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184 貴婦人のドレス

 声を上げたのは特別なドレスに身を包む女性だ。

 彼女は思わずと言うように、エスコートするフーゴの手を瞬間的に離した。

 そしてソファに合わせたサロンの低いテーブルに、我々と同じように屈み込んでかじり付こうとしていた。

 の、だと思う。

「ねえ、それ……痛っ!」

 しかし、テーブルにたどり着く前に。

 熱い鉄にでも触ったように、彼女は短く悲鳴を上げてビクリと体をはねさせた。

「針が刺さりましたね」

「だからそのドレスは優雅に動けと」

 あーあーと、大して心配してない感じで言うのはペーガー商会の職人たちだ。

 二人は中高年のベテランふうで、肩には無造作に平たいヒモを引っ掛けている。よく見たらヒモには目盛りが入っていたので、採寸メジャーと言うやつだろう。

 彼らの腕にはお団子みたいな小さいクッションが取り付けられて、ざくざく刺さるまち針でハリネズミのようになっていた。

 彼らの言う針はそれのようだが、どうしてそれが刺さるのか。

「えっ、そのドレスまだ針残ってんの?」

「えっ、上等のドレスは針で着付けるものでしょう?」

「えっ」

「えっ」

 えっ。

 職人のおっさんたちと私は、互いが互いになに言ってんだとそれぞれ眉毛をぐねぐねにゆがめた。

 おっさんいわく、貴族や富豪のご婦人がメイドの手を借り豪華に着飾るドレスと言うのは私が思う洋服のように一体化したものではないらしい。

 庶民が自力で着るものはまた違うそうだが、貴婦人のドレスは完成品でもいくつものパーツに分けられている。それを毎回しかるべき手順で、しかるべき位置に重ねたり結んだり針を刺して着付けるものなのだ。

 なにそれ恐い。

「ステイがありますから、そうそう刺さらないはずですが……」

 まあ、何事も絶対はないよねと職人のおっさんがドレスのご婦人に急激に動くなと注意する。

 ステイと言うのはコルセットめいた上半身の下着で、これにドレスの胸部分に当たる布でできた飾り板や、裾の長い袖付きのガウンをまち針で刺して固定するのだ。

 と、職人たちから説明を聞いたが実際着付けた実物を見てもドレスだなと思うだけでよく解らない。

 とりあえず、ステイがそこそこ硬いので針が体に触れることはそうないが、このステイに直接針を刺しているので絶対刺さらないと言うこともない。と、言うことらしい。

「だから貴婦人ってゆったり動くの? あれって優雅さを出してるんじゃないの? 針刺さるからそっと動いてんの?」

 おしゃれはガマンにもほどがない?

