252 無理
見ろ。
あの幼子の、あふれるような信頼と純粋なよろこびで輝くようなぴかぴかとした顔を。
言えるか? あれに。
今さら、その名前はちゃうんやと。キミの名前、実はまだ決まってないんやでなどと。
「とりあえず、私にはムリやぞ」
「俺だって無理だよ」
「こんな時ばかりわたくしのほうを見ないで下さい」
動揺した我々のすがるような視線が自然とレイニーに集まるが、本人がそれを感じた瞬間くらいにすかさずぴしゃりと拒絶されてしまった。気持ちは解る。
残る希望は我がチームミトコーモンの最後の良心。常識担当を兼任するテオだが、彼はブルーメの客とブーゼの幹部が話し合うボスの部屋に連れて行かれて今は不在だ。
いや、いたとしても頼めない気はする。
テオには絶対責任がないのに、こんな言い難いことを子供に伝える役目など。
できれば、我々だってやりたくはない。
しかし、さすがにこんなグズグズに大切な名前を決める訳には行かぬのだ。
メガネと私は梅干しを噛みしめたおばあちゃんみたいな顔で腹を決め、お茶を運んでちょこまか働くうちの子を呼んだ。
食堂の床に膝を突き、視線を合わせて子供に向き合う。
「あのな」
「はいっ」
「その……名前、なんだけど……」
「はい! じゅげむです!」
「……そっかぁ……」
「じゅげむかあ……」
ムリだった。
なんかもう、ムリだった。
我々に決められる腹などなかったのかも知れない。
こうしてひたすらグズグズに、うちの子はじゅげむになってしまった。
少しして、やたらと表情を引きしめて騎士たちは言った。
名前がないと可哀想だと思った。
保護者のいないところで話をしたのは悪かったが、本人に聞くのが一番だと思った。
そうして騎士たちが推す数々の命名候補に見向きもせずに、我々発信だと言う情報だけでじゅげむを選んだのは当事者である子供自身だったとも。
決して押し付けたりはしてないと、彼らは子供の自由意志を主張した。
「それに、タモツがあんなに長々と語るなら余程よい名なのだろうと思ったんだ」
だから、採用しても問題ないと思ってた。
でも、ちゃんと確認するべきだった。まさか嫌がるとは思わなかった。
なぜなのか解らんが、なんかごめんと。
我々の梅干し顔を前にして最終的に反省したらしい騎士たちの、困り果てた表情を見たまま私は幼馴染の名前を呼んだ。
「たもっちゃん」
長々と語ったとはなんなのか。
不審が芽生えた私の声に、たもっちゃんは自分の身を守るかのように両手を体の前に持ち上げ開いた手の平をこちらに向けた。
「待って。語ってない。そんなには。寿限無で一席とかやってないから。意外と覚えてるのがちょっと面白くなって、何度も寿限無寿限無繰り返してただけ」
「完全にそれじゃねえか」
じゅげむじゅげむとなんか熱心にくり返すから、それがメガネ最推しの案だと誤解を招いてしまった感じがするじゃん。
あれだろ?
なんかもう途中から、なにがおもしろいのか解んないのにバカみたいに楽しくなってきちゃったんだろ?
