17 怪物
災害を想起させる描写があります。ご注意下さい。
突然ガタガタと全身を揺す振られ、目が覚めた。
ベーア族のベッドの上で、なにごとかとレイニーと一緒に飛び起きる。あわてて周囲を見回すと、部屋全体が揺れていた。建物自体の振動は、恐らく地面からくる揺れだろう。
雨はまだ、強く降っているらしい。屋根を叩く雨音が、ざあざあとノイズのように絶えず聞こえる。――しかし、これはなんだ?
雨音をかき消すほどの轟音が、地を這うように重たく湿ってずしりと響く。
「行こう」
もう一つのベッドを素早く下りて、たもっちゃんが宿の部屋を飛び出した。
階段を下りると、すぐにジョナスの姿があった。薄暗い酒場に、小さなロウソクの明かり一つで不安そうに立っている。
「ジョナスさん! これ、何が……」
「怪物だ!」
この音は。振動は。なにごとなのかと、たもっちゃんは問おうとしていたと思う。しかし問うより先に、酒場の扉を乱暴に開いて駆け込んできたのはベーア族の男だ。
男は、必死で走ってきたようだ。水を吸ったこげ茶の毛皮が、ぼたぼたと水滴を落として床をぬらす。しかしそんなことには少しも構わず、男はジョナスに逃げろと言った。
「逃げろって、おめェ……」
「山ン中から怪物が出たんだ! 逃げるしかねェ!」
男に怒鳴られ、ジョナスはただ戸惑った。動いたのは、たもっちゃんだ。彼らの横をすり抜けて、扉の外へ迷いなく飛び出す。
「レイニー!」
雨が降りそそぐ扉の外で、聞きなれた声が連れを呼ぶ。
「あの山を照らせるくらい、でかい灯りって出せるか?」
「出せます」
じゃあ、頼む。そう言いながら、たもっちゃんはこちらを少しも見なかった。ざあざあと雨が降る中で、顔を上げて一点を見たまま動かない。
その理由は、すぐに解った。レイニーが魔法で周囲を照らし出すと、そこにあった。
夜の空より黒いなにか。山のように大きくぐねぐねとしたものが、木々を倒してゆっくりと村のほうへと近付いてくる。
――怪物だ。あれは、確かに。
「レイニー! 障壁で村を守れ!」
その声ではっと、我に返った。
黒いかたまりから視線を引きはがし、たもっちゃんを見る。しかし、そこにはすでに姿がなかった。レイニーの障壁から飛び出して、雨の中を怪物のほうへ駆けて行く。
「たもっちゃん!」
「リコさん、ここにいて下さい。障壁から出ない様に」
私には戦う手段も、身を守る術もない。だから、レイニーが止めるのは当然だ。
そうだよね。ジャマをせず、おとなしくしておくのが一番だ。
だけど。
「レイニー、あれさあ……大丈夫だと思う?」
「……解りません」
たもっちゃんは村の端で立ち止まり、そこから魔法を撃っていた。だけど、なんか。なんかさあ。
ずんかん撃ってはいるのだが、魔法の効果がほとんど見えない。放った火球は当たると同時にジュッと消え、張り切って撃った電撃で自分までもがしびれている。
……雨、降ってるからなあ。
いや、この状況ってかなり大変だとは思うんだよ。山のように巨大な黒い怪物は、うねうね動いて今もこちらに近付いている。遠くで見てるだけですでに恐いし、あれが村の全てを踏み潰すまでそう時間はないだろう。
たもっちゃんは今、必死でなんとかしようとしてるんだと思う。そのことは本当に、素直にすごい。……すごいんだよ。ほんと。
だけど、ごめん。私の経験が告げている。パニックになった時のたもっちゃんは、びっくりするレベルのポンコツになると。
今も魔法で怪物の足元を抉ったはいいが、ほら、雨がいっぱい降っちゃってるから。周囲の土がどんどん流れて、自分のほうの足場まで崩れ掛けてしまっている。
「私さ、ちょっと行ってくるわ……」
なんかあの人、自分のミスで勝手に死にそう。ほっとくと、逆に被害が拡大するような気もするし。
「でも、リコさん」
「やばいと思ったら戻ってくるから、このまま障壁張っといて」
そう言ってレイニーの障壁から出た瞬間、雨がばちばちと肌を叩いた。そうか。障壁の中は、雨風さえも防がれていたのか。うちの守護天使、すごい有能。
すれ違う村人に障壁に入るよう言いながら、たもっちゃんの所へ向かう。すると、そこに別の人影があることに気が付いた。