 そんなことを言ってがくぜんとしてるとレディたちから「あらやだ名言」と感心された。

「普通に危なくない? ずっと刺してるなら安全ピンとか使ってあげてよお」

「あ、ないんじゃない? 安全ピン」

 マジかよメガネ。詰んだじゃん。

 たもっちゃんと二人でなるほどなあとうなずいていると、ドレス姿のご婦人が針を警戒しながらにそーっと中腰になって話し掛けてきた。

「あの、ごめんなさい。さっき、お祝いなんていいって言ってしまったんだけど……それ、もらってもいいかしら?」

 安いものじゃないのは解ってるから、こちらからいくらか払ってもいい。

 そんなことを言ってまで、おずおずと指さしたのは角を丸く加工した手の平サイズのぴかぴかの木箱だ。

「これ、中身花の砂糖ですけど」

 ズユスグロブ領で若様の呪い対策にこれでもかとお茶を置いてきて、その代わりに渡されたものの一つだ。

 確かに、きらりと輝く花の砂糖は見た目も綺麗だ。しかし綺麗と言うても砂糖だぞ。お祝いが本当にこれでいいのだろうか。

 そう思って確かめたのだが、この箱は花砂糖専用の小箱だそうだ。砂糖なのは解っていたと、ご婦人はもじもじと両手を合わせて自分の指先をもてあそぶ。

「あのね、結婚祝いに花の砂糖をもらうと、幸せになれるんですって。甘く輝く生活に恵まれますようにって」

「あっ、そう言う。縁起物みたいな感じの」

 異世界にもあるのか、ゲン担ぎ。

 しかし、花砂糖は口の中で砕けるほどもろいが、いいのだろうか。

 結婚祝いに割れ物はよくないみたいな話が頭をよぎるが、それを気にするのは日本人だけかなと思い直した。

「こう言うお祝いってどう言えばいいのか解んないんですけど、お幸せに」

 ぴかぴかの小箱を渡して言うと、彼女は一瞬、無防備にぽっかりと目と口を開いた。それから、戸惑うように、やはり恥ずかしそうに、ほのかに頬を染めて目を伏せた。

「あの、ありがと。でも、こんなには貰えないわ。お花一つだけでいいのよ」

「いや、どうせだったらいっぱい幸せになってください」

「……ありがと」

 花砂糖の小箱を両手でそっと包み込み、大切に胸に抱くレディが尊い。

 気に入る物があってよかった。

 テーブルにぽいぽい出した品物を改めて見ると、草とかお茶とかよく解らないけど綺麗な石とか、エルフの謎のお面とか謎の木彫りの像とかだった。

 エルフの民芸品を私が出したらメガネが絶望していたが、冷静になって考えてみるとこれを欲しがるのは変態だけだ。我々に贈り物のセンスなどなかった。

 シックなサロンに不似合いな、テーブルの上の品々をカバンに突っ込むと見せ掛けてアイテムボックスにしまっていると、ものめずらしげにそれを見ていたレディの一人がふと言った。

「ねぇ、もしわたしが結婚しても、今みたいに幸せを祈ってくれる?」

「もちろんですよ。でも別に、結婚しなくても幸せになればいいんじゃないですかね」

 結婚を控えたレディによると、幸せと言うのはとかく甘いものらしい。

 アイテムボックスに備蓄した大量のプリンを軽率に配ると、うるわしのレディたちから華やぐような笑顔がこぼれた。たもっちゃんの作ったおやつで私の評価がどんどん上がる。なんと言う悪徳。

 こんな時だけ行動が早いレイニーと金ちゃんをまじえつつ、きゃっきゃしながらプリンを食べた。まるでリア充女子会にまぎれ込んだ気分だ。

 結婚相手は平民ながら長年の功績から爵位を与えられた騎士だとか、そうなると一代限りの末席ながら一応は貴族になるだとか。

 相手は気にしなくていいとは言うが、ずいぶん年上の人だから甘やかしてくれるだけ。今回マダムや同僚が、貴婦人のドレスを仕立ててくれたのはそう言うこともあったのだと思う。感謝している。自分もしっかり心構えしなくてはならない。

 などと言う、不安と感謝とノロケのまざったお話もプリン片手に聞かされた。

 その辺は正直、どうでもよかった。この広い異世界のどこかで、末永く幸せに爆発すればいいのよ。

 この館へやってきた本来の、用件を思い出したのは甘いものの補給を終えてからだった。糖分により頭が働き始めたのだろう。

 やはり私は正しかった。

 マダム・フレイヤからの依頼はあくまで素材の採集であったが、やはり真の目的は保湿クリームで合っていた。

「嬉しい! 我儘を聞いて下さって有難う」

 はしゃいだ様子で私の手を取り、言葉を崩す依頼主のマダム。まばゆさで心の目をやられるかと思った。

 そんな様子をめずらしそうに、「へえ」と感心したように見るのは大商家の次男坊。かもし出す全てが軽薄なフーゴだ。

 今日は仕事で訪れていたが、彼はこの館の顧客でもあるとのことだった。知ってた。

 その顧客の立場からしても、接客のプロであるご婦人たちがこうしてついついはしゃいでいるのはついぞ見ないことらしい。

「驚いた。僕だってこんなに歓迎された事はないよ。妬けてしまうなあ。マダム達を夢中にするとは大したものだね。できればその商品をうちにも卸して欲しいな」

 ねえ、ダメ? と小首をかしげてかわい子ぶって、フーゴは彼の隣に座ったうちのメガネにぐいぐいと迫った。

 そう。我々が小じゃれた女子会に巻き込まれている内に、たもっちゃんはフーゴに捕らえられていたのだ。

 いや、捕らえられたって言うか。

 がっしり肩を組まれてギクシャクと、一緒にソファに座らされたメガネがもたれ掛かるフーゴの重さに潰されていた。私には解る。あれは、コミュ強の距離の詰めかたに心を閉ざした人見知りのしかばねであると。

「もっと仲よくなりたいな。一度食事でもどう? これからうちにくればいいよ。安全ピンの話も詳しく聞きたいし。いいだろ?」

 遊び人の次男坊はどうやら、意外に家業を大事にしているようだ。もはや灰になり始めたメガネを、抜かりなく勢いだけで口説いた。

※と、言うこともなくはないかも知れないこともないかも知れないくらいの感じでステイと針のくだりは受け取って頂けると助かります。

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