183 マダムの館
我々は、自分で思うよりクズなのかも知れない。
本日二回目の危惧をいだいて、私たちは公爵家をあとにした。
その前に家令のおじいちゃんに体にいいお茶を届けに行ったり、そのすきに好奇心に負けた公爵が金ちゃんに手ずからおやつを与えてお返しとばかりに肩に担ぎ上げられるなどの事案があった。
レイニーと二人でおじいちゃんのとこから戻ってきたら、公爵さんをぐらんぐらんと肩に担いで庭を走り回る金ちゃんを公爵家の人がいっぱい集まって追い掛けていた。なにごとかと思った。
しかし、大人でもそのパターンが有効だったら私が一番おやつをあげているはずだ。
お返しに遊んでもらったこととかねえぞと思ったが、よく考えたら足元が悪い時とかに小脇にかかえて運ばれることはよくあった。私の場合、おやつが労力の対価扱いなのかも知れない。納得はしてない。
渡ノ月が明けた今、こよみは六ノ月である。
日中は少し暑いくらいになって、たもっちゃんと私は脱いだ上着をそれぞれアイテムボックスにしまった。
そうして整えられた石畳の街を、せっせと歩いて向かうのはマダム・フレイヤとレディたちの館だ。
今回王都を訪れた理由は、校長先生の呼び出しに加えてマダム・フレイヤのお仕事もあった。校長と言うか、公爵だけど。
ドアのスキルで直接飛ばず、わざわざ船を使って王都入りしたのはこのためだ。
ドアがもがれた狩猟小屋の入り口にわざわざ手持ちの扉を打ち付けて、たもっちゃんのスキルで王都近くの建物に移動。そこからさらに王都を守る防壁の外まで船で飛ぶ。
こんなまどろっこしい苦労をしたのは、ちゃんと理由があってのことだ。苦労の原因の一端を担う金ちゃんは、やはり船に乗ってもおりても仁王立ちしていた。
保湿クリームの素材を採集するのが引き受けたお仕事の内容だったが、多分本音は素材を保湿クリームに加工したものを求められているような気がする。
この複雑な依頼を達成するには、依頼主に対して保湿クリームを納品しなくてはならない。あと、冒険者ギルドへの報告もある。
そうして堂々と街をうろつくために、堂々と街に入る必要があったのだ。
とある瀟洒な建物を見上げて、馬車からおりたメガネは言った。
「え、凄くない?」
「うん」
「え、何か……これ、何か。凄いよね」
「うん」
そうね。すごいよね。ゴージャス感が。
さっき移動は徒歩だと言ったな。あれは嘘だ。半分くらい。
公爵家のある貴族地区からここまでは、なんかすごく遠かった。この瀟洒な建物がなんのためにあるかを思えばわざとって気もする。
外なら船で飛んでしまうところだが、王都の中ではそうも行かない。早々に音を上げた我々は、適当に流しの馬車を捕まえた。
この時、なんかすんなり乗せてくれるなと思ったら、よく考えたら金ちゃんには隠匿魔法を掛けていた。
これには王都に入る時、トロールは困ると警備の兵と若干もめていたことがある。
兵たちの気持ちも少しは解る。トロールは大森林の暴れ者なのだ。
でも大丈夫。金ちゃんはできる子だから。あと奴隷の首輪も魔道具のやつ着けてるし。
そんな感じで押し切りはしたが、やはり大都市にトロールがいるのは目立つ。公爵家に向かうため捕まえた馬車にも乗車拒否され、傷付いた我々は気持ち強めの隠匿魔法を金ちゃんに掛けた。実行犯はレイニーである。
かっとなって計画的にやったが、お陰でなんの差し障りもなく王都を移動できてしまった。
前回スキルを使わず門から王都に入った時に、どうして思い付かなかったのか。多分だが、あの時はエルフの件であわてていたのでなにも考えてなかった可能性を感じる。
表通りでこそないが、王都の一角にそこそこ広い敷地を持ってその瀟洒な館はあった。
マダム・フレイヤの娼館である。
クレブリの街でも諸事情あって娼館を訪ね歩いたりはしたが、王都の、しかもトップクラスの娼館となるとどことなくたたずまいからして違う。
しっとりとした光沢を持つ木製の扉は、真鍮のドアノブや装飾で品よくまとめられていた。タテにもヨコにも大きく贅沢にしつらえられた玄関扉の、頭の高さに取り付けられたノッカーはふっくらとしたウサギの形だ。
訪問者の手にみがかれたウサギの金具を打ち付けて鳴らすと、弾むように、花咲くように。すぐに中から返事があった。
「きてくれたの?」
