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16 ベーア族

これから数話にわたり、災害を想起させる描写があります。ご注意下さい。

 その日、我々は思い出した。

 クマに出くわして死んだふりをするのは、古い人間の常識だったと。

「おォい、どうした。入ってくるなり倒れてよォ。具合でもわりィんか?」

 びしょぬれの体で床に倒れた我々を、ごつい爪の付いたもっさりした手がちょいちょいとつつく。クマだ。クマがいる。マジやべえ。

 返事をしてはいけない。私、知ってるから。クマってあれでしょ。生きてるの確かめてから、いきなりバクッとくるんでしょ。私は詳しいんだ。昔、ばあちゃんに聞いたんだ。

 テオ、こんな時にいてくれたらなー。

 床の上で死んだふりしながら、思わず現実逃避してしまう。

 私たちはテオと別れて、旅をしている途中だ。たもっちゃんはいるのだが、どうにも役に立ちそうもない。

 あいつなら私の横で寝てるよ。床に。子供の頃に刷り込まれた常識って、あわてた時にうっかり出るよね。

 ゾイレエンジで魚を二匹売ったあと、テオは自分の仕事に戻って行った。本人は我々に付いてくるつもりだったらしいが、断れない依頼が入ったそうだ。

 そして彼は別の仕事へ向かう前に、私たちにアイテム袋を持たせて言った。

「金貨十枚。金ができたら連絡しろ」

 イケメンによる、颯爽とした押し売りだった。ダンジョンのドロップアイテムも残っているから、その代金も払わなくてはならない。いずれ、また会うことにはなるだろう。

 でも、金貨十枚かあ。たっかい。アイテム袋、めっちゃたっかい。魚を売ったお金には、まだ手を付けないほうがいいかも知れない。

 死んだふりしながらお金の計算をしていると、クマが困ったように口を開いた。

「よォ。こん人らァ、どっか悪ィんかね」

「解りません。リコさん、タモツさん。いきなり倒れるのは、挨拶か何かですか?」

 世界を隔てた故郷にも、そんな挨拶はなかったと思う。クマの疑問に、ふざけた質問をまじめにしてくるのはレイニーだ。

 なんと言うことだ。レイニーは普通に生きている。いや、死んだふりをしてないって意味で。クマがいるのに。クマがいるのに!

 そう思ったところで、やっと気付いた。このクマ、なんかすごいしゃべっていると。

 全身を包むもっさりとしたこげ茶の毛なみ。真っ直ぐ立てば古びた天井に頭が着きそうな大きな体。それがレイニーと一緒に丸っこくしゃがみ、倒れた私とたもっちゃんの顔を心配そうに覗き込む。

