172 困った人
元城主の青年は父が不正に手に入れたエルフを秘匿し、罪に問われた。奴隷の身分に落とされて、エルフに引き渡された理由はそれだ。
まあしかし、それは対外的にそう言うことになっているだけだ。
罪人の身柄を求めてエルフ自ら処断すると見せ掛けて、人族の法から青年を逃がすことが目的だった。実際は、エルフの嫁とエルフの里でイチャつき暮らしているらしい。
エルフたちからこいつだけは助けたいとの要望を受けて、我々も少しそのために力を貸した。人族のえらい人に相談しただけだが。
そのことに、青年は深い感謝を改めて示す。
「お陰様で生き永らえることができました。許されぬ罪を負うているとは心得ますが、わたしに残された人生を掛けてこの里に尽くし、多少なりとも父の犯した罪の償いとせんと日々に感謝すると共に研鑽に励む所存です。また、これまではエルフの里と人族の国に安定した外交ルートが存在せず、エルフの誘拐が起こった折にも初動の遅れがありました。この問題の根本は、双方の信頼関係の欠如により協力が実質不可能であったためと考えます。しかし人族の国々においてもエルフの略取は重罪であり、その事実を思えばエルフの保護は人族の義務。そこで危機管理の一環としてエルフと人族に対等かつ恒久的な外交ルートを構築し、エルフの盤石な安全を確保することがわたしに与えられた使命ではないかと確信するに至りました。そこで――」
「温度差」
あっ、しゃべれた。
やっとお茶が効いてきたのか、レムングの花で回らなくなってた怪しいろれつがここへきて戻った。びっくりした。どうせ解んねえだろと思って言ったら、妙にはっきりディスる感じになってしまった。びっくりした。
あと長い。元城主、めっちゃ話長かった。
あれかなあ。地方とは言え、政治と言うか、統治者っぽい血が騒いでしまうのかなこう言う話は。
なんかよく解らない話をいきなり熱っぽく語られて、私は思わず放った言葉通りにその温度差に戸惑った。きっと、それが顔面か雰囲気に出ていたのに違いない。
「もう、困った人。ごめんなさいね」
と、美しいエルフが青年の隣でほほ笑んだ。それは上品な空気を持ったエルフの女性で、奴隷落ちした青年の嫁だ。
なぜだろう。なんかすごく優しげに、夫の不始末を詫びる姿がまだ若い年下の伴侶を転がしてる感がとてもする。
彼女と初めて会ったのは、うちのメガネがエルフを苦しめる変態の村を次々に焼き払っていた頃だ。
助け出すべきエルフの一人として出会った彼女は、しかし人族である青年と深い愛をはぐくんでいた。メガネ率いるエルフ解放軍の襲撃で、引き離されると思い込み二人で海に入ろうとする程度には。
たもっちゃんはその愛を、のた打ち回ってうらやんだ。変態は業が深いのだ。
その頃の彼女は豪華なドレスに身を包み、貴族のように飾られていた。エルフは総じて美しい。そしてどこか気品があって、贅沢な服装もよく似合う。
それが今では自然素材に全振りの、シンプルなただのワンピース姿だ。上に厚手の織物をマントのようにざっくりと巻き付け、素朴な村の風景になじむ。
あの頃の、贅沢な暮らしは見る影もない。
それは青年も同様だった。
自然の中に埋没するようなこの里の暮らしは、慣れないことも多々あるだろう。特に貴族生まれの青年は、失ったものも決して少なくはないはずだ。
けれど、そんなのはどうでもいいと言うように。
二人はことあるごとに互いを見詰め、幸せそうにほほ笑み合った。愛する二人は一緒なら、場所はどこでも自力で幸せになるらしい。
まだ理想を語り足りない若い夫と、それをたしなめる美しい妻。幸せそうにいちゃつく新婚夫婦に付き合わされて、私はお酒が充分あったまるまで「はいはいリア充リア充」と、雑に相づちを打つお仕事をした。
少しあとのことになる。
私はうちのメガネに胸倉をつかまれ、ぐらんぐらんと揺すられながらなんかすごく責められた。
「俺だって……! 俺だってエルフにちやほやされたいんだよ!」
叫んだ内容がひどすぎて、たもっちゃんはエルフたちから余計に距離を取られていたがそれはいい。エルフたちにはそのままうまく、危機管理の意識と能力を育てて欲しい。
この、いさかいの原因は酒だった。
