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287 深淵な気分

 つたのマットの寝心地を試し、代わる代わる腹筋運動して行く数々のおっさん。

 そんなむきむきとした獣族の中にまざって、なぜかヴァルター卿までが横たわり寝たり起きたりをくり返していた。

 なぜなのか。

 なぜ、そこにヴァルター卿がいるのか。

「なにやってんすか」

「今日は、木工所と工房の視察を……」

 信じがたいものを見てしまったみたいな気分のメガネと私に、老紳士はつたのマットをそっとおり、少し恥ずかしそうに答えた。

 なお、マットの寝心地を試すため、ちゃんとおっさんたちの列に並んで順番待ちをしたそうだ。

 でもね、紳士。聞きたいのはそこじゃない。

 いや、つい気になった以上の答えは出てこないだろなとは思う。でもなんか、確かめずにはいられなかった。

 このものすごくよく晴れた夏空の下、仕立てのいい服に身を包む上品な紳士が獣族のおっさんたちに囲まれて、「おっ、なかなかやるね!」とか声を掛けられながらふんふんと腹筋運動をしている姿はさすがにちょっとすぐには飲み込めないと思うの。

 ヴァルター卿は本人が今そう述べた通りに、村や村の近くに作られた圧縮木材の関連施設を見て回っていたらしい。

 恐らくヒマだったのだろう。

 渡ノ月の諸事情などで、我々は村に数日滞在すると伝えてあった。

 そしてアーダルベルトの信任を受けて色々と骨を折りにやってきたヴァルター卿や公爵家とアレクサンドルなどの騎士たちに取っては、テオを含めた我々を王都へ連れて行くまでが遠足みたいな雰囲気があった。

 詳しい事情はぼかしたが我々が渡ノ月が明けるまでヴィエル村から動かないと解ると、彼らはじゃーこっちは適当にヒマ潰しとくねと自由にすごしているはずだったのだ。

 だから、その自由時間を圧縮木材の技術を本格的に商業ベースに乗せんともくろむ製造現場の視察にあてているのは妥当とも言える。

 ヴィエル村の近辺に、娯楽と呼べるものはなにもないので。

 しかしヴァルター卿に同行していた公爵家の騎士たちが、老紳士だけに恥をかかせてはならぬとばかりに列に並んで順番を待ち、せっせとつたのマットの寝心地を確かめ次々に腹筋して行く姿などを見ていると、もうなにも解らなくなるのだ。


 人生ってなんなんだろうなみたいなムダに深淵な気分になりながら、私が私のためだけに煮たつたは品質管理に厳しいメガネが一作目よりも絶妙にほぐれた、少しやわらかい絡ませ具合で枠に詰めて乾燥させた。

