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146 不自由

 異世界イグアナは海草を食べる。

 だが食べる種類は決まっているし、クレブリの街では海草を食用とする習慣がない。加工などもしていないようだ。

 だからイグアナの生態と街の人たちの生活は、本来ならばぶつかりはしない。

 ではなにが問題で、このおっとりした草食の魔獣がうとまれているのか。

 まずは数。とにかくやたらと多いのだ。大型のワニみたいなでっぷりした体で、海に面した岩場の上や、孤児院の庭。浜の一部でごろんごろんと日光浴をしている。これだけで、ものすごくかさ張ってジャマだ。

 それから意外に鋭い爪と、尻尾に付いたぎざぎざのウロコ。これらで海に仕掛けた漁師の網を引っ掛けて、破ってしまうこともある。

 たまには海を泳ぐイグアナが、休憩のつもりか小型の船によじのぼり転覆させてしまうパターンもある。

 だからまあ、漁師や海辺で暮らす人に取っては厄介者ではあるだろう。

 しかし。と、たもっちゃんはメガネの奥で眉毛をぐにゃぐにゃ悩ましげにゆがめる。

「それもさぁ、最近の話じゃん? それまでは住み分けできてた訳だし。そもそもさ、何で島から出てきたんだろ」

「それ私に聞いてんの?」

 それとも、ただのひとりごとなの?

 近所のご老人たちとうちの天使やトロールにお茶菓子を出しつつ、私はなに言ってんだとメガネにあきれた。

「解るとしたら、たもっちゃんだけでしょ」

 ガン見とかガン見とかガン見のスキルで。

 あー、それね。とか言いながら、たもっちゃんはふらりと玄関へ向かった。恐らく孤児院の外にごろんごろんとたむろしている、大量のイグアナをガン見するためだ。

 たもっちゃんの看破スキルは、よく見るだけで大体のことはネタバレになる。だからそんなに時間は掛からず、十分もしたら広間に戻った。

 その時、メガネはメガネの黒ぶちメガネを片手でそわそわやたらと直し、落ち着きがなかった。だがその様子がおかしいと言うことに、私は少し気付くのが遅れた。

 お茶菓子を出すついでにねだられて、おじいちゃんたちや金ちゃんの周りできゃいきゃい遊ぶ子供らにおやつをばらまいていたからだ。

 正確に言うとぽいぽいおやつをばらまきすぎて、夕食が入らなくなるからほどほどにとユーディットとその侍女からお叱りを受けるので忙しかった。

 たもっちゃんは困ったような、面倒なような。どうしたらいいんだろうと助けを求めるような微妙な感じで眉を下げ、我々を見た。

「何か、城主さんと神殿の人が挨拶したいってきてるんだけど……挨拶って、何だっけ」

 なんだそれはと目をやると、たもっちゃんは一人で戻った訳ではなかった。

 その人たちは広間の入り口にすでにいて、メガネの後ろで軽く目礼して見せた。これはいけない。なんだかすごくちゃんとしている。

 とりあえず、おはようございますとかこんにちはってやつではないなとさすがに察す。

 うちの常識担当のテオを前に押し出して、その後ろで私は可能な限り気配を消した。


 孤児院を訪れたのは、たもっちゃんの言う通りクレブリの城主と神官たちだった。なんか、連れ立ってやってきた。

 彼らの立場にしてみれば、この冬は激動と言うべき季節だったのだと思う。なにしろ代々クレブリを預かっていた城主の一族は失脚し、街の神殿は神官が総入れ替えになったのだ。

 これはなかなかあるものではない。と言うか、あの感じの悪かった汚職神官たちが全員、更迭的なことになっていたとは私はこの時初めて知った。

 新しい城主はこれまでの一族とは全く別の、領主からの指名を受けた中年の貴族だ。これは前に聞いていた。

 実際に会うのは初めてだったが、一目見て解った。このおっさんは疲れていると。

「挨拶が遅くなり、申し訳ない。こちらも立て込んでおりまして」

 その声には覇気がなく、ぼそぼそとこもったような響きがあった。身なりはそれなりに整えてあったが、どことなく、しかし絶対的に精彩を欠いている。

 顔がぴくりとも動かないので、まるでブラック企業の超過勤務で表情筋が死滅した人のようだった。実際、前任のあと始末に追われる新城主の役割は、それに近いものがあるのかも知れない。

 とりあえず、公爵家のおじいちゃん家令をもむっきむきにしたと言う体にいいゲゾント草のお茶などをカップに入れてそっと出す。

 前城主、ひいてはその父である先々代城主の不正の暴露。エルフの解放。クレブリの街に巣食う劣悪な違法娼館の摘発。それらの功績をぼそぼそとねぎらい、疲れ切った新城主のおっさんは謝意を示して頭を下げた。