解るぞ。陰キャのコミュ障がたまにテンションをぶち上げてしまうと、加減が解らなくて暴走するんだ。解る。解りすぎてつらいほど。お前は私か。
手の平を体の外に向け両手を上げている状態は、まるで降参のポーズのようだ。
たもっちゃんはその格好でぼんやりと「やっぱり寿限無にも、ちゃんと寿限無は全文教えたほうがいいのかなぁ」などと、変な心配をしながらに朝の光が反射する食堂の天井をどこか遠くを見るように仰ぐ。
じわじわと責任を感じるあまりに逃避しているのかも知れないが、天井よりもしっかり現実を見て欲しい。
私、今すごくうまいこと言った。
教えるならちゃんと思い出さなきゃと、テーブルに紙と筆記用具を出してジュゲムジュゲムゴコーノスリキレがどうたらこうたらぶつぶつ地味にうるさいメガネ。
そのメガネが作った朝食を、同じテーブルでもりもり食べるレイニーと子供と金ちゃんと私。
ちなみに金ちゃんはやっぱりブーゼ一家の食堂にある脆弱と言うか普通のイスには座らずに、どっかりあぐらをかいた床の上から手を伸ばしテーブルの料理をひょいひょい強奪して行くスタイルだ。
ダシ巻き玉子が食べたいようと私がめそめそしながらも謎肉の入った味噌汁でしっかりごはんを食べてると、ボス部屋でブルーメとブーゼの話し合いに参加していたはずのラスと事務長がなぜか連れ立って食堂へきた。
「揃っているね。丁度良い」
「話がある。きなさい」
うなずき合うようにそう言って、我々を呼ぶ二人の姿に私はやたらと衝撃を受けた。
なんと言うことだ。
会議室でどんな事件が起こっているのか知らないが、私の中の腹黒順位一位と二位が普通に並んで立っている。
「やだー。インテリ系の腹黒キャラは同族嫌悪でギスギスしてくんなきゃ」
「わかる。そんで何となく賢そうな舌戦をいい感じに交わしてて欲しい」
ぐりぐりとラクガキを始めたペンを止め、ゆるい同意を示すメガネと私は本人たちの目の前で理不尽な失望に文句を言った。
ラスはほら。特にほら。暗黒微笑の生徒会チョロ副会長みたいなところあるから。
「人間不信こじらせてないと、その笑いかた、変。とかいきなりディスってくるヒロインになぜかころっと行く根拠が薄くなっちゃう」
「ヒロインだけが本当の俺に気付いてくれた的な?」
「それなのに生徒会長がライバルになると割とあっさり譲ってしまいがちな」
「ハーレムルート先輩の事も忘れないであげて下さい!」
「たもっちゃん、女子向け生徒会ものに詳しすぎない?」
話題が途中から感情を表に出さないクール系腹黒副会長あるあるになっていた気がするが、男子ってこんな付いてこれるもんなの?
「お前あれだろ。どっちがどっちか見分けられただけでちょっとした病みを感じさせる勢いでヒロインに執着する双子の書記とか心当たりあるだろ」
「いいの! 俺の中のツインテ女子がときめくの! 周りを見下し気味の生徒会副会長の波動には、人間を見下し気味のエリートエルフに通ずるものを感じるの!」
突然のイマジナリーツインテと独特の持論展開になんだそれはと思わず詳細を聞き出したくなったが、その深淵に踏み入る前に「おい」と背後で引きとめるような声がした。
見ると、そこにいるのは事務長だ。テーブルの向かいの席ではメガネが後ろを振り返り、自分の真後ろに立っているラスの存在にちょうど気が付いたところでもある。
そうだった。彼らはなんか、我々を呼びにきたっぽいんだった。
腹黒がいがみ合いもせず、普通の感じで普通にいるからそうじゃないと解釈違いを熱弁してしまった。
たもっちゃんと私が好き勝手にほざく、腹黒論をどう思ったのかは解らない。
しかしまあまあの悪口だとは解ったようで、こちらを見下ろす二人の顔は眉や片目をしかめるようにうそ寒くゆがめられていた。
これはいけない。
基本的に優しさの足りない腹黒たちに、ここぞとばかりに怒られてしまう。
我々は昨日覚えた梅干し顔でぎゅっと衝撃に備えたが、意外となにも言われなかった。
彼らは釈然としないものを感じさせる顔付きながら、今はそれよりとにかく早くと我々をボスの部屋へと引っ立てる。
まだ食べ掛けの朝食とレイニーたちを食堂に残し、たもっちゃんと私が連れ込まれた部屋は謎の毛皮や高級そうないかがわしい壺などで飾られたボスの部屋。ブーゼ一家にきた頃に、人買いから一家へとテオの身柄が受け渡された部屋でもあった。
えらい人たちがずらずらとイスなどに腰掛けている室内で、最初に口を開くのは真っ白な髪とヒゲを持つ琥珀の瞳のヴァルター卿だ。
「まず、テオ殿の身柄はブルーメへ。見返りとして代金と、シュピレンのブーゼ一家へ年に七槽の塩を別途三年間納める事」
老紳士のあとを引き継ぎ事務長が告げる。
「白旗焼きはレシピをブーゼ一家に譲渡。ただし、専売はシュピレンの内部のみ。ブルーメにおいての製作販売について、異議を唱えない事を条件とする」
なんの用かと思ったら、昨日から続いていた交渉が大体終わったお知らせだった。
さあ、どうだ。
怒られたくない一心で事態をこじらせた気がまあまあしなくもない我々が、蚊帳の外に置かれた途端にこの劇的な進捗は。
いっそ恐い。しかし助かる。




