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255 沼

 賭博の街に結構長くいながらに、カジノに足を踏み入れるのはよく考えたら地味に初めてのことだった。

 識者によると、シュピレンのカジノでは小さめの生き物を走らせて賭けるタイプの賭博も結構あるそうだ。そう言えば、シュピレンの街の入り口にある小さな賭場で、カメなんかを走らせているのを見たことがある。

 ちなみに、この識者と言うのは飼い慣らしたネコチャンたちを走らせて小金を稼ぐライオン的な飼い主の男だ。

「て言うか、ライオンの人じゃん。闘技会にゼルマのところから出てたでしょ」

 私、覚えてるんだからね。

 手なずけたネコチャンたちを最終兵器みたいに使って戦おうとしてたこと、全然許してないんだからね。特になにかする訳でもなく、ただ許さないと言うだけのことだが。

 ローバスト伯爵夫妻とついでに私がネコチャンの沼に落ちたと察してか、ライオンは筋骨隆々とした恵まれた体躯にグローブのようなぶ厚い両手でちんまりとカゴを持って現れた。カゴの中身はネコチャンのおやつだ。

 この時、テオは遠巻きに、ネコチャンの柵から必要以上に距離を取っていた。彼が先日参加した、闘技会での苦い記憶でもよみがえってしまうのかも知れない。

 しかし私の発言で、知己のライオンがいると解ると彼は灰色の瞳を見開いた。そして古い友人にでも接するように、親しみのにじむ声を掛けていた。

「ここで働いていたとは」

「闘技会のあとからだ。こいつらが客を呼べると誘われてな。そちらも、自由になったか。首輪がなくなったじゃないか」

「あぁ……」

 ライオンめいた獣族の男がそうとは知らずうっかりテオの傷口に触れ、一瞬ものすごく暗い顔をさせる。

 しかし、基本的には再会をよろこんでいるようだ。

 こぶしを交わして友情が芽生えた的なやつなのか、男たちはがしりと握手して互いの肩を「よかったよかった」とばしばし叩く。

 ライオン的な獣族の男が持っていたネコチャンのおやつはカゴごと全て奥方様と私が買い占めていたので、彼の手は自由だったのだ。ネコチャンかわいいよネコチャン。

 沼と言う名ののっぴきならない信仰上の理由によって買い占めてしまったネコチャンのおやつは、なんらかの挽肉を固めて乾かしサイコロ状に切り分けた感じのペレットだった。銀紙でキャンディーみたいに包んで売ってる謎の肉のおつまみにも見える。

 それを柵の向こうにばらばら落として献上すると、ネコチャンたちは敷き詰めれた砂漠の砂をまき散らし、おやつを求めてびたびた容赦なく暴れ回った。

 ぐぎゃぐぎゃとうなり声を上げながら、のた打ち回っておやつをむさぼるネコチャンもかわいい。

 かわいい、のだが。なんて言うかね。

 コースをかねた低い柵の内側で、おやつを奪い合うネコチャンたちはもはやただの獣と化していた。おやつの落下ポイントにうじゃうじゃ集まり、流体のようににゅるりにゅるりとうごめきひしめき合っている。

