248 意外と弟
しかし、テオも身内が相手だとあんな感じなんだねえ。
みたいな感じで我々は、うちの常識担当が意外と弟をこじらせているとか。あれあとで冷静になった時、絶対恥ずかしいやつだぜと。
たもっちゃんやレイニーと好き勝手に言いながら、長丁場を覚悟して殴り合いの兄弟ゲンカをのんびりと見守った。別の言いかたをすると、ただの見物でしかない。
テオとアレクサンドルを閉じ込める形で四角い箱型の障壁が張られ、その周りをブルーメの騎士たちや賭けを始めたブーゼ一家のチンピラと、近所のおっさんたちが取り囲む。
それが金網に囲まれたリング感があるって言うか、勝手に賭けを始めたおっさんたちが行け行けそこだと騒ぐのもあり屋外なのに地下闘技場感がものすごくただよう。
あと、それとはあんまり関係ないが近所の食堂の店主とおかみがいそいそと出てきて、酒や軽食を売っているのを見た時はくやしいのとうらやましいのでメガネが心底嫉妬していた。
まあそれはどうでもいいのだが、専門家によるしばらく掛かるの見立てに反してこのケンカはほどなく終わった。終わったって言うか、まあまあの強制終了に近い。
ボコボコの殴り合いが始まってから少しして、リングを囲む障壁近くに最強の調停者が現れたのだ。
それは隻腕のトロールを伴った、幼い子供の姿をしていた。
まあ、普通にうちの子のことだ。
「だめっ」
と、叫んだ子供の声が辺りに響き、後ろを振り返ったおっさんたちがトロールがいるのに気が付いた。それから逃げるようにあわててよけて、スペースが開くと小さな体がそこにするりと駆け込んだ。
「だめ! だめっ!」
彼は泣きそうになりながら、幼く小さな手の平でべちんべちんと障壁を叩く。
どちらかと言うと障壁は、見物人を巻き込まないために張られたものだ。けれども子供はそれがテオを閉じ込めているとでも言うように、やわらかな手が真っ赤になるのも構わずに必死の様子で叩き続けた。
もちろん騎士の張った障壁が、それでどうにかなることはない。しかし子供に慣れない大の大人が、困り果てるには充分だった。
障壁を作った一人の騎士が情けないほど眉を下げ、助けを求めてヴェルナーを見る。そしてその視線を受けたヴェルナーは、微妙な顔を障壁の中の上司へと向けた。
魔法で作った強固な壁の内側で、隔離された兄弟はすでにケンカをやめていた。
涙のにじむ声を上げ、子供が障壁に張り付く様子を二人は微妙な顔で見る。それから互いにつかんだ胸倉を、決まり悪げにそっと離した。
障壁が消えると同時に子供が飛び出すように走り出し、テオにがしりとしがみ付く。
「なるほどなあ」
テオにくっ付き離れない、いたいけな子供の姿に私はしみじみ呟いた。
「兄弟ゲンカだと思ってさ、のんびり見物してちゃいけなかったんだな。我々も。多分さ、こう。なんか。心配してますよ~! みたいな感じで、止めるフリだけでもしといたほうがよかったんだよ。きっと。外聞とかが」
「それ声に出して言っちゃうと何もかも手遅れだと思うけど言いたい事は何となく解るわ」
そんなの思い付かなかったねと、同じくなにもかも手遅れのメガネと共に変な反省に首を振る。
こう見えて、我々のハートは臆病な小動物のようなのだ。こう見えてもなにも、見たまんまと言う気はするが。
アレクサンドルの部下たちも慣れてるし、なんか普通にケンカが始まったからそう言うもんかと眺めてしまった。あと、ボッコボコに手の出るケンカを間近で見るのがほぼ初めてで、心の距離ができすぎていた。
テオもアレクサンドルも剣を持っていないだけ、よく考えたらこないだの闘技会よりもまだソフトなくらいだと思う。
なのに、気持ちの上では今のほうが引いている。やはり観戦距離の問題か、それともあの時は我々も闘技場の熱狂にのまれてしまっていたのだろうか。
ごめんな。色々。本当に止められたかどうかは別にして、止めると言う発想にすらならなくて。
とりあえず、なりふり構わずテオを助けに飛び込んだ、献身的な子供の姿になんかこう。居た堪れないとでも言うのか、恥ずかしいみたいな気持ちがすごい。
恐らくそんな、良心的な意味合いで、居心地が悪くなったのはやいのやいのと集まった野次馬も同じようなものらしい。
