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289 お説教が始まる前に

 我々も、覚悟は決めていたのだ。

 まず、お説教が始まる前に相手が引くほど謝っておこうと。

 それがこのていたらく。

 思わず謝るより先に突っ込んでしまった。

 あと、部屋の空気がひんやりしたと思ったら、我々が居間に入る間は開け放たれていた入り口が執事によって閉められて、室内の冷たい空気を出す魔道具がよく効いてきただけだった。

 機先を制する公爵。

 完璧にサポートする執事。

 相手のほうが何枚もうわてだったと言うことだけが、はっきりと解る。

「ねー。嘘でしょ? ねー。俺らね、絶対めたくそ怒られると思って、結構びくびくしながらきてるんですよ」

 それをあんた、まさかそんな。

 まるであきらめ半分に、薄情な恋人を責めるかのような。

 なんか大丈夫そうだと察し、我々はムダに怯えた時間を返してくれとばかりに訴えた。

 のん気なものである。

 淡紅の瞳を笑みに細めた公爵が、「それは、あとでね」と告げるまでだけの、かりそめの安心とも知らず。

 どうやら、あとから普通に怒られるらしい。そりゃそうだ。暗澹とした納得が深まる。

 また、そんな我々のそばではアレクサンドルとテオのキリック兄弟が小さな声で緊迫感あふれる言い争いをしていた。

「テオドール……まさかお前も、公爵様の寝室に……」

「兄上。兄上。落ち着いて下さい、兄上」

 ちなみにアレクサンドルの手はまあまあ最初からテオの襟元をしめ上げて、腹心の隠れ甘党ヴェルナーがものすごい至近距離でその様を見ている。

 正しくは、ものすごい顔をテオの横顔に突き付けるようにしてじっとりと見ている。

 アーダルベルト公爵がついでのように暴露した事実で、ずいぶん動揺させてしまったようだ。

 まあな。

 貴族的に死ぬほどえらい人の寝室に、どやどやと遊びに行くのとかおかしいもんな。解る。解るよ。

 居間のソファにすでに腰掛けた公爵と、公爵に席を勧められたヴァルター卿はおやおや元気だことみたいな感じで見守るばかり。

 ローバスト組は付いてきてないし、残りは我々とアレクサンドルの部下くらいだ。公爵家の使用人はいるが。

 この中で言えば、テオのフォローは我々の役目だ。が、しかしここで口出しすると、フォローと言うかただの自白になるような気がする。

 テオはただの巻き添えで、実際にやらかしているのは我々なので。

 そうだね。困るね。

 あんまりうっかり自白してしまうと、我々がテオの悪い友達であるとハッキリ露見することになる。

 まるで目に浮かぶかのようだ。テオの兄であるアレクサンドルに、あんな子たちともう遊んじゃいけませんと言われる悲しい未来が。

 テオは我々の大切な常識担当なのである。

 これからも一緒にわきゃわきゃしたいし、なんかやらかしそうになったらできるだけ事前に止めるなどして欲しい。

 だから、我々はテオとの友情を守らねばならぬ。

 そして、ついでに保身もしたい。

 そんな気持ちでじりじりと、どうにかならんかと頭を悩ませる我々。

 静かに、しかしギチギチとテオを問い詰めるアレクサンドルと部下。

 屋敷の主たる美しき公爵と、我々のお迎えについて首尾を報告する老紳士。

 真っ白な髪とヒゲを品よく整えたヴァルター卿は、「そうそう」と今思い出した様子で上着のポケットから封筒を出した。

「ローバスト伯爵夫妻から手紙をお預かりしております。昔馴染みへのご挨拶だとか。どうぞ、お一人でゆっくりお確かめに」

 公爵は淡紅の瞳をきょとんと開き、それから「卿を使うとは!」と笑う。

「ローバストは豪気ですね。私など、ヴァルター卿にはすっかり頭が上がらなくなってしまったと言うのに」

「おや、そうでしたか。これは良い事を聞きました」

 どんなお願いを聞いて頂こうかな、と。

 冗談めかすヴァルター卿に、公爵が今回のお迎えの旅の礼を言う。

 二人の紳士はほがらかに笑うが、なんだろうな。この感じ。

「たもっちゃん。貴族の会話って台本でもあんの? なに、あのジョークまで織り込み済みみたいな予定調和感」

「解る。台本はなくてもテンプレはありそう」

