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173 とんこつラーメン

 エルフは森林と共に生きている。少なくとも大森林の里ではそうだ。

 だから森の恵みには感謝と敬意を。

 それは植物だけでなく、魔獣にも当然適用された。

 そのために、魔獣からとれる肉や素材は少しもムダにすることはない。骨から丹念に煮出したスープも、その工夫の一つとのことだ。

 その時獲れた魔獣の骨や旬の野菜をくつくつ煮込んで作るので、味は毎回微妙に違ったものになるらしい。それこそ鳥っぽい魔獣が多ければ、鶏ガラスープのようになるのかも知れない。それはそれで楽しみだ。

 そして今日。

 エルフが少し申し訳なさげに、ひなびた料理でごめんとばかりに控えめに出した骨のスープに我々は狂おしく歓喜した。

「とんこつ! とんこつ! ラーメン! ラーメン!」

 ごめん。嘘。

 ウッホウッホとこの世の春を言祝いで、大地を踏み鳴らしよろこぶゴリラは私一人だけだった。

「リコ、邪魔」

 そして怒られた。

 たもっちゃんはピリピリしていた。これは普通に私が悪い。お湯がぐらぐら沸いている周りで、ウホウホと地面を踏み鳴らしてたら怒られたって当然である。

 また、今はとんこつスープを分けてもらってラーメン用の味付けに手を加えているところでもあった。これが、たもっちゃんの信仰心を苦しめていたのだ。

 エルフはなにより尊い存在である。

 そんな彼らが一度完成させた料理を、作り変えるのは不遜な行為にほかならぬ。天よ、罪深き我が身をお許しください。

 みたいな感じで変態は勝手に苦しむが、当のエルフはめずらしい料理が食べられそうだとわくわくしながら待っていた。

 麺の備蓄は充分にある。

 こんなこともあろうかと、ありったけ大量に購入していたのだ。

 嘘だ。

 本当は、夜食にこっそり食べようともくろみこれでもかと買い込んでいたのだ。

 しかし、図らずもとんこつラーメンのようなものが食べられそうと言うのなら。放出してもおしくない。

 好奇心で顔をぴかぴかさせたエルフたちにはぜひともそのまま、たもっちゃんを調子に乗せて料理の完成度を上げさせて欲しい。

 そんなエルフたちにも負けず、と言うか誰より期待に胸をふくらませ、私はラーメンの仕上がりを待った。

 待ちながら、そう言えばエルフにウケるカニとかもアイテムボックスにいっぱいあったなと思い出したが、黙っておいた。

 今はうちの変態が、信仰レベルで愛してやまないエルフの前で輝くためのお時間だ。これはさすがにジャマしてはいけない。とんこつラーメンの仕上がりに関わる。

 関係ないけどその内にカニラーメンとかも作ってもらおう。

 たもっちゃんは我々の期待を一身に背負い、持てる限りの力を尽くしてラーメンを作った。湯切りには並々ならぬ気迫を感じる。なんかテレビとかで見た頑固親父のラーメン屋とかをどことなくほうふつとさせなくもない。

 しょう油を始めとしたダンジョン産の調味料各種をふんだんに、そして繊細に調合し、やたらとにおいがおいしい魅惑の油をどんぶりに垂らす。そこに白っぽい濃厚なスープをざばざばそそぐと、脳髄をガンガン直接ノックする深い香りが立ちのぼる。

 完璧に湯切りされた端正な麺がするすると美しいスープに沈められ、たもっちゃんが自作した菜箸で、慎重に、煮卵とチャーシューめいた厚切りの肉をその上に載せた。

 まあこの煮卵が異様に大きくマンゴーのようで、四つに切っても大きくてアレだが、それはいい。

 大森林では比較的おとなしい鳥の魔獣をアグレッシブに捕獲して、エルフの里で飼育し生ませた卵だそうだ。白身も黄身も全体的にオレンジ掛かった色味の卵は、煮卵の見た目と親和性が高い。

 ぼんやりそんなことを考えていると、魅惑的な湯気の立つ白いどんぶりがどかどかとかまどの近くのテーブルに並んだ。机はメガネの指示によりアイテムボックスから私が出したが、きっと一つでは足りないだろうと適当にいくつも設置してあった。そのために、この一角だけが食堂のような状態だ。

