188 食欲はいつでも
寡黙な金ちゃんに弁護士はできない。なるほど、覚えた。
と言うか金ちゃんは反抗期がいまだ地味に続いているので、おやつを口に詰め込むほかは部屋の真ん中で仁王立ちとかしている。今はペーガー商会二階の調理場で、超ジャマな所に陣取って忙しく働く男子たちに体当たりされつつも微動だにしない。ゆがみない。
ペーガー家の客間に泊めてもらった翌日、かなり早朝から私たちは活動を始めた。
私たちと言うより、たもっちゃんが勝手に起き出してレイニーと私を道連れにした。
「リコ、リコ、起きて。パン焼くから。台所行こ。台所。ほらほら早く」
アイテムボックスを勝手に共有されているので、もはや朝早く食材を出せと起こされなくなったのが唯一の利点かと思ったらそんなことはなかった。普通に叩き起こされた。
メガネは語る。当然のように。
「だって一人でよそんちうろつくの嫌でしょ。一人で料理するのも寂しいでしょ。ちょっとくらい手伝ってくれたっていいのよ」
「貴様、さてはうちの母親か」
手伝えることがあんまりないし、手伝う意欲はもっとない。手伝わないならいてもいなくても同じではないのか。
そんな理屈が通らないとことか、ホントうちのかーちゃんそっくり。
こうして文句を言いながらぞろぞろとお邪魔した二階部分の調理場は、広さこそはそうないが設備的には充分だそうだ。普段はここで、結構な人数になる従業員のまかないなどを作っていると話を聞いた。
「働いてる人いっぱいいたら、食堂がせまくないですか?」
「客商売だからな。食事休憩は交代で取る。一度に全員入らなくても大丈夫なんさ」
子供でも気付きそうな私の疑問に、ちゃんと答えてくれたのはペーガー商会のベテラン料理人である男性だ。
我々が起き出した時にはすでにいて、昨日一緒に仕込んでおいた天然酵母のパン生地をボウルのフチに手を掛けて水槽の金魚を覗き込むネコのように熱心に見ていた。
ついでに調理場の隅にある石窯も、すでに火を入れてくれているようだ。パン教室をどれだけ楽しみにしていると言うのか。
たもっちゃんと料理人のおっさん二人はきゃっきゃしながらパン生地をきっちり同じくらいの大きさにまとめ、用意した鉄板にぽいぽい手早く綺麗に並べる。
早く作業を進めたいメガネが魔法で石窯の温度調節をして、こんがりふわふわにパンが焼けると一枚目の鉄板のぶんは瞬く間に試食に消えた。
焼きたてを見ると手を出さずにいられない。そんな精鋭たちが調理場に集まっていたのだ。レイニーと金ちゃんと私だが。
農場で直接買った新鮮なバターをたっぷり塗って、その上にこれもまたたっぷり載せるのは村を出る時に持たせてもらったリディアばあちゃんの手作りジャムだ。
「おいしい。ふわふわ。おいしい。ふわふわ」
「罪の味がします」
語彙力のない私の横で、レイニーが軽率に堕天した。すでに地上に落とされているのに。
金ちゃんにはボリュームとカロリーが必要なので、備蓄のフライを適当に出してパンの切れ目に仕込んで渡す。ソースとマヨネーズでコーティングした惣菜パンを手に入れて、金ちゃんはやっと料理人から体当たりされるジャマな位置から移動した。今日の仁王立ちは空腹の抗議でもあったのかも知れない。
「ねえ、たもっちゃん」
「また何か手間の掛かる事思い付いただろ」
うん。
「ラーメンも焼きそばソースもある訳だからさ、もう焼きそばも作れるじゃない? 私は作んないけども。で、コッペパン的なものも今ここに焼き上がってる訳よ」
「つまり?」
「焼きそばも食べたいし、焼きそばパンも食べたい」
私の心にはおっさんと一緒に永遠の男子学生がいるの。食欲はいつでも運動部。
この炭水化物に特化した願いは割とあっさり承認された。料理人のおっさんが食い付いたからだ。
ラーメンは知識としては知ってるが異国の物で見たことがないし、焼きそばは聞いたことさえもない。さあ、作ろう。みたいな感じで物理的に背中を押されてレイニーと私も手伝った。
パンは主人の家族と住み込みの従業員ぶんがあればいいそうで、丸めた生地を十個ほど載せた鉄板を四回焼き上げただけで済む。
いや。だけと言うか、最初のぶんを試食で消費しなければ三回で済んだ気もするし、普通に考えればそれでも多い。
あれだな。いつもクマの村とかで大量生産して備蓄するので、その辺の感覚がパン工場みたいな規模になってんだな多分。