 それが話の区切りであったのか、次に口を開くのは控えていた神官服の男性だ。

「我等は此度、クレブリの神殿に赴任致しました者。どうぞ良しなに」

 そう言って、頭やヒゲに白いものが目立ち始めたイケおじが胸に手を当て目を伏せる。

 どこか優雅なその所作が、神官たちの作法なのだろう。男性の後ろで、残りの二人も同じ動作で礼を取る。

 この場には三人の神官がいたが、中でも特にえらいのは代表して口を開いた最も年かさの男性のようだ。解るんだ私は。服が一番ひらひらしてるんだ。

「新しき神官長として是非直接御礼をと願いながら、神殿の立て直しに手間取り時間ばかり失いましてな。そうする内にあなた方がクレブリを去ったと知り、これは御挨拶の機会を逃したかと悔やんで居りました」

 この街の汚職神官に食い荒らされた神殿は、想像以上にガタガタでどこから手を着けたものかと途方に暮れるほどだった。

 そんなことをこぼしながらに、しかしそれでも。いや、だからこそ。と、クレブリの新しい神官長はにやりと笑う。

「前任者の悪辣なる行いを正す機会を頂いた事、我等も感謝して居るのです」

 言葉の上では慇懃に、しかしその実どこかよくやったとでも言うように。

 神官長のその笑みは思いのほかにいたずらっぽく意味深で、なんだか清廉な神官と言うだけではないようだ。

 それがかえって、すとんと私の中に素直に落ちる。

 ああ、この人は本当にクレブリの神殿をなんとかするためにきたんだなと思えたし、なぜか同時に思い出すのはお任せ下さいと力強く親指を立てる某王子の姿だ。

 多分だが、あいつ色々ムリをねじ込んでくれた気がする。もー、あれ。助かる。すごく。

 少し挨拶するだけのつもりが長居してしまったと、神官たちが席を立ったのは割とすぐのことだった。実際はそんなに長居はしていないから、これが社交スキルと言うものかも知れない。

 ついでに一緒に帰ろうとする疲れ切ったおっさん城主に乾かしたゲゾント草をそっと渡すなどしながらに、我々も孤児院の外まで彼らを見送りに出た。そこで、ふと呟いたのは最も年かさの神官長だ。

「此方には、獣族の子も居るのですな」

 少し遠くを見るように、神官長はついっと顔を横に向けていた。その視線の先できゃいきゃいと、騒がしく遊ぶのは完全にうちの子供らだ。

 それはいい。いや騒音的にはよくないのかも知れないが、今の問題はそこじゃない。

 赤茶のレンガを積み上げて作った孤児院の外には、割と広めの庭がある。地面のほかにはなにもないので、空き地とも呼ぶ。

 しかしそこには、招かれざる客がいるのだ。そう、まどろむように日光浴するイグアナの群れだ。

 陸の上にいるからか、それらはごろんごろんと寝転がるだけでおとなしい。と言うか、ほとんど自分からは動こうとしない。

 若干でっぷりしたシルエットの体で、怠惰に寝そべる爬虫類。その周りにはおそるおそる触ってみたり、調子に乗ってまたがってみる子供たちがいた。

 おい、やめろ。なにやってんだ。意外とおとなしいけども。駆除対象だぞ、その魔獣。サイズは大型のワニくらいあるし、暴れ出したら小さな子供なんかぺったんこだぞ。

 あわてて駆け付け子供たちをひっぺがし、金ちゃんにぺたぺたと引っ付けて保護する。いまだイエティ感のある金ちゃんの体に子供をぐいぐい押し付けて行くと、楽しくなった子供らが自力で金ちゃんにしがみ付く方式。

 そうして保護した子供たちの中に、くりくりの白い巻き毛のヤギがいた。神官たちは、彼も孤児だと思ったようだ。

 しかし、それは正しくはない。子ヤギのカルルは孤児院で用務員をしてくれている、凄腕の元女性冒険者グリゼルディスの息子だ。

 だから、今のところは孤児の中に獣族はいない。たもっちゃんがそう言うと、神官長は横に向けた目を戻し問う。

「では、此れからは?」

「預けられたら、預かるでしょうね」

 そうか、と。返された呟きは静かだ。

 神殿は人族の神を信仰する組織で、別の神を信じるがゆえに獣族は信徒の内に数えられない。そのため、神殿で獣族の孤児を引き取ることはできないらしい。

 神官長は立場と教義にはさまれて、その不自由さを色々と考えてしまうようだった。

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