 その作業の様子を見ながら、感心したように話すのは木材を扱う獣族のおっさんたちである。

「このツタはよォ、生きてる時はまだいいんだけどよ。枯れるとノコギリの刃ァ欠けるくれェ硬くてよ。村に生えると厄介なんだ。こんな使い道あるとはなァ」

 そう言うクマのおっさんに、意外にむきむきとしたヒツジっぽいおっさんがうなずく。

「あァ。昔住んでた家がそれで潰れた事あらァな。いざとなったら食えるかもつってよ、ほっといたのがよくなかったけどよ」

「これ……食うのかよ……」

 つたに家を潰されたのを笑い話のように語るヒツジに、タヌキのようなアライグマのようなおっさんが悲しそうに引いていた。

 彼らの口ぶりからするに、このつたは元々かなり頑丈で、厄介な雑草扱いのようだ。

「このベッド、結構いいな。材料はいくらでもあるしよ」

「製品になんねェか?」

「いや、売る前に自分ちに欲しい。最近寝ても疲れが取れなくてよ」

「お前もか。オレもだ」

「年かねェ」

「おいやめろ」

 もしかすると我々は始末に困る雑草の有効な使い道を開発したのかも知れないと思いながらに聞いてたら、最終的にはおっさんたちの加齢による体の衰えの話になっていた。

 気持ちは解る。解りたくはないが。

 私も、耳の奥に生えていて聴力をつかさどりながらなぜか年齢と共に無情にも抜け落ちるらしい謎の毛や、加齢と共に容赦なくすり減ると聞く膝の軟骨とかを大切にしたい。

 生きるって、素晴らしいけど悲しいね。

 みたいな感じで気持ちの上でおっさんたちにより添っていたら、もふもふむきむきとした獣族の集まりをかき分けて一人の人族の男が出てきた。

「ああ、やっぱり! 君達か!」

 年の頃は二十代後半。ゆるく後ろになで付けた髪は気だるげに乱れ、額や頬に落ちている。

 生地からして上等そうな品のいい服を着崩した、見るからにチャラすぎるこの感じ。

 なんとなく覚えがあるのだが、なんかうまく出てこない。

「ごめん、誰だっけ」

「もっと気を遣ってまずは探りを入れてくれてもいいんじゃないかな。ペーガー商会のフーゴなんだけどね」

 ちょっと傷付いた感じで言いながら、でもちゃんと名前も教えてくれる。ありがたい。

 しかし、我々はお礼や謝罪を言うよりも、まずおどろくので忙しかった。

「嘘でしょ」

「お前どうした」

「あ、解る? 最近ちょっと筋肉が……」

 フーゴはちょっとうれしげに自分の二の腕をもんで見せたが、そこじゃねえ。

 我々の前に現れた彼は、体のラインに合わせたベストに胸元をめいっぱいにくつろげたシャツと言う服装だ。

 これは、王都にある夜のお店で昼間にうっかり出会った時にもそうだった。

 ペーガー商会の次男坊である彼に実家のお店に連れて行かれた時にもそうだし、ギルドを通した正式な依頼で王都からローバストまでフーゴと連れの料理人を運び、クマたちの村に置いて別れた時にもそうだったはずだ。

 しかし服装がいくら同じでも、今はもう全然印象が違う。

 本人の言葉によると「最近は木工所や工房で王都で売れそうな商品を開発したり、ちょっと仕事を手伝わせてもらったりしているんだ」とのことだ。

 力仕事も手伝っているのか、筋肉が付いたのは事実なのだろう。

 それで体のサイズが変わったらしく、ボタンの閉まらないベストだけでなく中に着た白いシャツまでが全開である。服とは一体なんのためにあるのか。考えさせられる。

 そして、肌。

 さながらタレの掛かった焼き鳥だ。

 フーゴは夏の日差しを独り占めしたパリピのように、黒光りするほど焼けていた。肌の黒さに顔の造作は埋没し、これで見分けろと言うのは酷な話だと思う。

「中国人シェフが丹精込めて焼き上げた北京ダック……いや、やっぱり照り焼きチキン……」

「リコさん。それはどの様なお料理なのでしょう」

 フーゴのてりっとした肌色を、どう表現するのが的確なのか。

 多分どう表現しても誰も気にしてないのだが、どうもしっくりこないなとムダに頭を悩ませる私に、レイニーが料理の気配を察知して食い付く。

 それと同時に私は私のためだけに若干やわらかく作ってもらったつたのマットを地面に立ててしっかり支え、このマットでも寝心地を確かめ腹筋せんと迫りくるおっさんたちから断固として守ることも忘れない。

 また、こうして私がムダに悩み静かに戦っている一方で、うちのメガネはフーゴの商人トークにからめ捕られようとしていた。

「ローバスト領の文官長、シュヴァイツァー様は知ってるだろう? 君達に置いて行かれた後、何だか鍛えられてしまってね。目を引く技術があれば確保しておくように言われているんだ。ペーガー商会としても立場があるし、ローバストとは是非とも友好的な関係を築きたいじゃないか? さ、解ったら、そのツタのベッドの作り方と仕様書を書いて」

「ねぇ、事務長って自分の人格を別の人に植え付ける能力でもあんの?」

 フーゴがつらつら話すその途中、たもっちゃんはまあまあ真剣に事務長人格移植説を唱えた。解る。疑ってしまうその気持ちが解る。

 厳密には事務長の感じとはまた違うたたみ掛けかたではあるが、絶対に逃がさないと言う強い姿勢は大体一緒だ。

 このナチュラルにディスりがちなメガネの言葉を、しかしフーゴは気にもしなかった。

 彼はよく日に焼けた顔でぱちんと片目を閉じて見せると、めちゃくちゃチャラくにっこりと笑む。

「それと、あの乾燥させる魔道具の板。あれ、魔法術式ごと買い取らせてくれるかな? 大丈夫。価格は交渉に応じるよ」

 自分の要求を突き通すことに特化した、この感じ。

 よく考えたら事務長の人格を移植するまでもなく、フーゴも最初から我々を逃がさないタイプだったような気がする。

 だとしたら、なおさら事務長とフーゴを出会わせてはいけなかったのかも知れない。

 見ろ。その辺にいたむきむきとした獣族を使い、メガネを担がせ建物の中に入って行くあの様を。

 あざやか。

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