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227 圧倒的な

 こうして衝突と学級会と反省を経て、タコの入ってないタコ焼きはいよいよ商業デビューを果たす。

 屋台の開店日は六ノ月と七ノ月にはさまれた、渡ノ月の初日。シュピレンの街が闘技会にかこつけて、お祭り騒ぎを始める最初の日のことだ。

 一人だとなんとなく寂しいと言うだけの理由で夜明け前から我々を巻き込み、屋台の仕込みにいそしんだメガネはお昼近くになると一度出掛けて人を連れて戻った。

 あー! 困ります! 困ります旦那様! 困ります! あー! 旦那様! あー! 困ります!

 よくは解らないがなんとなくそんなニュアンスの、悲鳴のような訴えがどこからともなく段々とブーゼ一家のあるほうへ近付いてきたと思ったら、その音源はおっさんだった。

 おっさんは小汚くくたびれた格好で、しかし見覚えのある人物だ。

 彼はうちのメガネにがっちり捕獲され、ブーゼ一家の立派な屋敷の立派な門から庭の中へと引きずり込まれた。そして準備万端の屋台を前に、これがあなたの新しい仕事よといきなり言われて固まった。

 ある意味で本日の主役と言うべきこの人は、俗世で荒んだ我々の心をそのやたらと清らかな言動で撃ち抜くように洗い流した例のホームレスのおっさんである。

 おっさんは訳が解らないと言うように、どやどやと顔がやかましいメガネと用意された屋台の間で視線を行ったりきたりさせている。

 ムリもない。

 そこには圧倒的な説明不足が存在していた。

 オレ、ヤタイ、ヨウイシタ。

 オマエ、コレ、カネカセグ。

 要約すると、メガネの説明はそれだけだ。それ以上語るべきことがないのは解るが、もうちょっとなんかあったと思う。

 とりあえず最初だからと言うことで、おっさんは徹底的に洗浄された。たもっちゃんとレイニーが結託し、犯行はあざやかなものだった。

 おっさんはなんとなくべたべた湿ったぞうきんのような衣服をひんむかれ、なけなしの慈悲とばかりにぱんつ一枚の格好にされた。

 そして容赦ない洗浄魔法によって、なすすべもなく翻弄され洗い上げられた。

 嵐に舞い散る枯れ葉のようなその様は、見ているだけでそこはかとない不安と心配をかき立ててくるものがある。言うまでもなく、枯れ葉の役はおっさんだ。

 レイニーの魔法で入念に洗浄された経験を持つうちの子は、金ちゃんの後ろに隠れるようにしながらに「だいじょうぶだよ! だいじょうぶなんだよ!」と、洗浄されるおっさんに必死の感じで気休めを叫んだ。

 絵面としては全然大丈夫そうではないが、うちの子は本当に優しいなと思った。

 こうして食品を扱う者として意識の高さを見せたメガネと衛生観念がただ単に厳しいレイニーによって、洗い上がったおっさんはまるで生まれ変わったかのようだ。

 すっかり心を折られた感じでぐったりと、なにを言われても「はい、はい」としか答えなくなったがとにかく体の隅々までが清潔にはなった。異世界風の社畜の作りかたを見てしまった気がする。

 おっさんには真新しく清潔な、いまいちサイズの合わないズボンと半分に割った球体にサイコロ状の物体が突き刺さった図案の柄がプリントされた特注Tシャツが支給され、たもっちゃんが発注し仕立て屋が夜なべして縫った腰から下をカバーする前掛けふうの黒いエプロンと、ぼさぼさに伸びた髪を一つに結んだ頭にはこれも黒い細長い布をぎゅっと巻いて装備させればどことなく飲食店の店員に見える仕上がりとなった。

 ちなみにTシャツのプリントはイタチの仕立て屋に相談したら、知り合いの職人を紹介された。

 そこで教えられたのが、やわらかくきめの細かい木材を図案の形に忠実に削り、ねばりを持った染料でハンコのようにぺたぺた押して布にプリントして行く方式だ。

 おっさんに着せた球体とサイコロが合体したような図案のシャツも、この方法でプリントしたのでいくらでも追加で作ることができる。そんなに枚数はいらない気はする。

 そしてまた、たもっちゃんは調子に乗ってほかにも色々とハンコを発注してしまっていた。そのために、これからどんどん変なTシャツが仕上がってくる予定だ。私はまともなTシャツも着たい。