エルフにも、アルコールをたしなむ文化はあるらしい。
でも決して、溺れはしない。
ドワーフとは違うのだよと、エルフはドヤァと謎のアピールをした。
ついでに聞いた話によると、エルフの飲酒の習慣は祝いの席でハチミツ酒を少しばかり飲むくらいだそうだ。
前に王都でエルフ救出作戦前に勢いよく乾杯していた気がするが、あれは酒ではなかったのだろうか。それとも決起集会みたいなノリで、特別な景気付けだったのか。
そんなお酒にうといエルフの里でも、日本酒はやはりめずらしがられた。異世界の酒だ。当然ではある。
ではその結果がどうなったかと言うと、エルフの手による宴料理と日本酒のマリアージュを楽しんでいたレイニーが、好奇心でいっぱいのエルフたちに取り囲まれた。
そこで、そんなに気になるんだったらと、アイテムボックスに秘蔵したレイニー用の酒樽を出した。
間際の町でだいぶん買い上げられてしまい、もうあまり数はなかったが日本酒の出るダンジョンは大森林の中にある。近い内、また行く機会もあるだろう。
そんな感じで軽率に出したこの酒が、エルフたちにものすごくウケた。
主にドワーフと取り引きする時に、上から交渉できる材料として。
めずらしく、しかもこの酒は上等だ。これはいい。これはよいものだ。ドワーフが悔しがるのが目に浮かぶ。
そんな感じでいくらか譲って欲しいと言われ、レイニーと相談した上で一つだけを手元に置いて残りは全部渡しておいた。
やったやった。うれしいうれしい。
素直に率直にエルフがよろこび、代価はなにがいいのかと、ぴかぴかとまぶしいような笑顔と好意をお酒を出した私に向けた。
これだ。
これがメガネの逆鱗に触れたのだ。
「もおお! 何で? 何で? そう言うの俺にやらせてよぉ!」
とのことである。
メガネは泣いた。なんかすごくむせび泣き、私を責めた。
まあ、解る。これは私が悪かったかも知れない。
エルフを愛するメガネにしたら、推しの好感度を上げるイベントを私が横取りしたようなものなのだろう。多分だが。
しかし、こいつとの付き合いも思えば長い。こう言う時はどうすればいいのか、私はちゃんと心得ているのだ。
とりあえず、私はこれ以上なくニヤニヤと感じの悪い笑みを浮かべた。そして精神、物理、両方で、思い切りメガネを見下ろして言った。
「ん? どうした? うらやましいか? ん? ん? うらやましいだろ? ん?」
「ちっきしょー!」
たもっちゃんは憤怒のあまり、腹の底から大声で叫び両膝と両手を地面に突いた。
我々は元々地面に広げた敷き物の上に座っていたので、単に敷き物の上に四つん這いになってくやしがっただけだ。
だが、これでいい。奴の心は折れている。
私は笑った。嘲笑である。
こんなチャンスを逃してはいけない。少しでも優位を感じたら、死体に鞭打つ勢いで煽るだけ煽って勝ち誇るのが戦国の習い。群雄割拠を生き抜いて、敵将を討ち取り一国一城の主となるのだ。
すねたメガネは正直うざいが、不利益を生むと解っていても挑まねばならぬ時が人にはあるのだ。今ではないような気もするが。
このテンションはなんなのか。それは自分でも解らない。段々と宴会も楽しくなってきて、多少浮かれていたのかも知れない。
私は高笑いしながらに心の安土城を築城したが、しかし事態はすぐに転変を迎えた。明智の軍勢が攻め込んできたのだ。
異世界の明智光秀は、どう見てもとんこつスープの姿をしていた。
解り難いので普通に言うと、宴料理の一品として魔獣の骨を丹念に煮込んだ濃厚な、しかしさらりと白っぽいスープが出てきたのだった。あまりのことに、私は震えた。
「たもっちゃん、これ……」
「豚骨だよね。豚かどうかは解んないけど」
そう、それ。魔獣だから多分トンではないのだが、しかしそこは重要ではない。
「ねえ、たもっちゃん。たもっちゃん。ねえ。ねえ、これ。ねえ」
「……頼み事をする前に、俺に言う事あるんじゃねぇの? あぁん? ほら、あぁん?」
「全部私が悪かったのでとんこつラーメン作ってくださあい!」
私は恥もためらいもなく、両手を突いてひれ伏した。最初に会った時のレイニーよりも、俊敏で堂々たる土下座だと自負する。




