170 レムングの花
結局食べた。
好奇心に負けた。
里長の家の周りに散らばる花は、あざやかな黄色で結構大きい。
花びらの一枚一枚がしゃもじの先くらいあり、意外に肉厚。シャクシャクとした食感に味は甘くさわやかで、少しだけ日本の梨に似ている気もする。
「にょーきょーでありゃなぎゃらあひょあじはしゃわやきゃでしりゅきょくにゃきゅ」
「リコ、痺れてる痺れてる」
マジか。
健康が強靭すぎて毒も効かねえとうっすら聞いたような記憶もあるが、影響が一切出ないと言うことではないのかも知れない。
ただし、耐性はかなりあるようだ。
私は落ちたばかりの花びらをぱくぱくシャクシャク何枚も食べて、まだ元気な状態だ。言葉はかなり怪しいが。
あの頑強待ったなしの金ちゃんがいまだに地面でびくんびくんしているのを思えば、まだ耐えているほうだろう。なんと言う健康のゴリ押し。ありがたい。
この、あざやかでおいしくてちょっぴり麻痺毒を持つ黄色い花は、よく見れば全てたった二本の木から落ちてきたものだ。
そのことに、私はおどろいた。
幹の太いかなり背の高い木が、里長の家をはさんでにょきにょきと生えている。枝は高い所で空をおおい尽くすみたいに広がって、ぱらりぱらりと花を落として和風の家や庭一面をあざやかに飾った。
視界が全部、花で染まっているからか。この空間いっぱいに、木々がひしめいているような感じがしていた。完全に気のせいだった。存在感に騙されていた。
「けど、痺れる花なんか里にあったら危なくないですか?」
頭よりずっと高い場所にある花を見上げてメガネが問うと、履物を突っ掛け家から出てくる長老たちがのんびりと答える。
「まぁねぇ」
「でもま、里の中なら多少行き倒れたところでそうそう死にゃあしないしね」
それに、と。エルフの老人会が語るには、本来、この花は嗜好品ではないらしい。
ある方法で花からしびれ薬を抽出し、狩りに使ったりするのだそうだ。毎年毎年、子供だけにとどまらず大人の犠牲者を出しつつも、この木が里の中に生えているのは素材を確保するためらしい。
「にゃるひょど」
口はそこそこしびれているが、こりずに花を食べながらうなずく。なんかもうこれ止まんない。長老たちが言ってた通りだ。しびれるけどおいしい。くせになる。
そろそろ行くよとうながされ、もうちょっとだけのつもりでシャリシャリシャリシャリ無心に花を食べ続けていると、ふっと手元に影が差す。レイニーがふらりとそばに屈み込んだからだ。
「そんなにですか。美味しいのですか。わたくしも少し……」
「えー。レイニーやめなって。俺、金ちゃん担ぐので手一杯だからね。宴会場まで運ばないからね」
明らかに重すぎで大きすぎる金ちゃんを、魔法を使って軽くして背負ったメガネが嫌そうに言う。レイニーは一瞬私を見たが、私も多分、運ぶのはムリだ。
レイニーは拾った花を恨みがましく見詰め、それからしぶしぶ、本当にしぶしぶ手放した。とりあえず、断腸の思いで宴会を優先したらしい。
我々を歓迎するための宴は、別の場所で着々と準備されていた。そのために、黄色い花にうもれるような里長の家から少し移動しなくてはならない。
長老たちや迎えのエルフに案内されて、到着したのは木々の合間に少し開けた空間だった。と言うかこれは、さっき初めて里に入った時に最初に通った場所だった。
もちろん挨拶のためもあったのだろう。
しかしなんかこうなると、なにより先に里長の家へ通されたのは宴会の準備をするために遠ざける目的があったのではないかと思われてならない。多分外れてないような気がする。
時刻はそろそろ日暮れ時。辺りはすでに薄暗い。
少し開けた木々の合間に魔法で簡易的なかまどが作られ、鍋や鉄板があぶられていた。忙しく働くエルフの手元は魔石の明かりで照らされて、そのほかは広場の真ん中の大きなたき火で視野と暖をまかなっている。
「里長、一言」
若いエルフが里長や長老たちの姿に気付くと、木製のゴブレットを差し出して言った。その場のえらい人による、乾杯の挨拶は異世界でも慣例のものらしい。
「では、手短に。多大な恩を受けた人族の友をこうして里に招く事ができて心から嬉しく思う。また、久しく里を離れていた同胞達と再会できた僥倖を祝うと共にこれからも――」
