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220 アイスミルク

※なろうで尿道はどうかと一応は思ったのですが、思っただけでした。ご注意ください。

 ゼルマが我々の前に現れたのは偶然が半分。

 そして、そうではないのが半分だった。

 ハプズフト一家とそのナワバリの住人は、ほとんど獣族で占められる。だから外から人族が入ってくると、かなり目立つとのことだ。

 裸のネズミの大家さんがギルドに出した清掃依頼に、見慣れない人族の冒険者が、それもどこからともなく姿を見せて隣近所がざわついたらしい。

 普通なら区画の外から歩いてくるか、謎の魔獣が引く車。それか筋力に任せて労働者が引く、人力車のようなものに乗ってやってくる。馬や魔獣に鞍を着け直接乗ってくる者もいるが、それには少々スキルが必要だ。

 なんにせよ、それならいつどこからやってきたのか大体解るものらしい。

 でも、我々はそうではなかった。

 隠匿魔法をガンガン効かせて船で飛んできたせいで、足取りがさっぱりつかめなかったのだろう。

 結果、我々は降ってわいたかのように突然姿を見せた格好になった。それで何者だよと住人たちがざわついて、ハプズフト一家に相談が行ったとのことだ。

 彼らは成り立ちからしてならず者の集まりながら、地域に根差した組織であるのでこんな時には頼られるようだ。一家としても、ナワバリで面倒があるのは困るのだろう。

 それで様子を見にきたら人族の冒険者は我々で、普通に溝の清掃を終えてネズミの大家や子供らとのん気に昼食を食べていた。ただ、掃除はほとんどレイニーが魔法のゴリ押しでやったので本当に普通かどうかは解らない。しかし、まあ今はそれはいい。

 訳はさっぱり解らんがなんか仲よくやってるし、ちょうどいいから話と言うか引き抜きでもするかと。

 そう大きくはない集合住宅の大家の部屋に、ゼルマがふらりと立ちよったのはそんな経緯があってのことだ。

 ――と、言う感じの大体の話を。

 どっしり丸いゼルマの後ろに見え隠れするリザードマンにはあはあしながらちょっとだけうろこ触ってもいいですかなどと、なにもよくはないことを言い出したメガネがなんか自然に聞き出していた。そうだね。嘘だね。多分あんまり自然ではなかった。

 爬虫類系の獣族である手下を守る位置取りで、ときめき乙女顔の変態を押しとどめるゼルマに「そう言えば何でここにいんの」とついでのように世間話を始めただけだ。

 なんとなくいつもより変な汗を多めにかいて、ヨコにもタテにも、特にヨコ向きに大きな体でたじたじと。別の意味ではあはあしながら変態を持て余すゼルマは、どうしようもなく気の毒だった。

 でも、うちのは害はないタイプなの。ノータッチだからまだセーフな変態なのと、一生懸命フォローはしたが自分でも言ってて説得力がなかった。実害がないと言うだけで、迷惑はすでに掛けている。罪深い。

 あと、考えてみたら普通にうろこ触らせてっつってた。

 なぜだかこれまで信じていられたノータッチ神話がもろくも崩れ、私は。

「たもっちゃんをどうやって葬ればいいのか」

「リコ、全部口から出ちゃってるから。信じて。俺の倫理観と未来を信じて」

「だってお前そんなの一回寿命きてるのに全然更生してないんだからこれからもムリだろ完全に」

 集合住宅の少々手ぜまな、家具の少ないリビングで、食事用の敷き物に隣り合って座ったメガネと私は険悪に言い合う。人様の家で一体なにをやっているのかと思わなくもないが、しかし譲れぬ。互いにだ。