「なんかこう言う貪欲なコイを見たことがあるな……」

 日本庭園の池とかにエサを投げると池の中のコイと言うコイが集結し、我が我がとびちびち暴れて本能的に恐いやつ。

 エサを求めてうじゃっとひしめく集合体にうっかり指とか突っ込んじゃうと、普通に骨折するんでしょ。知ってるんだからと思ったが、それはコイの場合だけだった。

 識者であるライオンによると、うごめくネコチャンに手を出した場合、指だけでなく腕ごと覚悟しなくてはならないらしい。

 そんな獰猛さも含めて、私は……。

「かわ……いい……」

 ネコチャンを囲った柵にかじり付き、うわごとのようにかわいいとだけくり返す私の肩をメガネが揺する。

「リコ、そろそろ現実を見て。可愛い顔してても魔獣なのよ、こいつらは」

 そう、それもスッポンのように食い付いてピラニアのように食い尽くす悪食の。

 気を確かにとまで言い出したメガネの指摘に、私は改めてネコチャンを見る。

 砂漠の砂に同化する色褪せたベージュのネコチャンたちは、よく見ると毛皮にうっすらトラのような柄が見られた。かわいい。

 そのもきゅっとした口元から覗いているのは牙ではなくて、矢じりのような三角形がぎざぎざ並ぶサメのように鋭い歯列だ。地球のネコとは少し違うが、それでもかわいい。

 おやつを食べ尽くしにゃーにゃーと、愛らしい声で鳴くネコチャンたちが頭と前足を砂から出して期待いっぱいにこちらを見上げる。

 かわいい。

「かわいい」

 かわいいしかない。

「あっ、駄目だ。手遅れだこれ」

 たもっちゃんは私の横で、お前にだけは言われたくないと瞬時に思うセリフを吐いた。

 が、そちらとは逆の隣から「解るわ」とやわらかな声がすかさず上がり、すぐにどうでもよくなった。

 同意を示すのはローバストの奥方様で、解るのは私が手遅れの部分ではなくネコチャンがかわいいと言うところだった。

「魔獣がこんなに愛らしいなんて。連れて帰ってしまいたいほどだわ」

「解ります」

 どことなく、星の輝く夜空のような美しさをまとう奥方様が、ネコチャンたちにめろめろにされている姿は尊みが強い。

 私も真摯に同意を返し、低い柵に両手を掛けてほわほわとネコチャンたちの姿を見守る。


 そしてこれは完全に我々のせいだが、おやつを与えすぎたためその後はレースらしいレースにはならず、ただただネコチャンを愛でるだけの集まりとなった。それでも全然退屈しないから、ネコチャンはすごい。

 その至高の会合を、無情にも打ち切ったのは事務長である。奴には心がないに違いない。だから、ネコチャンのかわいさが理解できぬのだ。

 あー、ネコチャン! あーあー、ネコチャンネコチャン! ネコチャン連れて帰りたいよう!

 直接的にそう叫ぶ私と、叫びこそはしないが名残りおしげな奥方様を引きずったり強めにうながしたりして追い立てる一行。

 ライオンの男はそんな我々を、大切なネコチャンたちを大きな体の後ろに隠しながらに見送ってくれた。獣の姿の凛々しい顔が、ちょっとだけほっとして見えるような気もする。

 しかし、それも仕方ない。愛が重たすぎたのだ。我々ネコ沼の住人を、ライオンも警戒せずにはいられないほどに。

 こうして我々の初めてのカジノは、欲望うずまくテーブルゲームや舞台の上で舞い踊る薄着のご婦人などの印象がびっくりするほど残っていない状態で終わった。

 ローバスト伯爵夫妻の豪華な客室へと戻ってしまうと、同じホテルの中でありながらまるで夢でも見ていたかのようだ。

 本当にネコチャンのことしか覚えていなくて、私は一体今までなにを? みたいな気持ちにすらなった。いや、ネコチャンにおやつをばらまいていた記憶はあるが。

「では、今後についてですが……」

 奴隷となったテオを取り戻すと同時に、我々を回収する目的も果たした。あとはなるべく早く帰途へ着きたい。

 客室に戻ったローバスト伯にブーゼ一家と交わした交渉と約束を簡単ながらに報告し、事務長がそんな進言をする。

 ざっくりと慰安旅行の体裁を取ってはいるが、用が済めば長居は無用といわんばかりだ。

 あまりもたもたしていると、領主夫妻がシュピレンの闇に親しみすぎると危惧したのだろうか。ただしネコ沼にはずぶずぶにはまり切っているので、ムダな抵抗だと思う。

「あのー」

 と、そこで。品よく落ち着く領主夫妻や老紳士などと向き合う形で腰掛けた、ソファの上でうちのメガネが手を上げる。

「それって、すぐ出発ですか? 俺、街出る前に市場とか行って食材買いだめしたいし、仕立て屋に頼んでた服とか引き取りたいし、その支払いとかもあるんですけど」

「あー、私も。借りた本返さなきゃ」

 貸し本屋の魔女にカエルにされちゃう。

 今借りているものはもう少しで写本が完了するが、時間がないなら今回はあきらめたほうがいいのだろうか。

 自由時間とかないんですかー、と。計画にない場所に立ちよりたいとごねる修学旅行生のような我々に、今回の引率ポジションらしい事務長が首を振って答える。

「いや。シュピレンから出るには、デカ足に合わせるしかないからな。次の運行までは待つ。それまでは自由にしていて構わない」

 スケジュール管理も抜かりない事務長の話では、次にデカ足がブルーメに向けて出発するのは七ノ月の十五日とのことだ。今日が十一日だから、間に丸々三日の空白がある。

 それなら市場で買い物もできるし、仕立て屋にも足を運べるし、がんばれば本も写せるだろう。あと、ネコチャンの沼でひたひたにつかれる時間も取れるかも知れない。

 おとといまでは思ってもなかった急な帰国予定となったが、まだこの時は事務長が真面目くさった顔付きでデカ足とか普通に言うのちょっとおもしろくてずるいなと。そんなことを思うくらいの余裕があった。

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