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237 ネコチャン

「ネコチャン! ネコチャン!」

「リコ、落ち着いて。一回落ち着いて。ナチュラルに壁を乗り越えようとしないで。自分の運動神経考えて。やめて」

 ネコチャンを、もっと近くでネコチャンを。

 見たい見たい触りたい。

 客席とグラウンドとの境目の、低めの壁に手足を掛けて騒ぐ私を取り押さえつつメガネは冷静に俊敏ならざる運動神経をディスった。

 闘技会の会場である砂地のグラウンドは客席に対してかなり低く作られて、最前列のテラス席から見下ろすと落差が人の背丈の倍ほどはある。

 たもっちゃんの言う通り、一回落ち着いて考えてみるとできれば階段などを使いたい高さだ。

 しかし冷静にそう思うようになるまでは、もう少し時間が必要だった。

 具体的にはタコ焼きの屋台を開いたトンネルを会場側に出てすぐで、ネコチャン? ネコチャン? ネコチャンてなんだ? と。

 いかついチンピラの集団が耳慣れない言葉に食い付いて、ネコチャンネコチャンと連呼したあげくにどことなくインテリな雰囲気のラスまでが「ネコチャン?」などと口走り小首をかしげた辺りでなんだこれはと急激に我に返るなどした。

 ブーゼ、シュタルク、ハプズフトのチンピラなどで構成された、いかつい感じの集団がネコチャンネコチャン騒ぐのやめろ。ちょっとじわじわきちゃうでしょうが。

 私はそんなことを思ったが、よく考えたら逆切れだった。そもそも私がネコチャンネコチャンと騒ぐから、このいかつい集団がネコチャンネコチャンと連呼することになったのだ。仕方ない。ネコチャンの語感は強いので。

 ネコチャンと言う言葉自体はあんまり通じてなさそうなのに、ネコチャンと言う音だけなぜか妙な広がりを見せる事件が起きたり起こしたりしている間も、闘技場では戦いが続く。

 砂地のグラウンドに現れたあの無数のネコチャンたちは、砂漠の魔獣とのことだ。

 ネコ的な外見をしていながらに群れを作って生活し、ナワバリに迷い込んだ生き物をあっと言う間に骨になるまで食い尽くす。しかも一度食い付けばなかなか離さないと言う、ピラニアとスッポンを合わせたようなタチの悪さが特徴だそうだ。

 それらはライオンの咆哮にしたがって、テオやマントの男らをにゃーにゃーと囲み追い掛けた。

 明らかに統率の取れた動きだが、しかしライオンはテイマーではないとのことだ。

 このネコチャンたちは群れるので、強いボスには従順にしたがう。ただ単にその習性を利用して、ライオンの男が強さを示してボスとなり簡単な命令を聞くように訓練してあるものらしい。