 気付けばすっかり夜である。

 緻密な作業を積み上げて、着々と料理ができあがって行くの飽きることなく見詰めていたら、いつの間にかに相応の時間がすぎていた。

 エルフの里の広場では、中央のたき火に薪が足されて揺らめく炎で辺りを照らす。

 テーブルに並んだどんぶりはスープに浮いた油の中に、あたたかに燃える灯火の色をちろちろと映し込んでいた。

 ラーメンだ。

 しかもとんこつの。

 ふんわり丸い大きなうつわは熱いスープで満たされて、最後にたっぷり散らされたのは緑と白が入りまじるネギのような薬味だ。

 異世界にもネギはあるのだろうか。それともよく似た別の植物だろうか。

 そんなことが頭をよぎるが、すぐにどうでもよくなった。

 第一陣は全部で五食。

 最初のテーブルに載せられたそれを、まず供されたのはエルフの長老たちだった。

 私もそこは、素直に譲る。あわてる必要はなにもない。

 ラーメンを前にフォークを持った長老たちをちらりと見やり、たもっちゃんは意外なほどに淡泊に次のラーメンに着手した。

 二股になった鉄のフォークで苦労しながら麺を持ち上げ、興味深く観察する者。

 どんぶりを両手で支えるように包み込み、スープからただようかぐわしい湯気に目を細める者もある。

 そんな中、一人のエルフが待ち切れないと言うようにとりあえず底から全部かきまぜて、スープも麺もいっぺんに行儀悪くどんぶりのふちからズルズルとすすった。

 一瞬、時間が止まったように。

 ラーメンを口に含んだ状態で彼は数秒停止した。それから一度顔を上げ、再び目の前のどんぶりに視線を落とす。二度三度軽く咀嚼して、ごくりと口の中身を飲み込むとふうっと深く息を吐く。

 そして、まるで猛然と。

 どんぶりにおおいかぶさるようにして、ただひたすらラーメンに向き合いものすごい勢いで麺とスープ、チャーシューや煮卵を口の中へと吸い込んで行った。

「……うまい」

 シンプルな言葉だ。

 しかし、饒舌な感想だった。

 やんちゃにはねるくせっ毛の下で、端正なエルフの額にはうっすらと汗がにじんで見えた。表情は光が差すように輝き、部活帰りの少年のような満足感がそこにある。

 彼は先ほど里長の家で、紹介された長老の一人だ。しかしもはや私の中で、彼の名前は小池さんでしかなかった。本名が全然思い出せなくてやばい。

 この小池さんのストレートな絶賛に、照れくさそうに、しかしどこか得意げにはにかむ店主。店主と言うか、たもっちゃん。

 視線はぐらぐら沸いた鍋にあったが、全身の神経を集中させてエルフの反応をうかがっている。生きてるだけで新スチルなのだ。奴がエルフの挙動を見逃すはずがなかった。淡泊とは一体なんだったのか。

 飛び交うとんこつ。

 舞い散るラーメン。

 歌い踊る中性脂肪。

 イッツ・ア・ビューティフル・ワールド。

 新しい扉は開かれたのだ。

 小池さんを皮切りに、エルフの狂乱は始まった。

 次々出てくるラーメンは群がるエルフに消えて行く。回転率が相当に早い。私は下げた食器をレイニーに渡し、洗浄してもらってはメガネの前にどんどんと重ねた。

 のそのそと復活してきた金ちゃんをまじえて、私が念願のラーメンにあり付けたのは結局かなりあとのことだった。しかし不思議とつらくはなくて、充実し満たされたような感覚があった。

 ラーメンを食べたエルフは誰もがきらきら目を輝かせ、すごくよろこんでくれたから。

 この世界にもラーメンはある。この麺もこちらで調達したものだ。しかし地球の調味料とテイストを、エルフのスープにぶち込んだのはきっと画期的なことだった。

 我々はラーメンを懸け橋に、種族の垣根を越えたのだ。

 エルフを初期の主要なメンバーとして、これから種族に関わらずじわじわと。

 しかし着実に勢力を伸ばす異世界ラーメン振興党は、こうして大森林の片隅で至極ひそやかに産声を上げた。

「トンコツ! トンコツ!」

「トンコツ! トンコツ!」

「ラーメン! ラーメン!」

「ラーメン! ラーメン!」

 わあわあと渦巻くような熱狂に、我々は新しい時代の到来を感じた。固い団結を確信しつつ肩を組み、夜空に向かってトクホを叫んで黒ウーロン茶で乾杯を掲げる。

 まあ、実際はウーロン茶ないんで。

 効能のよく解らない、黒っぽい薬草茶での乾杯となった。

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