 まあ、それはいい。

 タコ焼き屋と言うか頑固なラーメン屋の店員みたいな感じになったおっさんは、もはや抵抗の意志を失っていた。

 その原因であるメガネと天使はこんなつもりではなかったなどと弁明したが、この無抵抗状態で話を進めやすくなったのは確かだ。

 たもっちゃんが朝早くから仕込んだ材料で何回かおっさんに謎の球体焼きを作らせて、まあまあ丸くなってきたところで屋台を引いていざ出店と言うことになる。

「まだ完璧って訳じゃないけど、初めてだしね。丸くなってるだけ筋はいいよね」

 それに、料理なんて最悪火が通っていればいいのだと。たもっちゃんは、仮にも料理人の口からはあんまり聞きたくなかったセリフをさりげなく吐いた。

「お願いだからおいしさも追及してよお」

「生焼けでお腹壊すより多少焦げてるくらいのほうがまだいいと思うんだ、俺」

 嘆く私に答えるメガネはどこまでも真顔で、逆に料理人として食品衛生と安全を見据えているかのようだった。

 こがさなきゃ安全が確保できないレベルで外食産業に乗り出すんじゃねえよと思ったが、実際に屋台を切り盛りするのは料理にも商売にも不慣れそうなおっさんだ。

 しかも本人がやりたいかどうかも聞かないままに押し付けた仕事で、それを思うと客から病人を出さないと言うのは最低限でありながら絶対に死守すべきボーダーラインと言うような気もする。

 幸いなことにおっさんは、食品調理に適性があるようだった。少なくとも表面がこげているのに中は生焼けと言う悲しみの、廃棄物を作り出すだけの私よりは相当に。

 それを思うとそもそも自分が口を出すことではなかったなと考えるにいたり、しっかりやるのよと立ち位置の解らない激励の声を掛けたのを最後に私は最初から別に任命されてない相談役を辞任した。

 おっさんの身なりをどうにかしたり雑に研修するなどしていたら、お昼などはとっくにすぎてそろそろおやつの時間が近い。

 なかなか暑い時間だが、それでも街には人が多かった。きっと祭りのせいだろう。

 本当はもっと早い時分から屋台は出しておくものだそうだが、この屋台計画の主役であるおっさんは清らかな心と朝が弱い特性を併せ持っていた。色々と遅くなるのは仕方ない。

 えっちらおっちらものすごく通行のジャマになりながら、我々はブーゼ一家にお金を払って許可をもらった所定の位置まで屋台を運んで移動した。

 そうしてたどり着いたのは、街の外れのふちの所だ。

 巨大な円形のシュピレンの街には、ちょうど中心の広場から四方に大通りが伸びている。街を四分割する格好で十字に走るその道を、外に向かって進んで行くと突き当たりにあるのは関所のような門だった。

 シュピレンの街に出入りできるのは、この大通りの端にある四つの関所からだけだ。ほかの部分は砂漠の魔獣を警戒してか、頑強な高い防壁で閉じている。

 関所の門を出た先は港の岸壁めいていて、一段高く作られた街の土台をおりた先には見渡す限りの乾いた砂漠が大海原のようにどこまでも続く。

 普段なら、そんな風景なのだ。

 ただ今は、ついさっき激しく降った雨により白い霧が立ち込めていた。砂漠の砂には雨粒の跡が残されて、そこから蒸発を始めた水が空気にまざり重く白く周囲を閉ざす。

 そのせいなのか、場所柄なのか。

 街に観光客が出入りする関所の門でありながら、辺りは静かなものだった。

 人の姿はほとんどなくて、門の外まではびこるように店舗を構えた小さな賭場も今はぴたりと木戸を閉じている。と言うかこの門の外に並んだ店は魔獣対策とかどうなってんだ。

 知らない人への心配とこれから同じ場所に屋台を出すことになる自分たちの心配をしながら、屋台をとめて屋根をかねた板をはね上げ営業の準備をしたり準備をするのを見守ったりした。

 見守るのは主にレイニーと金ちゃんと私だ。

 たもっちゃんとおっさんがせっせと忙しそうに働いて、そのすぐそばではうちの子が緊張の面持ちでお手伝いをしていた。えらい。

 ちなみにテオは留守番だ。闘技会本番前日に、さすがに外出はムリだった。

 もしかして、ブーゼ一家に払うお金が少ないかなんかでお客の少ない場所をあてがわれたのでは。

 あまりにも人がいないのでそんな疑いも浮かんだが、それは考えすぎだったようだ。

 雨が上がって少しして、ミルクのように濃厚な霧の向こうからそれはくる。

 湿った砂をさくさくと踏み、枯れ木のように折れ曲がる細い足をきしませながら。まるで深い海の底から、巨大ななにかが唐突に浮上してくるかのように。

 幾重もの霧のベールを引きちぎり、岸壁にゆるりと近付いたのは馬より大きな足の長いクモだった。

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