ぱっと表情を明るくさせて、出迎えてくれたのは美しきレディだ。
私とレイニーと金ちゃんは、前にも一度お届け物にきたことがある。
あの時は公爵家の地味なほうの馬車が貸し出され、なにも気にせずうっかり営業時間に伺ってしまった。反省はしている。
妖艶なるレディたちとの逢瀬を楽しむリッチな紳士を多数戸惑わせてしまい、あれは本当に申し訳なかった。
そのいたたまれない失敗を踏まえ、今回は多分営業時間に掛からない、日の高い内に用事を済まそうと我々は急いでやってきたのだ。
が、その気遣いはほとんどムダだ。
まだ午後のおやつにも早いと言うのに、めくるめくただれた時間をすごすための館にはお客の姿があったのだ。まじかよお前。
年の頃は二十代も後半だろうか。貴族と言った雰囲気ではない。しかし布地も仕立ても上等そうな上品な服を、めちゃくちゃチャラく着崩す男だ。
脱いだ上着はソファの背もたれに無造作に投げ、体のラインにぴったり合わせたベストの下には胸元をめいっぱいにくつろげたシャツ。ゆるく後ろになで付けた髪は、気だるげに乱れて額や頬にやわらかに落ちる。
遊び人である。
私知ってる。なんかこう言うの時代劇とかで見た。昼間から遊郭に入りびたり大店の身代を食いつぶす三男坊とかに違いない。詳しいんだ私は。三味線弾けよ三味線。
そんな彼には我々が、マダムの館で粋に遊べる人種には見えなかったようだ。
お支度前でもうるわしいレディたちにきゃっきゃと囲まれ、深いボルドーと暗めの茶色。きりりとした黒で整えられたシックなサロンに入ってきためずらしい客を、「おや」と声と眉を上げ少しおもしろそうに見た。
「大事なお客様のようだね。席を外そうか?」
チャラい。なんと言うことだ。普通のことを言っていてもチャラい。ただの偏見と言うような気もする。
そんなチャラい気遣いに、エントランスのらせん階段をおりてきてサロンに現れたマダム・フレイヤが如才なく答えた。
「拗ねてしまいましたの? フーゴさま。いけませんわね。フーゴさまも大切なかたですのに。それに、いかが? ドレスの試着が終わりましたわ」
「いいね。似合うじゃないか。うちのお針子も張り切って腕を振るったらしい」
しっとりと妖艶にほほ笑む黒髪のマダムにうながされ、フーゴと呼ばれた男性客が立ち上がりうやうやしく手を差し伸べた。
その手を取るのはマダムに続いてサロンに足を踏み入れた、ドレス姿のご婦人だった。
彼女は娼館で働くレディたちの一人のようだが、今日はどこかの貴婦人のようだ。身を包むのは特別に仕立てた晴れ着のドレスで、その試着をしていたところだったようだ。
よく見たら、マダムとレディの後ろには二人ほど職人らしき男性が我々がやりましたとばかりに若干のどや顔で立っていた。
彼らは王都の中でも大きな商家、ペーガー商会の従業員らしい。
そしてドレスで着飾った美しきレディに茶目っ気たっぷりに片目を閉じて、「いけない人だね。僕の心を奪ってどうするんだい?」とか言って、軽薄に口説くのがフーゴ・ペーガー。ペーガー商会の二番目の息子だ。
おしい。三男坊ではなかったか。
女性の服は普通なら女性従業員が担当するそうだが、それがフーゴを含めて男性ばかりでフィッティングに訪れたのはここが娼館だからかも知れない。例え仕事だとしても、ご婦人には近付きがたい建物だ。じゃあ私はなんなんだと思わなくもないが、それはいい。
聞けば、この特別なドレスはマダムや仲のいい同僚たちから贈られたもので、それは少し気恥ずかしげに着飾る女性がもうすぐ仕事をやめて恋人と一緒になるからだと言う。
「めちゃくちゃめでたいじゃないですか」
私は思わずおののいた。なんと言う時にきてしまったのか。手ぶらだぞこっちは。
「え、待って。なんか探すから。なんかあるから多分。待って」
メガネと二人で祝いの品的なものはないかとわあわあ相談していると、そんなの気持ちだけでいいからと女性とマダムがころころと笑う。玄関からサロンまで案内してくれた複数のレディも、じゃれ合うネコのように顔をよせ合いそよ風のような笑い声を立てた。
なんだこの尊さは。一夜の夢に大枚をはたくおっさんの気持ちがちょっとだけ解る。
そわそわしながら袋と見せ掛け、アイテムボックスからテーブルにぽいぽい色々並べていると「あっ」と誰かが小さく叫んだ。




