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24 エビフライ

「リコ。俺、家建てるから」

 たもっちゃんは、三十年の住宅ローンを覚悟したお父さんみたいな顔で言った。

 ローバストの街から戻って、数日後のことだ。

「そうなの?」

「そうなの。何か希望ある?」

「……お風呂とトイレは、綺麗なのがいい。え、なに? 定住?」

「あー、お風呂かぁ。定住はしないよ。トイレは外になっちゃうと思うけど、考えとく」

 なんだよ。定住しないのか。

 儚い夢を見てしまった。

「定住しないのに、家を建てるのですか?」

 ヤジス虫がうごめく大きなカゴの前で、レイニーが言った。世話の途中なのである。彼女がフタを開けて待つその中へ、私はやわらかい草を投げ込んだ。

「うーん、何か。話の流れで」

「それよりさ、たもっちゃん」

「待って、リコ。それよりって。家だよ、家。夢のマイホーム。結構悩んだんだけど。税金とか、戸籍とかさぁ」

「定住しないならなにもかもどうでもいい。それよりね、これ。そろそろ食べようかと思うんだけど、エビフライにできない?」

 指で示したのは、目の前のカゴだ。中には、三十匹ほどのヤジス虫が入っている。ジョナスの店の厨房に置かせてもらっているが、場所を取って仕方ない。

「もういいの? ちょっとかわいいって言ってたじゃん」

「そのかわいいは台所で砂抜きしてるアサリに抱く程度の愛着だから。この際忘れて」

 最初は、ティモの弟にもらった二匹だけだった。これは私たちがローバストに出掛けている間、ジョナスが面倒を見てくれていた。

 カゴの中で丸まって、むしゃむしゃと草を吸い込むヤジスの姿は愛嬌があった。それでかわいいと、確かに言った。

 しかしまあ、限度と言うものがある。

 まず、ローバストみやげにお菓子をあげた子供たちからお礼だとヤジス虫をもらった。私の心の宝箱には肉球のメモリーが増え、ヤジス虫は七匹になった。

 十世帯ほどの小さな村に、子供は五人ほどしかいない。個人的におどろいたのは、子供の中にはティモも含まれていたことだ。

 年を聞いたら、十二だった。私より背が高いクセに。最近の子は発育が、とか言いそうになるのをぐっとこらえた自分をほめたい。

 それからだ。

 じゃあこれは苗や種のお礼だと、大人たちもヤジスをぽいぽいカゴに放り込むようになった。なんとなくだが、お礼と言うより余ったヤジスを放り込んでるだけって気もする。

 そうして中身がどんどん増えて、カゴも大きな物に取り替えられた。所せましとうごめく虫は、飼うと言うより養殖のおもむき。

 苗や種は、たもっちゃんが畑をつぶしたお詫びに買った。なぜ私が、その分の虫の世話まですることになるのか。

 自分でもどうかと思うが、サボテンすら枯らす人間である。生き物の世話とか、ホントしんどい。

「まだ色んなとこ見て回りたいからさ。あんまり住めないんだけど、いつでも帰れる場所があるのもいいかと思って」

 たもっちゃんは、真っ青な虫を手にして語る。その隣にはジョナスが立って、ヤジスのさばきかたを実践で教えてくれている。

 場所は酒場の奥の厨房だ。ちょうどお客のいない時間だし、聞いたことのない料理にも興味があると設備を使わせてくれた。

「このパンはよ、どうすんだ?」

 作るのは、エビに似たヤジスで作るエビフライである。

 ジョナスがのっそりと覗き込む前で、レイニーがごりごりと固いパンをすり下ろしている。これはパン粉として使う予定だが、色があれ。ミントブルー。

 でも、これは普通だ。どこへ行っても、パンと言えばこの色をしている。涼しげな色だが、味は普通で別にスースーする訳ではない。なんだこれはと、脳が混乱するだけだ。

 どうやら小麦自体がこの色のようだ。さばいたヤジスに小麦粉をまぶす担当は私だが、その粉もまんべんなくミント色をしている。

「パン粉は、一番外側の衣になるよ」

 そろそろ油の準備をしようと言って、たもっちゃんが手をぬぐう。

「それでさ、家。留守になるから住み込みで管理してもらう事になってるんだけど、報酬とかってどうするもんなの?」

 これは、ジョナスに向けた質問だった。当然だ。たもっちゃんもそうだが、私もレイニーも異世界の常識面では役に立たない。

 しかし問われた本人は、戸惑ったようだ。

「知らねェよ。誰が住む? 村のモンかね」