 這いつくばった格好のまま、顔を上げるとそんなクマの姿があった。

 彼の名はジョナス。

 このヴィエル村で唯一の宿と、その宿の一階で酒場を営むベーア族の男だ。

「そうかい。冒険者かい」

 男はおっとりとうなずいて、あったかいお茶を出してくれた。出会い頭にいきなり倒れ、死んだふりをした無礼な我々にこの優しさ。恐らく、人としての格が違うのだ。

 ジョナスは毛深い大きな体に、ちんまりと緑のチョッキを着ていた。小さなお盆をその両手でかかえる姿は、ちょっとだけ絵本に出てくるクマみたいに見えた。

 彼は、もっふりと頭をかたむける。

「しっかし、こん村に人族がくんのはめずらしいねェ。あんたらァ、迷いなさったかね」

「そうなのかなぁ。ローバストの街に行きたいんだけど……」

「あァ、そりゃ道が違う。分かれ道を間違えなさったねェ」

 きた道を森へ戻ってもいいが、山のほうの道を行くと都市方面への街道に出る。たもっちゃんの言葉に首を振り、ジョナスはそう教えてくれた。

 しかし、今日はもう出たくない。外では、ざんざんと雨が降っている。

 降ってきたのは、森を歩いている時だ。でこぼこ道にポツポツと黒いシミが落ちてきたと思ったら、あっと言う間に本降りになった。

 大粒の雨に追い立てられて森を抜け、びしょぬれになりながらなんとかたどり着いたのがこの村だ。簡素な民家が十軒あるかないかの小さな村に、宿があるのは幸運だった。

 クマが出てきて、びっくりしたけど。

 いや、ベーア族の外見が私の思うクマに似ていて勝手にびっくりしただけなんだけど。

 この世界では動物の姿を持った種族を獣族と呼び、私が人間と呼ぶものを人族と称する。と、たもっちゃんとジョナスの会話の中で知った。

 それに獣族はベーア族のほかにもいるから、特にめずらしい訳でもないと言う。

「私は見掛けたことないけどなあ」

 獣族の存在を知ってたら、さすがに死んだふりまではしない。多分。しないと思う。ごめん。自信はない。

「田舎じゃなァ、見掛けねェかもな。獣族と人族は、一緒には暮らさねんだ。ここみてェに、獣族だけの村にいるんさ」

 田舎では村だが、大きな都市だと街に獣族の暮らす地区があるらしい。よく解らないが、中華街みたいなものだろうか。

 出してもらったあったかいお茶を飲み干して、たもっちゃんはジョナスにたずねた。

「泊まりたいんですけど、部屋あります?」

「……泊まりなさるかね」

「できれば」

 と言うか、絶対に。

 酒場の窓には木戸しかなくて、今は全て閉ざされている。それでも屋根を打つ雨音が、ざあざあと絶えず空気を震わせていた。

 豪雨である。

 びしょぬれだった全身はレイニーが魔法で乾かしてくれたが、この天気の中を外に出るのはもう嫌だ。

 酒場の端にある階段を上がり、二階へ行くと宿泊用の部屋がある。扉の数は全部で三つ。あまり、利用する客はいないようだ。

 部屋の扉を開いたままで、人のよいクマは心配そうに振り返る。

「どうするね? 人族には大きすぎるかね」

 部屋の中にはベッドが二つと、その間に小さなテーブルがあるだけだ。しかし、そのどれもがいちいち大きい。

 思えば、酒場にあるテーブルもイスも、お茶を出された木のカップさえ大きかった気がする。ここにあるものはなにもかも全部、ベーア族の体格に合わせているのだろう。

 これなら一つのベッドに二人が寝ても、せまくて困るってことはないだろう。三人で一部屋を使うと言うと、三人分の料金を少しだけまけてくれた。

 部屋で少し休んでから、夕食を食べに一階へ下りる。すると、小さな酒場は満員だった。さっきは誰もいなかったのに、体の大きなベーア族でいっぱいだ。

「リコ! リコ! これうまい!」

 所せましともふもふしているベーア族の間で、たもっちゃんがお皿を片手に私を呼んだ。

 酒場にきたのは私やレイニーより数分早いだけのはずだが、このなじみようはなんなんだろう。もっふりとしたクマに囲まれ、たもっちゃんは大いにはしゃぐ。

「これ! これ食って! ぷりっぷりでうまいから! 濃厚でいてしつこくなくまろやかな後味。最高!」

 興奮しながら食レポし、料理の刺さったフォークを私の口元へ押し付ける。

「たもっちゃん、そう言う強引なとこ――うめえ」

 なんだこれ。

 エビっぽいけど、エビだとしたらかなりいいエビ。ぷりぷりと弾力がありながらやわらかく、鼻に抜ける特有の匂いが食欲をそそる。

「あら、本当。美味しいですね」

 もぐもぐと動く口元を手で押さえ、レイニーも顔を輝かす。

 私たちの口に押し込まれた料理は、なにかの切り身をクリームで煮たものだ。シーフードのシチューっぽいとでも言えばいいのか。

 うめえうめえと料理を絶賛していると、「あッ!」と大きな声がした。見ると、それはジョナスだった。お盆の上に料理を載せて、奥の厨房から出てきた格好で固まっている。

 彼はゆっくりと私たちを見て、次に、近くにいるベーア族の男を見る。そして最後に、クリーム煮の皿に視線が移った。

 その瞬間、温厚な店主は全身の毛をぶわりと逆立て大声で咆えた。

「ティモ! おめェ……人族にヤジス虫なんざ食わせやがったんか!」

「別にいいだろ? こいつらだってうめェっつってんだ! 毒じゃあるめェし、オレらァ毎日食ってんだ。ヤジス虫に罪はねェ!」

 彼が料理を勧めたらしい。怒鳴り返すのは、たもっちゃんの隣に座っていたクマだ。ベーア族が大きな声で怒鳴り合うのは、なかなかの迫力があった。

 て言うか、あれだな。虫って言ったな。

「虫かあ……。これ、虫なのかあ……。最高においしいな、この虫」

 私は苦悩した。虫だと言われて若干の抵抗が生まれているのに、おいしくてついつい手が出てしまう。異世界の虫、いっそ憎い。

 たもっちゃんが気にしないのは、なんとなく解る。おいしければなんでもいい、が信条の男だ。意外なのはレイニーだ。気にせずもりもりヤジス料理を食べている。

「神は、全ての存在を平等に愛しておられます。食材に貴賤はありません」

 私の疑問に、レイニーはきりっとした顔で言い切った。前半はいい話だった。

 この夜は悩ましく、食用の虫について考えながら眠った。そして、夜中に。

 大きな地揺れと轟音により、私たちは叩き起こされることになる。

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