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256 バザール

※異世界異形肉注意。

 まあ、なにごとも予定通りには行かないものだ。

 とりあえず寝る前に写本でもしとくかと机と筆記用具に向かっていたらまたも時間が消失し目覚めると朝になってしまっていたり、数日は自由時間のはずなのに老獪なヴァルター卿と冷血ロボの事務長が申し合わせて我々の監視に騎士が付くことになったりもした。

 なお、それとは別に隠れ甘党が二人ほど、テオのお兄さんであるアレクサンドルの意向によってテオに密着させられている。首輪がなくなる前よりも、恐らく今のほうが監視が厳しい。

 じゅげむと名付けたうちの子供を構いたくて仕方のない騎士たちと、もはやじゅげむの庇護者でしかない金ちゃんががるがるうなって同レベルで張り合っているのを止めるすべもなく見ながらに。

 人数のふくれ上がった我々が、朝から向かった先は市場だ。

 それとも、バザールとでも言うべきか。

 市場となった道の左右は二階建ての建物にはさまれて、その建物の一階部分に入った店がずらずら連なり通り全体をにぎわせていた。

 頭上の高い所には左右の建物をつなぐ形でアーチ状の屋根があり、雨季には雨を、夏にはきつい日差しを防ぐ。

 土を日干しにした質感の、アーチ屋根のところどころには花のような形に切った明かり取りの窓がある。建物の二階部分には幾何学模様に組まれた格子が取り付けられて、壁には植物をモチーフにしたレリーフが浮かぶ。

 一階の店先に所せましと陳列されためずらしい品々と相まって、この場の全てが異国の情緒をかもし出す。

 まあしかし、それらの情緒を取り払って表現すれば全天候型のアーケード街だ。我々の目にはエキゾチックが止まらないこの風景も、地元民にはただの日常なのだろう。

 ざわざわと混雑する通りの中を、ある者はお目当ての品を探して急ぎ足で通りすぎ、ある者は身振り手振りをまじえながらに店主と値段交渉をしていた。

 どうやらこの市場では定価と言うものがなく、交渉で価格を決める方式らしい。

 店主の評価が思い切り売値に出るかと思うと、私としては吹っ掛けられる自信しかない。

 このなかなかつらいシステムに、ここでなぜだか闘志を燃やして見せたのはメガネだ。

「まー見てて。俺、リコが引くくらい上手くまけさせて見せるから!」

 たもっちゃんは鼻息荒く意気揚々とそう言って、アーチ屋根の市場へと足を踏み入れた。

 そして数メートルも行かない内に、すがすがしいほど負けていた。

 ぽってりとした陶器の肌に幾何学模様がペイントされた大きなお皿。素朴ながらに味のあるカラフルな首の長い壺。この辺りでは伝統的なモチーフだと言う植物の柄が描かれたタイル。それと似たテイストの小鉢のようなかわいいお皿。フタの付いた砂糖入れのような容器に、原色なのに細かな柄が差し色になり不思議と優しいティーカップ。

 それから細かな模様が刻まれた金属製の食器としては、ワイングラスみたいな形のゴブレット。ごく小さな杯。なんのためにか脚とフタの付いた深皿。重みのあるトレイ。

 基本の形は丈の長いスーツのようでありながら、肩やウエストの所から謎の布がずるずると出た紳士服。なぜか爪先がとがってくるんと反り返る靴。日除けのためのつばがなく、カップ麺の容器みたいな小さな帽子。

 あとは、シンプルに布もある。ショールのようにそのまま巻いて使えるものから、普通に服に仕立てるような量の布までこの染めがいいんだとどんどん押し付けられていた。

 しゃらしゃらと長い糸に通された状態できらきら深い色に輝くビーズは、多分だが手芸用の素材だと思う。

 市場に入って少しして。

「引くほどうまくまけさせて見せるとはなんだったのか」

「安くするって言うから……安くしてくれるって言うから……」

 雑踏の中で立ち止まり疑問を呈する私に対し、メガネはうわごとのように呟いてがくりと地面に両手を突いた。その周りに積み上がっているのは、これまで通り掛かった店と言う店のほとんどでいつの間にか購入してしまっていた品々だ。