「あれっ? ティモじゃん」
正直、ベーア族のクマ顔は見分けが付かない。でも、ティモだけは解る。私よりは大きいがほかのクマより少し小柄で、たもっちゃんに虫の味を覚えさせた罪深いクマがコイツだからだ。
「なにしてんの?」
「家族! 動けないんだ」
言われるまで気付かなかった。ティモが屈み込むのは瓦礫のそばだ。崩れ落ちた家だろう。その壊れた建物の下に、茶色い腕がわずかに見える。
彼が必死で掘り起こす場所を横から見ると、瓦礫の重みに耐えながらベーア族の大きな男が子供を抱いて守っていた。
あ、ダメだ。私、涙もろいババアだから。こんなの見たらすぐ泣いちゃう。
たもっちゃんは障壁を張り、ティモとその家族をかばっていたようだ。同時に攻撃魔法で牽制もするが、怪物の足は止まらない。
多少の時間は稼げるかも知れないが、黒いかたまりはすぐそこだ。ここが怪物の下敷きになるのは時間の問題でしかない。
「たもっちゃん、正直どうなの?」
「どうって? どうって何!」
「いや、いける感じ? 弱点とかないの?」
「あー……何かさぁ、こいつ水吸ってでかくなってるみたいでさ。昔そう言うおもちゃあったよな。で、ぶよぶよなの。表面攻撃しても効かないんだよね。あの一番上の、核みたいなやつ見える? あの本体攻撃したら、すぐ死ぬみたいなんだけど」
怪物を牽制しながらに、たもっちゃんが早口に頭の中身をべらべらとしゃべる。これ、あれね。かなりテンパっている時のやつ。
「じゃあすぐに攻撃しようぜ」
「えー、こっから動くと障壁維持できねーよ」
障壁がなくなれば、ティモと家族は怪物の下敷きだ。下敷きになると、ぺっしゃんこ。
それはダメだな。
「じゃー、私行くわ。怪物の気い引いといて」
「は? ……は? ちょっと! リコ!」
たもっちゃんの障壁から出ると、すぐ近くにうごめく黒いかたまりがあった。それは山のように大きくて、一番上ははるかに遠い。
そこに行くにはどうするの?
山は登ればいいじゃない。
助走がてらに雨の中をダッシュして、大きな黒いかたまりの下の辺りから駆け上がる。
「よっしゃ! 行け……あ、ダメだ」
行ける気がしたのは一瞬で、ぶよぶよした怪物の表面に足がぬめって滑ってしまう。
でも平気。私の中の山男が言っている。
滑るなら、ピッケル刺せばいいじゃない。
アイテムボックスからギルドの初心者ナイフを出して、手近な場所に突き刺した。これでずんずんのぼって行けば、その内てっぺんにも着くだろう。
と、上を見上げた瞬間に、私は下を向いていた。いや、違う。視界全体がぐるぐる回り、上も下も解らない。
どうもこの時、私は怪物の触手によって弾き飛ばされていたらしい。
まあ、ナイフ刺してっからね。そう言うこともあるよね。たまには。
怪物も痛いのは嫌だったようで、私の体は強めに弾き飛ばされた。だからポーイッと高く投げ上げられて――着地した。うごめく黒いかたまりの、一番上の頂上付近に。
「ええー……?」
私は、戸惑った。
いいのかな、これ。手の届く所に、本体っぽいタコみたいなのがいるんですけど。
そのタコ的なものは頭の部分がビーチボールくらいあり、中に大きな魔石が透けて見えた。魔石をかかえる頭から放射状に伸びる何本もの触手で、このぶよぶよとした巨大な体をコントロールしているようだ。
つまりこのタコ、怪物にしたら超大事。
なのになあ、こんな簡単でいいのかなあ。罠とか言うんじゃないだろうな。今ならやれちゃうから、やっちゃいますけど。
なんとなく釈然としないまま、力を込めて初心者ナイフを核となる本体に突き刺した。 次の瞬間、私は黒いかたまりの上から乱暴に弾き飛ばされていた。やっぱり、怪物でも痛いのは嫌みたいだ。
再び空中高く放り投げられ、落下していく視界の中に一緒に落ちるナイフを見付けた。ギルド支給の初心者ナイフは、刀身が根元からぼっきりと折れている。
あれ? これ、大丈夫かな。本体、ちゃんと刺せたかな。これで失敗したとか言ったら、私ただのバカじゃない?
とりあえず、ちゃんとしたナイフ買わないとダメだなあ。
私はそんなことを思いながらに、ゆっくりと地上に向かって落下した。