焼きそばについては生麺を一度蒸すのが手間ではあったが、そこは私とレイニーがもたもたと手伝ったので料理人を煩わせることはなかった。それほどは。めっちゃ指示はされた。蒸すのかよ焼きそば。
朝も常識的な時間になるとなんだなんだと従業員が起きてきて、配膳などを手伝ってくれた。運びながら焼きそばパンにかじり付いている奴もいて、完全にお昼の購買だった。
たもっちゃんが中華スープを制作し、ペーガー商会の料理人が温野菜のサラダを付けて、使命感に駆られた私が希望者にマヨネーズを振り掛けて回った。違う。希望者本体ではなくて、希望者のサラダに振り掛けて回った。
その中にシャツの胸元をやたらと開き、肌色を見せ付けてくる奴がいると思って顔を見たら普通にフーゴだ。いつの間にかいた。
「うち、食品は扱ってないんだよねえ」
彼は実に残念そうに、軟派に髪をかき上げて焼きそばパンにかじり付く。お金のにおいがしたようだ。
危ないところだった。ペーガー商会が加工食品か外食産業に乗り出していたら、マヨネーズツエーが始まってしまうところだ。危なかった。今さらと言う気もする。
しかしそれでは、食品では商売をしていないペーガー家の主人がどうしてやわらかいパンに興味を持ったのか。
答えは単純。食べたかったからだ。父本人がてへぺろと言ってた。
「さて。じゃあ、そろそろ行こうか?」
フーゴが外出着の上着を肩に引っ掛けて、我々に声を掛けたのは朝食の片付けを当番の従業員が引き受けて体の空いた料理人とメガネがやわらかいパンを一度にいっぱい焼く方法について議論している時だった。
結論としては、内部が何段ものチェスト状になっていて鉄板を一度に何枚も差し込めるパン専用大型オーブンの開発が待たれるとのことだ。
鉄板を引き出しのように収納できるチェスト式オーブンの概念を、大きめの紙にぐりぐり描いていたメガネは忍びよるフーゴの影にはっと顔を上げた。しかし、遅い。
「へえ、これも理論的には作れそうだね。大丈夫。王都には優秀な職人も錬金術師もいるから、安心して技術登録するといい」
フーゴは軽率にラクガキレベルで仕上がっているオーブンの絵をひらりと取り上げ、その製作者である完全に油断していたうちのメガネをぐいぐい引っ立てて外に出た。
たもっちゃんはこれからフーゴに連れられ、冒険者だか商人だかのギルドに行って自分の罪を数えながらにまたいくつか技術を登録する予定だ。罪は罪。お金は大好き。
捕まえた馬車にメガネを押し込み、窓からフーゴが顔を出す。
「君達は? 行かないの?」
「私は昨日頼んだお菓子引き取りに行かないといけないんで、あとで合流します。ギルドですよね。どこですか?」
「うーん。商人ギルドでもいいけど、今日は冒険者ギルドかな。申請したい依頼もあるし」
ではあとで、と言葉を交わしてフーゴの後ろから恨みがましい顔で見てくる黒ぶちメガネを見送った。
しょうがない。しょうがないの。お菓子取りに行かなきゃ。ギルドまで付いてって色々申請してるのを隣でぼーっと待ってるのがめんどくさいとかじゃないの。全然。嘘だけど。
少しして、おこづかいをはたきお菓子を頼んだお店の前で我々は手の平サイズのレンガを手にした。嘘だ。また嘘をついてしまった。
レイニーと私に手渡されたのは、大量注文したからかお店の人がおまけにくれた謎のお菓子だ。
小学校のお習字セットに付いてくる固形墨みたいな、それか食べ切りサイズの羊羹みたいな大きさで、一見するとレンガのようにじっくり焼きしめた感じの見た目。
金ちゃんがさっきのメガネより熱く恨みがましくこちらを見るので、小さめのレンガ菓子を二つに割ってその口に押し込む。
割った断面をよく見ると中からキャラメルめいた濃厚なクリームがねっとりと出てきて、急いで食べてもぐもぐ噛むとねばねばねばねば口の中が強烈な甘さに蹂躙された。なにこれ最高。すこぶる体に悪そうな味がする。
見ればレイニーも金ちゃんの目力に負けて半分に割ってあげていた。そしてもぐもぐねばねばと味覚を蹂躙されていた。
お前これ最高じゃねえかと絶賛し、レンガのお菓子を追加でいくつか買わせてもらってほくほく道を歩いていた時だ。
視界の端に突如ポコンとポップな色の通知が届いた。
なんだこれ。