 それは獣族の中でもめずらしく、無数のネコチャンを飼い慣らしたライオンはハプズフト一家がこの闘技会のためだけに人脈と金をつぎ込んで苦労して勧誘したとのことだ。

 がんばりましたよお、とか言って。

 頭の汗を小さな布で拭きながら、ふっと遠くを見るような感じでゼルマがそんなことを教えてくれた。

 つまり、サイズ感ビジュアル共にどんなにネコっぽく見えようと、砂の中からちょこちょこと愛らしい顔や肉球をこれでもかと見せ付けてこようとも。

 あれらは魔獣以外の何物でもないのだ。それも、食欲旺盛な肉食の。

 普通のネコが相手でも本気で噛まれたら私も泣くし、ありがとうございますと叫ぶ余裕もないだろう。我々とネコとの関係は、ネコ側の鷹揚さで決まるのだ。

 それも魔獣が相手なら、人間に取れる道は多くない。どんなに小さく愛らしく見えても、人の命を奪うことさえ少なくはないから。

 だから、私は深く評価する。

 この獰猛なネコチャンたちを前にして、対応に苦慮する様子が手に取るように伝わってくるテオのことについてだ。

 闘技会場に敷き詰められた砂漠の砂に姿を隠し、にゃーにゃーと足元に集まるネコチャンたちにテオも一度は剣を向けて構えた。

 しかしすぐにはっとして、勢いよくこちらを振り返る。そして最前列の壁の辺りに我々の姿を認めたと思えば、見開いた瞳をぎゅっと閉じ、そのまま思いっ切り天を仰いだ。

 恐らく彼は、そこで心を決めたのだろう。

 抜いた剣を使わず収め、飛び掛かるネコチャンの猛攻をよけながら、テオはもう、なんか。やけくそのようにダッシュした。

 多分だが、ネコチャンを傷付けたならその瞬間に私から永遠に恨まれるシステムなのを察知したのではないかと思う。

「やだー。そんなに気い使わなくていいのにー。さすがに私も。テオが危ないなら私もそんな。ネコチャンを優先なんて、ほら。まさかそんな。やだー」

 テオは優しくてえらいなと、周囲の視線をチラッチラ気にして私は手放しで絶賛したが、さすがにメガネとレイニーはごまかし切れず静かに首を横に振られた。

 テオよりもネコチャンを優先するなんてそんなことは「ない」と、断言できなかったのが敗因だと思う。

 まあ、それはいい。

 ネコチャンは仕方ない。ネコチャンのためなら、人でなしのそしりくらいは甘んじて受けよう。あと、テオにはがんばって逃げ切って欲しい。

 しかしテオに犠牲を強いてなお、話はそれでは終わらなかった。

 ネコチャンの猛追を受けるのは、テオだけではなくマントの男も同じことだからだ。そして、この腐れマント。こいつは本当にダメだった。

 ギザギザの歯をむき出しに、にゃーにゃーと襲い掛かるネコチャンたちをマントの男は容赦なく蹴り返してしりぞけた。

 頭では解る。

 ネコチャンたちはかわいいが、仮にも魔獣なのである。噛まれたら、痛えどころの話ではないのだ。でも嫌だ。頭ではなくネコに対する私の愛が、てめえの血は何色だと騒ぐ。

「ネコを蹴るくらいならお前のはらわたをくれてやれ!」

「リコ、リコ。さっき一生懸命ごまかしたやつが全部無駄になっちゃってるから。本音と建前だとしても、ダブスタにも程があると思うんだ」

 たもっちゃんがそっと冷静にたしなめてきたが、そんな昔はすでに忘れた。人生は、前に向かって道を切り開くのみなのだ。

 ちなみに、人間は過去を振り返り失敗から学んでおかないと、何度でも似たようなあやまちくり返すらしい。完全に私だ。

 でもほら、人はそう簡単には変わらないから。

 魔獣だとは解っていても、マントの男がネコチャンを簡単そうに撃退するのが心底ダメだ。なんかもう、見た感じが人でなし。

 果敢に飛び掛かるネコチャンたちの攻撃は、余裕さえ感じさせるマントの男にぽいぽい蹴られてかわされる。わーわーとなすすべもなく砂地の地面にネコチャンは落ちて、あいつやばくね? みたいな感じでネコチャンとネコチャンが体をよせ合いどこまでもネコチャン。

 そんな簡単そうにかわすんだったら蹴らずになんとかできるのではないか。

 自分で実際にはなんにもしない、できない人間特有の、軽率で無責任な考えが浮かぶ。

 マントの男がネコチャンたちをしりぞけるたびに、はげろもげろと子供のような暴言の限りを尽くしてしまうのはそのためだ。罪深い。しかし許さん。

 そんな私の負け犬のような悪逆に、そうだそうだと割と近めの所から賛同と加勢の声がする。誰か思えばクレメルだ。

 ばーかばーか! とどさくさまぎれに野次を飛ばすこの少年と、マントの男は共にシュタルク一家に属しているはずだ。

 キミらは仲間とちゃうんかなと思ったら、そっちはそっちで色々ともめてた。

 ただし、そのことを私が知るのはもう少しあと。

 この時は、とりあえずクレメルと一緒になってばかばかはげろとひどい騒ぎかたをしていた。

 さすがに耳に届いたのだろう。

 ある時、マントの男が困ったように、フードの下からこちらを見上げた。影になり、顔はよく解らない。しかしやれやれとでも言うように、肩をすくめて首を振る。

 そしていくらか首を傾けて、悩むみたいに自分の足元に視線を落とす。やはりフードに隠されて、なにもはっきりとは解らない。けど、多分そうなのだと思う。

 彼はブーツを履いた足裏で、砂の地面をトントンと踏んだ。それから片手をぐっとにぎりしめ、ぐっと力と魔力を込めて、ぐっと膝を深く曲げたと思えばそのままぐっと全身を屈めて地面にこぶしを打ち込んだ。

 その瞬間に、闘技場の砂に隠れたぶ厚い床がばっきばきに割れた。その轟音に一瞬遅れ、爆風のような衝撃が客席にまで吹き付ける。

 砕けた破片がばらばら降るのをその辺のチンピラを盾にやりすごし、テラス席から闘技場を見下ろすと無傷と言うか無事な感じで立っているのは一人だけ。こぶし一つで闘技場の厚く頑丈な底の部分を砕いて割って、ガレキに変えたマントの男だ。

 あとの二人は壁際まで吹っ飛んで動かず、しかもテオにいたっては防具の障壁に包まれて倒れ伏した背中から小さな白旗が生えていた。完全に、たもっちゃんの犯行である。

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