「リディアさんとお孫さんたち」

 たもっちゃんの返事を聞いて、ジョナスは明らかにおどろいていた。

「そりゃ……ホントかね。リディアばあさん、その話引き受けたんか」

「うん。それならいいって」

 リディアは村のおばあちゃんだった。小さな孫と暮らしていたが、その家は先日の騒ぎで壊れてしまった。

 村では基本、自分の手で家を建てる。年よりと子供だけでは建築はムリだが、よそ様に面倒を掛けて建ててもらうのもなんかやだ。

 おばあちゃんはそう言って、近所の助けを断ったそうだ。

「ばあさん、頑固でよォ。住む家もねェのに、どうすっかと思ってたんだ」

 心配でしょうがなかったのだろう。人のいいクマは、ちょっとほっとしたようだ。

 小麦粉をまぶした上から溶き玉子をかぶせ、パン粉をぎゅっと押し付ける。ヤジスの身はクリーム色だが、衣のせいで見た目にものすごい清涼感がある。

 ミント色に少しこげ目が付いた辺りで、たもっちゃんが一回目のエビフライを油の中から引き上げた。

「じゃ、リコ。この色になるまで全部揚げて」

「まーたそうやって軽率に手伝わせるー」

 正直、私は料理が嫌いだ。一言で言うと、意味が解らない。

 揚げ物に関しては、長年「どうなったら揚がっているのか解らない」の一点張りで抵抗してきた。解らないものは仕方ない。仕方ないのだ。

 しかし、抵抗のバリエーションが貧弱だったせいだろう。最近のたもっちゃんは、色で揚げ具合を指定する。残念なことに、それなら私にもできあがりが解る。

 しぶしぶ天ぷら鍋の前に立つと、ジョナスがごつい爪の先で私をつついた。

「よォ、オレにやらせてくんねェか」

「マジで? いいよ! どんどんやんなよ」

「あれ、そう? だったらリコ、タルタルソース作って」

「やだよ」

 つい、即答で拒絶してしまった。エビフライに付いたタルタルソースは愛しているが、作るのは嫌だ。特に、マヨネーズ部分が腕にくる。

「ま……待ってくれ! それもやってみてェ。たるたるソースってなんだ?」

 じゅわじゅわとフライの揚がる油の前で、料理好きのクマがそわそわしていた。

 ジョナスはエビフライを一回揚げて、タルタルソースに挑戦した。生卵や油など、木のボウルに投入された材料がジョナスの撹拌力であっと言う間にマヨネーズになる。

 ベーア族の筋力は、マヨネーズを作るためにあるのかも知れない。

 ヤジス虫は、開くと星の形をしている。それを均等に切り分けると、ひし形をいびつに伸ばしたような形になった。パン粉を付けてさっくり揚げると、見た目は思いのほかエビフライだ。尻尾がなくて、ミント色だが。

「うっめェ。なんだコレ」

 酒場に集まったおっさんのクマたちは、みんなエビフライにおどろいてくれた。

 そうだろう、そうだろう。たもっちゃんは、偉そうに腕を組んでその様を眺めた。ジョナスまでもが腕を組み、ふんふんと鼻を鳴らして得意げにしている。

 私もクマたちと一緒になって、サクサクのフライを口に運んだ。ヤジスは、やっぱりエビっぽい。からりと揚がったヤジスのフライは、ちょっと高そうな味がする。

「うわー、うっまい」

 エビフライと言うには衣のクリスピー感が強いが、これはパン粉の違いだろう。そもそもパンからして違うのだから、当然だ。

 異世界には二種類のパンがある。細長い棒の形のめちゃくちゃ固い試練パンか、ナンのように薄く焼いた謎パンだ。試練パンと謎パンは、私が勝手に呼んでいる。

 今回、パン粉に使ったのは試練パンだ。これは普通、スープにひたす。最初の頃にそれを知らず、そのまま食べたら歯の強度を試すかのように固かった。試練である。

 ふわふわのパンが存在しない。これは由々しき問題だ。我々は練って焼いた小麦粉を食べるのではない。ふわふわのパンに含まれる、不可思議な空間を食べているのだ。

 なにを言っているか解らないと思うが、誰でもいいからとにかく早急にイースト菌を発見して欲しい。

 これも悪くないのだが、スタンダードなフライも食べたい。そんな複雑な気持ちでヤジスフライをいただいていると、ほとんど悲鳴のようにして酒場に驚愕の声が響いた。

「何だこれは!」

 それは騎士の制服を着た、そばかす顔の若い男の声だった。クマにまざってヤジスを食べて、なんかしれっとなじんでた。

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