやら熱心に見詰めていた。

「甘ければ何でもいいんですけど、黒糖が一番手頃なんで」

「えー、ハチミツないの? ハチミツ」

「いや。だからね、リコ」

 俺は今、甘味料が高いと言う話をしている。

 たもっちゃんはしょうがない奴だとでも言いたげに、ふうと息を吐いて首を振った。

 この世界で甘味料は全体的に貴重である。

 とは言っても程度があって、黒糖と呼ばれる土色の砂糖は比較的安価だ。ただしごはん茶碗に一杯くらいで銅貨二枚とかする。私の感覚からすると、安いとはとても言いがたい。

 あくまでも、ほかの甘味料に比べれば手頃と言えなくもない。そんなレベルだと思う。

 その次に手に入りやすいのは、ハチミツだ。ただし、これは普通に高い。同じくらいの分量で、黒糖の五倍はするそうだ。恐ろしい。

 異世界よ、草刈りババアに慈悲はないのか。私は甘いものが食べたいんだよ。

 甘味料のしょっぱい話を聞く内に、ホットケーキが焼き上がる。夢いっぱいのこの食べ物は、しかし時に人を選ぶ。

「すまん。実は、甘いものはあまり……」

「私もだ」

 ホットケーキを一口だけ食べ、フォークを置いたのはテオとアレクサンドルの二人だ。兄弟とは、味覚まで似るものか。残念だが、苦手なものは仕方ない。

 しかし、伏兵とは思わぬ所にいるものだ。彼は信じられないと言うふうに、動揺に震える茶色の瞳で皿の上をにらんだ。

「これは……何だ!」

「ヴェルナー?」

 どうかしたかとアレクサンドルに問い掛けられて、彼はハッと我に返った。

「いえっ……あの、何でもありません」

 あわててうつむくその顔が、完全にしまったと言っている。私は、察した。これはあれや。男の人がイメージを気にして、甘いものが好きだと素直に言えないパターンのやつや。

「たもっちゃん」

「ん?」

「ハチミツ出して」

 確信を持った要求に、たもっちゃんはギクリと体を揺らした。

 さっきハチミツはないかと聞いた時、ハッキリないとは答えなかった。あの感じは、大体持っている時だ。さあ、出して。実はあるだろ、高級甘味料。対エルフ用として。

「あとで買って返すから。私がんばって草むしるから」

「えぇー、やだー。そんな蜂蜜好きだっけ?」

「私じゃないよ。あの人甘いもん好きっぽいから、ハチミツで懐柔しときたいんだよ」

 これはもちろん、ヴェルナーのことだ。

 ホットケーキの福音に今は動揺しているが、あの男は我々に厳しい。視線がきついし、言動は辛辣だ。だからこう、なんかさあ。賄賂が効くなら、それもまたいいじゃない。

「本人の前でそれを言うのか……」

 テオが戸惑いながら呟く横で、レイニーがすっと一歩進み出た。そして印籠のように差し出したのは、厳重に封じてある小さな壺だ。

「リコさん、蜂蜜はこちらです」

「なん……だと?」

 たもっちゃんは一瞬だけきりっとした顔で、すぐにわちゃわちゃ取り乱した。

「うわー、待って。ちょっとホント待って。何でレイニー知ってんの?」

「いけませんよ、タモツさん。美味しいものは、分け合わなくては」

 あわてるメガネに慈悲深く、それでいて毅然とレイニーはさとす。

 しかし片手にテオから譲り受けたホットケーキを確保して、ハチミツが掛けられるのを待っていた。だから多分、なにもかも自分のためだろう。罪深い。だが、よくやった。

 ヴェルナーは、堕ちた。

 あ、甘いものなんか好きじゃないんだからね! みたいなことも言っていたが、ハチミツを掛けたホットケーキにどう見ても即落ち二コマです。本当にありがとうございます。

「リコ……」

 たもっちゃんが忍びより、私の肩をぬらりとつかんだ。

 ひどいことをした自覚はあるが、後悔はしてない。しかし高級ハチミツを失って、メガネの輝きはどんよりしていた。

「一緒に行ってくれるよな」

「……えー……と、どこに?」

「ダンジョン」

「ダンジョン?」

「ダンジョン、できてるとこなんだって」

 肩に置かれた手の力は強く、逃がすつもりはないのだと解る。

 なにもない荒野の真ん中に、彼らが集まっているのはそのためだった。絶え間なく降りそそぐ雨に耐え、ぬかるむ地面に体を休めてじりじりと。

 シュラム荒野の地面の下で、新たなダンジョンが生まれる時を待つためなのだ。

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