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163 悪代官

※都合よく快方に向かいます。呪いにより変異した外見についての描写があります。


 黒ぶちメガネの向こう側にある目と眉を、たもっちゃんはぎゅっと閉じて天を仰いだ。

 若様が目覚めた朝の、その寝室でのことである。

 昨夜は若様の経過によっては我々が一転責められるパターンもあると言うので、お屋敷にとめ置かれていた。理由はあれだがこの辺りには宿もなく、普通に泊めてくれたので逆に我々も助かった。

 がぶがぶとお茶を与えた若様は特に悪化することもなく、私が健康のゴリ押しでべたべた触っておいた顔面も薬草の湿布ではれが引きずいぶん人間らしくなったように思う。

 そうしてみると若様ははっとするほど美青年、と言うことも一切なくて、素朴な味わいの顔付きをしていた。

 なんだか優しくおだやかそうで、ほっとするような雰囲気がある。それには好感しかないのだが、次に会ったら見たことがあったかどうかも思い出せない確信があった。

 なんなら目覚めた若様にべったり貼り付く若い使用人の女性のほうが、金に近い薄茶の髪にはっきりとした顔立ちで華やかに見える。

 呪いの部分以外で言うと、若様の特徴らしい特徴は髪の色が変わっているくらいだ。頭の上下で髪の色がくっきり分かれ、上は涅色、下はほとんど白かった。染めてるのかと思ったら、生まれ付きのものらしい。

 ナチュラルボーンツーブロックヘアカラーである。絶対言いかたは間違えてる気がする。

「世話になったと聞きました。心から感謝します。無理をさせたのでなければ良いのですが……」

 若様は少しかすれた声で、申し訳なさそうに、そしてやはりおだやかな調子でそう言った。

 赤黒くむくんでいた顔は、ほとんどが本来の肌の色を取り戻していた。ただ左の頬からあごに掛けての一部分には、いまだほかの場所よりも一層深い変色が見られる。

 それはまるで液体でも浴びせられたかのように飛び散った形で、それだけはどんなに押しても消えずに残った。

 恐らくあれが、若様の母が呪いを受けた場所なのだろう。呪いを練り込んだドラゴンの血を、浴びた形さえくっきりと受け継いでいるのに違いない。

 若様の首から下は、まだぼこぼこと赤黒く荒れている。それは何年もの時間を掛けて、顔のシミから広がって行ったものらしい。

 しかし広がった部分だけならお茶を飲んだり湿布しておけばいくらか薄くなるようだ。時間は掛かるが、改善は期待できると思う。

「若様、若様。ほんにようございましたな」

 老婆がベッドの脇にひざまずき、涙ぐむ。

 病床にある青年はまだ自分では体を起こせもしない様子だが、昨日まで言葉を交わせもしなかった。それを思えば目を覚ましたことでさえ、劇的な変化なのだろう。

 では老婆より過激派としか思えない若い使用人のご婦人はどうしているのかと言うと、すでにひとしきり号泣したあとだった。

 彼女は老婆の様子にまた感極まりそうになるのをぐっとこらえて、泣きすぎてぱんぱんになっている顔を雰囲気だけできりっとさせた。

 そして、我々に向かって謝罪した。

 気が急いてしまったのだと。また、毒だと疑ったことも。

 問題の発言は、この会話の流れの上で万能薬の代価について話をしていた時に出た。

「大丈夫。ここはズユスグロブ領だもの」

 どことなくほこらしく胸を張って言った彼女に、空気がビキリとひび割れた。いや、逆に、ああ~……とばかりに一気に砕けたような気もする。

 どちらにしても、この瞬間になにかが起こったことは確かだ。

 レイニーは呪いの気配を嫌ってか、この部屋に入ろうともしなかった。だから開け放たれた戸のそばで、なぜか歯をむき出してがるがるとうなり声を上げている金ちゃんの鎖を持っている。

 金ちゃんは金ちゃんで、なんでそうなっているのか解らない。呪いに残るドラゴンの気配が気に入らないとでも言うのだろうか。

 まあしかし、それはいい。この辺は昨日からのことである。

 荒ぶるトロールを放っておくとロクなことにならないような感じもするので、あとでおやつでも与えておこう。

 それよりも、レイニーだ。

 長い金髪に彩られたその天使の美しい顔は、目も眉もぎゅっとしてなぜか悲痛に真上に向けられていた。たもっちゃんも私の横で同じく目も眉もぎゅっとしてすでに天を仰いでいるので、シンクロ率がものすごい。