 お前が連敗しとるじゃないか。

「いや、たもっちゃんがいいならいいんだけどさ。しかしちょっと負けすぎにもほどがあるのでは。このポンコツめ」

「リコ、もっと優しくしてくれていいのよ」

「必要ないなら返品してはどうだ?」

「でも買うって言ったのは俺だし……」

「そうですね。見事に踊らされていましたね」

「レイニー、人の心をもうちょっと持って」

 私がディスり、テオがまともな提案をして、レイニーからまたディスられて、メガネの心が折れ気味のところへおずおずと。

 じゅげむが小さな両手で大切そうに、卵型の丸っこい焼き物を持って問う。

「たもつおじさん、これも? これも返しちゃう……?」

 いらねーもんばっか買わされやがってみたいな空気しか出さぬ我々大人とは違い、じゅげむは純粋な興味を持ったようだった。

 そのことに救われるとでも言うように、たもっちゃんは「寿限無が欲しいならもっと買ってもいいんだよぉ!」と半泣きで叫んだ。

 そしてその小さな体を抱きしめようした寸前で、「おい、やめろ」と監視要員の騎士たちにがっしりブロックされていた。

 じゅげむが持っていた卵型の焼き物は子供の両手いっぱいほどの大きさで、土笛と呼ばれる楽器のようだ。

 表面にペイントされた動物の顔には筆の跡が見て取れて、少しすぼまったてっぺんに笛になった吹き口がある。丸っこい胴体に小さな穴が左右二列にいくつか空いて、それらを指で押さえることで音階が出せるつくりのものらしい。

 金ちゃんの肩に戻された子供が移動中にもぼえぼえと土笛を吹くかたわらで、笛が得意だと申告してきた騎士たちが歩きながらに簡単な曲を教えてあげてくれていた。

 あっと言う間に山盛りになった買い物はいくらかをアイテム袋に偽装しながらアイテムボックスに収納し、残りは手分けして運ぶ。

 結局、どれも返品はしなかった。単純に負けたメガネが悪いのと、取り急ぎ手持ちのシュピを使い切ってしまわなくてはいけないと言う両替手数料が嫌すぎるがゆえの使命を急に思い出したので。

 そうしながらに市場を奥へと進んで行くと、空気が少しひんやりとした場所がある。食品を扱う店が集まっている一角だ。

 食品ゾーンの始まりは何種類ものスパイスが大きな壺でいくつも山を作った店舗で、ここではメガネがはあはあしながら自発的に片っ端から買い求めて行った。

 スパイスの店が何軒かかたまった辺りを抜けると、次は乾物。各種のお茶や、干した果実などの店などがある。

 おもしろかったのは砂漠の果実を干した末の物体で、黒なのか茶色なのかも解らないしわくちゃで固いのに内側だけがぐねぐねとした、道端にでも落ちていそうな雰囲気を持つ。

 クルミのようなころんとしたその物体がミステリアスすぎてためらうが、店主がぐいぐい勧めてくるので断り切れずに試食する。と、これがやたらと覚えのある味だった。

「えっ、何だろこれ」

 もうちょっとで思い出しそうなのに、ハッキリとは出てこない。そんなもやもやに苦しんでいるメガネの横で、私はあざやかによみがえる記憶にハッとした。

「干し柿だ。干し柿の味だ。はるか昔の子供の頃にばあちゃんが干してるの勝手に食べたら生え変わりで元々ぐらぐらしてた前歯が折れてぎゃん泣きした時と同じ味がする!」

「それ、もうほとんど血の味じゃない……?」

 言われてみたら、そうかも知れん。

 干し柿に鉄分を加味したようなドライフルーツは私のトラウマを刺激はしたが、なんかおいしかったので買った。

 勧めた店主は前歯が折れたエピソードでドン引きし、ムリはすんなよと心配したが痛い記憶と懐かしさだと、懐かしさが勝つので多分平気だ。

 乾物ゾーンを抜けると次には新鮮な野菜を並べた店が多くなり、空気の温度も少し下がったような気がした。

 紫色の金属バットみたいなおイモを筆頭に気になる砂漠の植物性食品を買い求め、市場の中で一番冷えているらしき精肉店が軒を連ねる区画へと入る。

 シュピレンのお肉と言うと、やはりあの噛むと中からスープのような肉汁が出てくる謎肉だ。あれはとてもいいものである。シュピならあるんや。この街を離れる前にできるだけ、確保できるだけ確保して行こう。

 この時ばかりは私もテンションをはあはあと上げ、そのためにうっかり失念していた。

 シュピレンで肉屋にくるのは初めてで、謎肉がブロック肉になる前を見るのも初めてであると。そして、私は割とひ弱な現代っ子だ。

「そうだなー。とりあえず五匹くらい捌いてもらって、お肉は全部下さい」

 たもっちゃんが普通に注文するのはカウンターのようになった店先で、その向こうには薄汚れたエプロンで大きな包丁をにぎる恰幅のいいおっさんがいた。

 背後の天井にはフックがあって、なんか。なんかこう……。全体的ににゅるっとした質感の、人の腕ほどもあるイモムシめいた物体がずらずらとぶら下がっていた。

 いい肉の、元の姿がものすごく厳しい。

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