なんか知らんが始まった兄弟ゲンカで賭博を始め、心配も仲裁もしなかったおっさんたちはうちの子のガチさに気付いてすぐ逃げた。
子供が泣くんじゃしょうがねえなと口々に、そわそわ言うと賭けたお金を払い戻してあっと言う間に素早く散った。波が引くかのようだった。
ちなみに誰より撤収が速かったのは、ちゃっかり小金を稼いで行った近所の食堂の店主らだ。商売はああでありたいと、メガネがまたも感心まじりに嫉妬した。
野次馬たちが素早く去って、あとにはケンカをしていた兄弟とブルーメからの来訪者。そしてブーゼ一家の門の中へと一時撤退したチンピラたちが、ちらほらと残るだけになる。いや、我々もいるけども。
自分を心配するあまり泣きそうな子供に抱き付かれ、そして周りの生ぬるい視線にさらされて、テオもじわじわ我に返ってきたようだ。
イケメンと一部で話題の顔面を負傷でボコボコにしながらに、彼はそろりと身を屈め自分の足に張り付く子供を持ち上げる。それから妙にゆっくりと、顔を伏せて隠す形で小さな体を抱きしめた。
なんとなくだが、お前あれだろ。
子供の前でなにやってんだと今になって気付いてしまい、いたたまれない感じだろ。
解るぞ。見てるだけの我々も、ちょっと理由は違うだろうが一足先に恥ずかしい思いをしている。
そりゃ顔も隠したくなるわなと。
我々はしょせんひとごととして眺めたが、テオが心を立て直し子供を使って隠した顔を上げるまでそれなりの時間が必要になった。
こうしてボコボコ殴り合っていた割に、なんかあんまり内容のない兄弟ゲンカは微妙な感じでやんわりと終わった。
本当に内容がなさすぎて、あとから確認せずにいられなかったくらいだ。
「て言うかさ、なんでお兄さんがきたってだけであんないきなりガチギレすんの?」
細切りのチーズをばっさばっさと振りまきながら私が問うと、ポーションですっきり治った顔をテオは一瞬苦くゆがめて見せる。
「自分の不手際で奴隷になって、それを身内が買い戻しにくるなどと……みっともないだろう」
「ええー……意外とそう言う感じなの?」
「テオにもきまり悪くて素直になれないみたいな感覚あったんだねぇ」
情けないのと恥ずかしいのが極まって、逆にガチギレしちゃったとでも言うのか。テオはもっとなんかこう、そう言う時でも心の中で血を吐きながら表面上はちゃんとしてるかと思ってた。だって常識人だから。
テオも人間なんだねと変に感心しているようでナチュラルに追い打ちを掛けながら、たもっちゃんはふんわり発酵した生地を薄い円形にせっせと伸ばす。
そうして平たく伸ばされた丸い生地の表面に酸味を残して煮詰めたソースを薄く塗り、冷たいくらいに淡々と言うのはレイニーだ。
「難儀ですね。素直に感謝できないせいで、もっとみっともない話になっていますけど」
「レイニー……」
さすがにそれはひどいと思う。
もっと人の心を持ってもいいのよとメガネと私が首を振り、テオ本人はウッと目を閉じ下唇を噛みしめた。
踏み台に乗り調理台にかじり付き、ソースを塗った平たい生地にスライス野菜を並べるなどのお手伝いしていたうちの子が、心配そうにその手を止めてテオを見る。
場所はブーゼ一家の本部の屋敷の、あんまり使われてなさそうなのに設備ばかりはちゃんとした、広めの台所の中である。
我々はそこで、なんかヒマだし、でも屋台の仕事を手伝いに行ったり遊びに行ったりできる感じでもないと、とりあえず全力でお昼ごはんの準備をしている。
メニューはピザで、テオは野菜のあとにベーコン的なお肉の要素を載せるのと、子供の後ろでうろうろしている金ちゃんのつまみ食いを断固阻止するのが担当だ。
正直、こんなことをしている場合ではないような気もする。
しかし公爵から色々頼まれているらしい安心と実績のヴァルター卿とか、デレが難解なローバストの事務長、そして消息がよく解らなかった弟と再会したことで一瞬目的を見失ってた感のあるテオのお兄さんなどが今、ブーゼ一家の一室でボスや幹部のラスなどと会談を行っているかと思うと落ち着かずそわそわしてしまう。話し合いには同席したほうがいいのかなくらいに思ってたのに、付いてくんなと締め出されてしまった。なぜなのか。我々の悪口で盛り上がるつもりか。
久々のピザを前にして、細切れチーズを振りまく手にもムダな力が入ってしまう。




