166 二日酔い
結局、ギルド長からのお話は始まらないまま解散になった。顔には全然出ていなかったが、しこたま酔っ払っていたからだ。
同じく顔には全く出さず「む、少々酔いました」とか言う初老の男性職員と二人、ふらふらしながら歩いて帰った。ただただ酒を飲んで行っただけだ。
翌朝、たもっちゃんはすっかりしかばねだった。二日酔いである。
酒量はきっちりおちょこ二杯ぶんだったが、はれぼったい顔で横になり不明瞭にうめいて世界に怨嗟を振りまいている。
「……ミズ……ミズを……水……」
違った。水を欲しがっているだけだった。
レイニーが管理する適温に保たれた障壁の中で、私は完全にアルコールに負けているメガネを指先でぐいぐいつつき回した。
「たもっちゃん、そんなゴミのように弱いのになんでお酒飲んじゃうの」
「大丈夫な時もあるもん……俺、ゴミじゃないもん……」
私が出した空のカップをレイニーが魔法で出した水で満たして、よぼよぼとした動作でメガネが受け取る。うつ伏せに寝た体勢でカップをちびちびやっているところへ、効能がなんだか忘れてしまった薬草のお茶も置く。
健康が付与されているだけ、飲まないよりはマシだろう。マトモなお茶はまだあるが、得体の知れないお茶の在庫も結構あった。この辺からどうにか整理して行きたい。
しかし料理担当がこの調子では、朝食は期待できないようだ。
アイテムボックスに備蓄した作り置きの料理で食事にしてもいいのだが、二日酔いの状態で重いメニューはきついかも知れない。
すでにたき火は消えてるが、三脚状のたき火台は出したままになっていた。つるの付いたほどほどの鍋を、台から下がる鎖に吊るしてレイニーを呼ぶ。
「レイニー、水入れて。水」
「まぁ。何か作るんですか? リコさんが?」
「ううん。大体はレイニーが作る計画」
「まぁ……そうですか……」
おどろきに見開かれた青い目が、納得と同時に光をなくす。なにも期待されてない感じが、さすが私と言わざるを得ない。
レイニーが鍋の半分ほどに水を入れ、冷えた薪に火を付ける。同時進行で私がアイテムボックスから取り出した貝を、テキトーにざらざら入れると水かさが鍋いっぱいに増えてしまった。
おかしい。この時点ですでに、思ってた感じと違う気がする。とりあず多い。
やたらと渦巻いている貝はクレブリの漁港で買ったものだが、砂抜きしてから急速冷凍で処理してあった。生きたままだとアイテムボックスに入らなかったためである。
なので多少テキトーにしても、ガリガリと砂を食べるはめにはならない。下ごしらえの勝利だ。実際作業したのはメガネだが。
お湯が沸くまでぼーっと鍋を見詰めていたら、ずっと見ていたはずなのに気付くとお湯が沸きまけていた。お湯がたき火の上に落ち、じゅわじゅわと盛大に煙を上げる。
「あれ? 消えた?」
「消えましたね」
「そんなこぼれてないのにね」
「えぇ、ほんの一瞬でした」
「一回沸いたからもういいのかな。それとももうちょっと沸かしたほうがいいのかな」
「薪が湿って火が付きませんね」
「じゃあもういいか。一回沸いたし」
「そうですね。お湯にはなっていますしね」
ヘーキヘーキみたいな感じで、私たちはうなずき合った。
そう、レイニーはいくらかマシかと思ったら、限りなく私に酷似したポンコツ料理センスの持ち主だった。あと、金ちゃんは昨日の残りのイカを噛むのに忙しい。
そんないかれたメンバーで生ごみを量産していることに、きっと耐えられなくなったのだろう。背後から地を這うような声がした。
「……どけ」
たもっちゃんである。
毛皮や布を重ねて作った寝床から、割と真剣に必死の感じでずるずると出てきた。ゾンビかと思った。
絶対これまだだから。お湯が沸いても貝は冷凍したやつだから。もっと煮ないと中のほう冷たくて生だから。
たもっちゃんは呪文のようにぶつぶつそんなことを言いながら、地面にどっしりかまどを作って大きめの鍋を準備した。たき火台から鍋を下ろして中身を全部そちらに移すと、かまどに火を入れ振り返る。
「で? 何作るつもりだったの?」
「貝のお味噌汁。二日酔いにいいと聞いた」
「……それ、シジミとかじゃない?」
「そうだっけ?」
鍋の中に入っている貝は、ピンポン玉くらいの大きさでなんかすごく渦巻いている。とりあえず、シジミではなさそうだ。
なんか違うね。違うようですね。間違えちゃったね。そもそも正解がないのでは?