「はい、乾杯」
「さ、お客人を持て成しておくれ」
手短にと言いつつ話が長そうな空気を出した里長に、長老のご婦人がたが横からにゅるっと口をはさんで強制的に宴を始めた。ベタだが大変有能だった。
手に手に杯を掲げたエルフたちが一斉に、沸き立つように騒ぎ出す。焼いたお肉に煮たお肉。冬を越えたばかりと言うのに、新鮮そうなくだものもあった。あとから取って置きのスープが出るから楽しみにしていろとも言われた。
大きな木皿やつるつるの厚い葉っぱで料理がどんどん運ばれて、我々にと用意された敷き物はあっと言う間にいっぱいになる。
敷き物は針と言うには少し太いが、丈夫で細長い植物をエルフが織って作ったものらしい。なんかこれ、がんばれば畳も作れるのでは。
敷き物は大体四畳くらいに横長く、それを二枚並べて敷いた所へ金ちゃんを含む我々四人と五人の長老たちが好きに座る。
――と言うのが、主催者側の予定だったようだ。
まあ、当然のようにそうはならなかった。予定とは崩れるものなのだ。崩しているのはうちのメガネとトロールだったが。
そもそも、金ちゃんはまだしびれたままだ。でっかい体で敷き物に上向きに乗っかり、びくんびくんと横になっている。
またその近くでべったりと、敷き物に頬をすり付けてうつ伏せになっているのはうちのメガネの変態だ。ふしゅーふしゅーと変に興奮した呼吸音が聞こえる。エルフが丹精込めて織り上げた、敷き物の尊い質感を全身で余すことなく感じたいらしい。こいつはもう本格的にダメなのかも知れない。
仰向けで寝る金ちゃんの口をこじ開けて、在庫整理で発見されたよく解らないお茶をざばざばとそそぐ。かなりムリヤリ飲ませたが、たもっちゃんもこの謎お茶で二日酔いがずいぶんよくなった。多少の効果はあるだろう。
レイニーがキリッとした顔でお皿を持ってどこかに消えて、空いた場所に這うように現れたのは隣の敷き物にいた長老の一人だ。
「普通は、食べないものだけどね」
壮年を少しすぎた外見の、くせっ毛のエルフがどこか感心したように言う。彼は敷き物に両手を突いて、寝っ転がったトロールを上から覗き込むように眺めた。
「レムングの花は痺れるからね。親に守られた子供ならともかく、大森林で動けなくなったら殺してくれって言う様なものだよ。このトロールも、大森林で捕らえたんだろう?」
だったらやっぱり、あの花を無防備に食べるのはめずらしい。
そう言って、あの花とは例のしびれる黄色い花でレムングがその名前らしいと遅れて気付いた私に対して年かさのエルフがにこりと笑う。
「余程、君達を信頼しているのかね」
完全にからかわれているのが、ありありと解る。でもなんか、そう言われると悪い気はしない。
えー、なんなの? 金ちゃんそうなの? 意外となついてんの我々に?
そんな感じでねちゃっとにやけた顔が出そうになったが、私のロクでもない勘が訴える。信頼っつうか全然逆に、自暴自棄になってるパターンもあるぞと。
金ちゃん、最初っから傷だらけだったし。大森林の間際の町で地産地消に謎のこだわりを見せる奴隷商から買ったけど、捕まってたの金ちゃんだけだし。
これはもう、絶対過去があるだろう。そんな面倒な男が簡単に、しかも種族さえ異なる我々を信用などするものだろうか。
別に相談のつもりはなかったが、なんかそんな感じなんですよねと世間話のノリだった。ただし私のろれつは回っていない。
エルフの中でも年齢を重ねた、しかしおとなげとかはなさそうなくせっ毛の男はレムングの花でべろべろの私の話を根気よく聞いた。身振りをまじえて解読し、大体の意味を察するとさらりと核心を突いてうなずく。
「うん、まあね。両腕落として追放するのは、大森林の処刑法ではあるよね」
金ちゃんは隻腕のトロールである。
残った右腕も左と同じ位置で切られて、雑に縫い合わせてあるだけだ。それが処刑て。マジかよ金ちゃん。マジきついじゃん。
私は寝っ転がった金ちゃんの口にざばざばお茶をそそいでいたが、動揺でうっかり手を止めるのを忘れた。
さすがの金ちゃんも軽く溺れて、ごぼごぼとむせる。本当にごめん。