 貴族のたしなみと言うものなのか、それともウイットに富んだ会話的なことなのか。

 アーダルベルト公爵と老紳士の会話が、大企業の社長と取引先の会長みが強いとメガネと私の間だけで話題。

「しかし、今回は心強い同行がありましたので。わたしなど、気楽なものでしたよ」

 ヴァルター卿のそんな言葉で水を向けられて、アレクサンドルがはっとする。

 公爵様の目の前で自分はなにを。みたいな感じで緊張に一瞬体を硬直させたが、急いでテオの胸倉を離すと体勢を整え立位で騎士の礼を取る。

 私は騎士のことに詳しくないのでよく解らないが、騎士服の胸に手を当てて頭を垂れる感じがそれっぽいから多分そう。

「私共こそ、我が弟のため公爵様並びにヴァルター様にもご尽力頂いた事、心より感謝致しております。このご恩をどうすればお返しできるものかと、少々頭が痛くもありますが」

 恐縮と苦々しさを見事に両立させた表情で、頭を下げるキリック家の兄に公爵はふふっと笑いを含んで息を吐く。

「そう気負わずとも良いさ。私にとっても、テオは大切な友だから。それとも、同志とでも言うべきかな」

「勿体ない事を……」

 公爵の地位にある人が、そこまで言うとは思わなかったのだろう。

 アレクサンドルやそのそばに控えるヴェルナーは素直におどろき、それからあわてて頭を下げる。そんな中、だた一人「友」や「同志」に含まれた意味を正しく理解したテオだけが、どうしようもなく遠い所を見ていた。

 つまり、異世界的に非常識な我々のお守りなどの意味である。

 その点は、我々からも一つ。どうぞよろしくお願いします。

 そんな思いで我々もそっとテオに頭を下げて、公爵家の居間に集まる過半数の人間が誰かしらに頭を下げている一種異様な光景が生まれた。


 さて、ではそろそろと。

 ヴァルター卿が公爵家を辞去したのはそれからすぐのことである。

 テオと我々を連れ帰り、ローバストから預かっていたらしき手紙も渡した。詳しいことの報告は、シュピレンへ同行していた公爵家の騎士たちでこと足りる。

 妖艶なマダム・フレイヤと愛娘が待っているのだろうし、早く帰りたいのも解る。

 私はメガネと一緒に公爵家の玄関まで見送りに出て、些少ですがとスゲーヘチマの保湿ジェルをマダムとレディたちに行き渡る数でお渡ししておいた。

 老紳士はそれを、「うちの者からしばらく大事にされそうですな」と笑って受け取った。

 馬車をあやつるノラに手を振り、同じくお見送りに出ていた執事さんと居間へと戻る。

 すると、まず公爵の声が聞こえた。

「重荷に感じる事もあるだろう。こちらがこんなに気遣っているのに、能天気に過ごす姿に苛立ちを覚える事もあるだろう。私達は凡人だからね。仕方のない事だよ」

「……公爵様が凡人かどうかはともかく、自分の身にはお言葉が沁みます」

 答えているのはテオだった。

 どうやら、公爵がテオをはげましていたようだ。

 なぜだろうね。ぐうの音も出ない。

 我々の名前は出ていないのに、絶対に我々の話だと言う確信がある。

 これ今入ったらそのままお説教になるやつかなと、メガネと二人、居間の戸口で顔を半分だけ出して注意深く様子をうかがっていたら、すぐバレた。

 きちりとした格好できちりと背筋を伸ばした中年の執事が、我々のために扉を開いて待っているので全然隠れられていなかったのが敗因である。

 けれども公爵から掛けられた言葉は、意外にも困ったような声色をしていた。

「戻ったか。良ければ、その子に私を紹介してくれるかな? 何だか、顔を見せてもらえないんだ」

 その子、と言われて視線が集まるのはじゅげむだ。この部屋に子供は彼だけなので。

 じゅげむはもじもじ耳まで赤くして、仁王立ちした金ちゃんの足に後ろからしがみ付いている。

「寿限無、どうした? 恐くないよ」

 屈んで視線を合わせたメガネに、じゅげむの頬と口元がもにゅもにゅと動く。うまく言葉が出てこないのを、懸命に探しているように。そして、思い切った様子で問うた。

「……てんしさまですか?」

 そんな熱っぽく輝く子供の瞳に映るのは、美しきアーダルベルト公爵である。

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