「なぜなの?」

 なにも解らない私に対し、なにも解ってないのだとこの呟きで気付いたらしい。

 たもっちゃんとレイニーは、信じがたいと言う表情を私に向けた。そして素早く、私の腕をそれぞれにつかんだ。

 正確に言うと、たもっちゃんが腕をつかんで私を戸口まで引きずって運び、それを受け取ったレイニーが逆の腕をつかみながらに部屋の外へと連れ出した。

 二人は寝室のすぐ外の、廊下の端でひそひそと私に詰めよった。

「待って。嘘でしょ。ねぇ、リコ。嘘でしょ」

「リコさん、まさか忘れてしまったんですか」

 私は考えた。割と必死に。

 正直やはりなにも解らなかったが、なんかメガネと天使がやばい顔でぐいぐいくるのでなんとなくやばいと言うことだけは察した。

 でもごめん。

 どんなに考えてもなに一つ、心当たりが出てこない。

「……あのさ、ごめん。なんだっけ?」

 勇気を持って正直にたずねた私に対して、二人は同時によろめくように半歩ほど体を後ろに引いた。

 その、すごくフラットな真顔のような、どこか遠いところを見るような顔に、ここまでくると逆になんも言えねえみたいな心の声が聞こえた気がする。

 仕方ないよね。正直って別に、美徳とかじゃないからね。

「俺らさ、白い砂糖出したじゃん? ダンジョンで」

「はい」

「その事で、今まで砂糖の利権を好きに得ていた者どもが黙っていないと注意されたのは覚えていますか?」

「はい。うっすらと」

 たもっちゃんとレイニーの言葉に、私は粛々とうなずいた。

 使用人のご婦人によると、ここはズユスグロブ領である。

 領主はズユスグロブ侯爵であり、本名はナセル・フォン・ワゴナーと言うらしい。

 領地持ちの貴族は領地の名前に爵位を付けて呼ぶのが慣例などと言う、貴族知識をまじえつつじっくり説明されたのは私も確実に一回は聞いていたはずのお話だった。

「今までの砂糖は一部の商人が製造法を秘匿して、専売特許みたいになってるって話は?」

「その裏に厄介な貴族がいるのは?」

「そいつらの経済力と権力は砂糖に依存してるから、ズブズブのドロドロでマジやばいって話は? 覚えてないの?」

 二人は私をはさんで屈み込み、額を突き合わせるような感じで声をひそめてじりじりと迫った。

 それでもいまだ薄ぼんやりとなにも思い出さない私に、カッとなったレイニーが少し大きな声を出す。

「リコさん! まるでアクダイカンとエチゴヤだって言っていたじゃありませんか!」

「あっ、それはなんか覚えてる」

 あったあった。そんな話。したような気がする。

 そしてその砂糖の一大産地を支配して、利権の大元をにぎっているのが悪代官たるズユスグロブ侯爵だったのだ。

 これはにらまれても仕方ない。いや、我々は困るけど。相手にしたら、我々はぽっと出のジャマ者でしかないだろう。

 この軋轢は調子に乗った我々が軽率に純白の砂糖をダンジョンで出し、競合商品をこの世界に生み出してしまったことに由来する。

 加えて、我々に無実の罪を着せた上、たもっちゃんと私が雑に持ち込んだ異世界の知恵を奪おうとした男爵。あれが、このお砂糖侯爵の派閥の一員だったと言うこともある。

 メガネや天使と話をしてると、なんとなく色々と思い出してきた。

 私は思った。

「宿敵なのかな?」

「何でそれを忘れちゃうんだよ……」

 たもっちゃんはがっくりとうな垂れ、磨き込まれた廊下の上に両手を突いた。しかし私に言わせると、逆になんで覚えていると思っていたのか。

「いや、王都に護送されたのって、もう去年の話じゃん。覚えてなくない? そんなのさ、もう覚えてなくてもしょうがなくない?」

「大事な事でしょ。覚えててもいいでしょ。触っちゃ駄目な人の名前くらい覚えてるって思うでしょ」

「じゃあさ、たもっちゃん。なんでそんなやばい領地に入ってきちゃうの」

「それは正直ほんとにごめん」

 考えてみると、ローバストから大森林の間際の町まで直接向かうのは初めてだった。まさかその直線上に、ズユスグロブ領があるとかそんな。いやはや、うっかり。

 たもっちゃんはてへぺろとしていた。

 船を飛ばして一秒でも早く確実に、エルフの里に行くことしか考えていなかったらしい。

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