 たもっちゃんはなんか半泣きになりながら、なによ! と私に噛み付いた。

「日本でも前科なんてないんだからね! 無実なの! 嫌がられたらちゃんと引ける子なの俺は! ちょっと自分でもキモいってだけで!」

「キモい自覚はあんのかよ……」

 なにそれ悲しい。

 自覚があるのに自分をどうしても止められず、なんかはあはあしてしまう。そんな悲哀を変態に見た。

「エルフにはもじもじ距離取るくせにうろこにはなんでそんなぐいぐい行くの」

「うろこって硬いし、神経通ってなさそうだし、大丈夫かと思った」

 それにエルフは信仰だから、別格なのと。

 メガネはふかした紫イモのようなものを片手に、キリッと訳の解らない供述をした。バターはやはり多めに載せてた。


 たもっちゃんも砂漠の砂をせっせと固めるお仕事の合間に、食事は簡単に済ませていたらしい。

 少し冷えたふかしたおイモをもったりもったり味見して、これはよいものだと深い感銘を受けたメガネは明日は市場に行くと強い決意を固めつつ割とすぐに外へ出た。

 せっかく大量に製作してきた、溝用のフタを片っ端から設置する作業に取り掛かるためだ。

 大家さんの部屋から出ると、即座にむわりと熱い空気が全身を包む。

「あっつい。なにこれ。あっつい」

 各部屋の扉は集合住宅全体の階段ホールに面しているから、玄関を出ても建物の中だ。

 なのに扉を一枚介しただけで、この凶悪な温度差はなんだ。なんだと言うか、大家さんの部屋には恐らくなんらかの空調が効いていたのに違いない。

 レイニーの魔力消費に糸目を付けない享楽的なエアコン魔法とは違い、なくなってから初めて解るさりげない愛のような温度設定だったのだろう。きっと家計にも優しい感じで。

 そうだった。外に出るまで忘れていたが、この街、日中めっちゃ暑いんだった。

 なにこれしんどい。ずっとエアコンの効いた室内にいたい。直射日光の届かない、建物の中でもこの暑さなのだ。外に出たら溶けるかも知れない。

「たもっちゃん、私、溶けるかも知れない」

「リコ、小学生でも真顔でそんな事は言わない」

 せめて笑って。半笑いでもギリギリ許す。

 階段ホールに踏みとどまってそんな話をする我々の姿は、予防注射の気配を察知したイヌとそれをごまかそうとする飼い主の駆け引きめいた緊張感があったと思う。

 やめろ。腕を引っ張るんじゃない。私がイヌならお前あれだぞ。首輪の所で頭の肉がぎゅっと引っ掛かってるところだぞ。やめろ。

 灼熱の屋外に連れ出そうとするメガネに、渾身の力で抵抗する私。

 その低いレベルで拮抗を見せる争いの後ろでは、ゼルマらも大家さんの部屋から出てくるところだ。

 ゼルマはやはり集合住宅の小さめの扉でぐっと詰まってぽんっとなったが、よく見たら多分護衛のリザードマンが横綱に突っ張るちびっこ相撲みたいな感じで後ろから一生懸命押していた。働くって大変だなと思った。

「お疲れ様です!」

 と、声がしたのはメタボの体がぽんっと扉を抜けたのとほとんど同時のことだった。

 声は幾人かの獣族の男たちのもので、彼らは日差しのきつい建物の外からわらわらと集まりゼルマを囲んで頭を下げた。ふうふうと布で汗をぬぐうゼルマも、それを当然のような感じで受ける。

 その光景に、やっと彼らは彼ら二人だけではなかったのだと気が付いた。

 組織の幹部とは言うものは、護衛も付けずに外出はしないものらしい。そのためリザードマンの男のほかにも、屋外にいかつめの獣族たちが何人も暑い中を待っていたのだ。

 マジか。

 私はおののいた。

「ミルク飲みな。ミルク。冷やしてハチミツ入れてあげるから」

 て言うかなんで外にいんの。せめて影に入りなさいよ。熱中症になったらどうすんの。

 この時の私の行動はそんな気持ちがあってのことだが、よく考えたら知らない奴からカップにそそいだミルクの中に謎のシロップを混入させて手渡されても困るだけと言うような気がする。

 でも仕方ない。この時は気付かず、レイニーにミルクを冷やしてもらっていかつい獣族の若者たちにぐいぐいと渡した。

 やたらと塩あめを配り歩く老婦人のような行いに、メガネもまた戸惑ったのだろう。

 それで、奴はぽろりと失言をこぼした。

「リコどうしたの。アイスミルクババアじゃん」

 私も別に、鬼ではないのだ。

 失言にいたる戸惑いの心情を思いやり、この失言は異様にするどい腹パン一撃で不問にふした。これは不問とは言わない気もする。

 一応うめいて片膝を突く、鉄壁のメガネを装備したメガネを私は苦々しく見下ろした。

 そして、事態はお前が考えているレベルではないのだと。硬い声で重たく告げる。

「なあ、たもっちゃん。知ってるか? 熱中症も重度になって搬送されると、問答無用で尿道カテーテル入れられるらしいぜ……」

 少し前まで砂漠で一人、汗だくで作業していたメガネがこれにひゅっと息を飲む。

 どっかで聞いたこのうすら寒く恐ろしい豆知識こそが、私をどうしようもなくアイスミルクババアの道へと駆り立てるのだ。乳製品は体温調節機能を助けると聞いた。

「俺、水分補給はちゃんとするんだ……」

 命もそうだが、僕らは尿道も保護したい。

 そんな思いを共有し、たもっちゃんは泣きながら冷やしたミルクをがぶがぶと飲んだ。

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