そんな感じでレイニーと鍋を覗き込んでると、たもっちゃんは「もおお!」とわめいて渦巻く貝のお味噌汁を仕上げた。
「普段何も手伝わないくせに親が病気の時に台所荒し回りながら焦げたおかゆ作ってよたよた持ってくる幼稚園児みたいな事言いやがって! もおお!」
なぜかピンポイントでぷりぷりと、たもっちゃんはわめいたが朝食にはダシ巻き玉子が付いてきた。メガネが甘い玉子焼き主義であることを思うと、これは非常にめずらしい。
どこがどうしたのかは解らんが、なにかがツボにはまったのだろう。あやうく生ごみを錬成し掛けた大罪は、こうしてなんとなく許された。
少しして、我々は冒険者ギルドの小部屋にいた。
そしてテーブルの向こう側に座り、貝のお味噌汁を同時にすすり同時にほっと息を吐く美しきギルド長と初老の男性職員を見ていた。
ギルドには立ちよらず大森林へ直接行ってもよかったのだが、なぜか町の入り口で初老の職員が待ち構えていたのだ。入り口と言っても柵さえないような町なので、なにもかもが大体の感じだ。
まあまあいいからちょっときてと捕獲され、冒険者ギルドまで引っ張って連れて行かれるとギルド長が待っていた。
そんなに親しい訳ではないが、私にも解る。
二人には、完全に前日の酒が残っていると。
今朝のメガネほどではないが、どことなく気だるく体が重そうに見えた。
二日酔いには貝の味噌汁がいいと聞く。約一時間ぶり二回目の知恵袋を発揮して、我々はなぜか最終的に量が増え持て余すことになってしまった今朝の味噌汁を振る舞った。
中身はシジミでこそなかったが、ジャパニーズミソスープは日本酒を飲んだつもりで飲まれた体にしみ渡ったようだ。最初は泥水かと戸惑っていたギルドの二人も、満足そうに目を細め滋味のあるスープを味わった。
空のうつわを洗浄魔法で清めた上で返してくれて、ギルド長が言った。
「些少だけど、受け取って」
それに合わせて、隣に座った男性がテーブルの上に魔石をいくつかごとごとと置く。
「何ですか?」
「昨日の酒代よ。飲むだけ飲んでそのまま帰ってしまったから。申し訳なかったと二人で反省していたの」
「ご迷惑をお掛けしました」
「えっ、律儀」
飲ませたのはこちらなのにと、一応遠慮しながらもメガネは結局魔石を受け取った。彼らの話はそれで終わりではなかったからだ。
「あの酒、手持ちがあるなら少し融通して欲しい」
「出来ればこちらにも」
「可能なだけでいいの」
「いや、でも。できるだけ」
「贅沢は言わないわ」
「そう、贅沢は決して。そんなには」
二人は、イスの上で前のめりになって交渉を始めた。地味に一切引く気配が見えない。
たもっちゃんがじわじわ笑いながら出したのは、両手で軽く持てる程度の白木の樽だ。
二本の棒が樽の左右から上向きに伸びて、その棒と棒の間には持ち手の板が渡されている。お正月なんかに神社とかで見るような、角樽と呼ばれるタイプのやつだ。
ただしサイズは小さめなので、入っているのは一升程度。ダンジョンでは最初から、この状態でドロップするらしい。酒をあんまり飲まない人間の酒のイメージがうかがえる。
この酒をどうしたのか問われて、元々は故郷の酒だがこれに関してはダンジョンで独自に入手した。
そう答えると、ギルド長と職員は一瞬顔を見合わせた。
「……そう。では、ギルドでの買い取り価格に希望はある?」
「ギルド通すんですか?」
「えぇ。ここは大森林に入る冒険者が装備を整えて行く場所だがら、鍛冶屋が多いのよ。ドワーフもね」
ギルド長が真顔で語るところによると、ドワーフに酒の情報を隠し通すのは実質不可能とのことだった。なんでか知らんが、絶対かつ迅速にバレるものらしい。
「だから、買い取り価格を決めておくべきなのよ。トラブルや混乱を招かないためにね」
特に、我々の持ち込んだ日本酒は手に入り難いようだし。と、彼らはむやみにキリッとした感じで言った。むくみ気味の顔面にお酒大好きと書いてなければちゃんとした話だ。




