132 自立式ドア一号
近くの森からフラウムの木を切り出して、たもっちゃんは孤児院の庭から海へと続く水道管を継ぎ足しながら設置した。
フラウムの幹は節のない竹のように空洞で、パイプ代わりに重宝するのだ。大森林で温泉掘った時に学んだ。
そして庭のほうのパイプの先に、魔法術式を組み込んだ腰の高さの台を作った。その術式に魔力を込めると海水をくみ上げ、真水と濃度の高い塩水に分けてざばざば出てくる。
濃い塩水はうまく乾かせば普通に塩になるらしい。ムダがない。もっとうまくどうにかすれば、にがりもできて異世界で豆腐が作れるのかも知れない。湯豆腐が食べたい。
魔道具だから水を出すたび魔力を消費することにはなるが、省エネを心掛けて魔法術式を組んでいるので持ち回りで水汲みすればなんとかなるだろうとの話だ。
ひとまず、孤児院の真水問題はこれで対処することとする。
そして、満を持して、たもっちゃんは今度こそ言った。
「俺、もういいと思うんだ」
「エルフの里に行きたいんだね」
それしかねえだろうなと思って問うと、それしかねえに決まってるだろとメガネは深くうなずいた。
孤児院に滞在しているエルフの二人は残ることに決まったが、それはそれで別腹らしい。
彼らは私の変態に対する配慮によって、二人共に男性だった。そろそろメガネも我に返って、女性のエルフにしいたげられたくなったのに違いない。
あと五日もすればまた渡ノ月がやってきて、四ノ月が終わり五ノ月になる。そうすれば春だし、春になれば保留にしていた三つめの罰則依頼を片付けることができる。
まあ、それでも冬眠するタイプの魔獣が実際に出てくるまでにはもっと日数が掛かるかも知れない。
それを座して待つことはできないのだと、メガネはごねた。
「行こうよー、大森林。一回行って春になったら戻ってこようよー。通信魔道具作って置いて行くからさぁ。魔獣出てきそうになったら呼び戻してもらおうよー」
たもっちゃんは体をよじって腕をだらんだらん振り回し、劇場アニメの公開初日に人気声優が舞台挨拶をする回にどうしても行きたいようとだだをこねる大きいお友達のような感じで言った。
こうなったら仕方ない。私とて、チケットがあれば万難を排して声優さんと同じ空気を吸いに行く。しかも劇場の舞台挨拶と違って、大森林には行こうと思えば行けるのだ。
じゃあ、多分割とすぐに戻ってくると思うけどあとはよろしくと孤児院の職員や子供らに雑な別れの挨拶をして、我々は咸臨丸とは誰も呼ばないボロ船を空に浮かべてクレブリの街をあとにした。
そして、事件が起こったのである。
しかしそのことに触れるには、まず、少し前のことを振り返っておかなくてはならない。少しと言うか、二、三ヶ月前だが。
秋の終わり頃だった。万能薬の素材を求めるエルフの子供と私は出会った。
これはその後メガネ主導で執行される、人族によってさらわれ囚われ売ったり買ったりされていたエルフたちの救出の、発端となるできごとだ。
たもっちゃんは直接会ってないにも関わらずわずかに残ったエルフの波動を超感覚で察知して、ガン見にガン見を重ねた結果、彼らの窮地を知るにいたった。
そして微力ながらに全てを投げ打ち助けんと、大急ぎで大森林を出た。
その時に、とても残念そうに見送ってくれたのは大森林でなぜか出会ってなぜか血液をくれた上、なぜか万能薬の製作に魔力まで提供してくれたドラゴンだった。
ドラゴン製の万能薬は本来は水薬であるはずの薬がちょっとこげた丸薬で、なんだこれって感じはあるが効能だけはでたらめに高い。
なんかよくは解らんが心の底からありがたかったし、この薬のお陰で助けられた人もいた。その礼もまだ充分できていないのに、我々は大森林を去らねばならなくなったのだ。
このままなにもなく別れると、ただの恩知らずになってしまう気がする。
そんな危機感をつのらせた我々は、日曜大工で自作した持ち運べる自立式ドアをドラゴンの所に置いてくることにした。
またその内に料理でも作りにくるからと、遠くない再会の約束と共に。
これが、秋に大森林を去る前に我々とドラゴンとの間にあったできごとだ。
この前提を心に置いて、今から語る我々の失敗を受け止めて欲しい。
それでは聞いて下さい。「咸臨丸で人がいないとこまで適当に飛んで最大限に時短して大森林へ直接行こうと最近作ったくるる戸二号でドラゴンさんに預けておいた自立式ドア一号の所へとスキルを使って行こうとしたらなんかドアを開いた途端に突風が吹き荒れ掃除機に吸い込まれるちょっとした虫のように扉の向こうへシュポポン! と吸い込まれたあげく、向こう側の、ほとんどなにも見えない白い空間に放り出されてなすすべもなく冷たい霧の中を落下するしかなかった話」
ハイジャック映画とか見てるとさ、飛んでる飛行機の開いたドアから機内の物とか名もない乗客とか脇の甘い犯人とかがしゅぽんしゅぽん外に吸い出されてほぼほぼ死ぬシーンあるじゃない?
多分、ああ言う感じだったのだと思う。
肉ってまだあったよね。海鮮もいいけど肉の鍋もいいよね。とか言ってのん気にドアを開いたら、次の瞬間、我々は扉の向こうに広がった白っぽい空間へと放り出された。
ミルクのように真っ白で、しかしその中に飛び込む体に衝撃はない。
その白は、どうやら深い霧のようだった。
私の体はぐるんぐるんと回転しながら落ちていた。それが妙にゆっくりで、こちらも頭の中は真っ白になる。なにも理解できてないのに、不思議と周囲の様子はよく見えた。
霧の中に垂直に立つのは、ごつごつとした絶壁だ。恐らく岩山の一部なのだろう。
そしてそのほとんど垂直の岩の壁には、ぽっかりと巨大な洞窟があった。
その穴の、奥のほうからどすどすとあわてて走ってくるのはびかびかとしたドラゴンだ。なんかあいつ、知ってる気がする。
そしてドラゴンが駆けてくる洞窟の入り口近くには、これもどこかで見たことがある手作り感しかかもし出さない扉があった。多分あれ、たもっちゃんが作った自立式ドア一号だと思う。
だとしたら、この洞窟はドラゴンの家か。
ああ、そう言えば。我々が出会ったドラゴンは、調子が悪くて魔力の濃いポイントへ体を休めにきていた気がする。
それが治れば、帰宅することもあるだろう。
そうなれば、持ち運べるのが特徴の自立式のドアを持って帰るのも当然だ。
我々はドラゴンに会いに行くと言い、あのドアを預けた。場所はどこでも関係がない。
しかし少し、残念に思う。
場所を移動するのはいいが、できれば洞窟のもうちょっと中のほうに置いて欲しかった。
そうすれば、ドアから飛び出してきた我々も、どこまでも続いているかのような崖の下へと放り出されずに済んだ。
まあ、それはいい。いいって言うか、それどころじゃない。
恐らく、このドラゴンの巣のある山はきっとものすごく高いのだ。
だから標高の低い平地に置いた自立ドア二号側の気圧で押され、気圧の低い高地のほうへと我々が吸い込まれることになったのだろう。
と、「あー! 気圧差かー!」などと言う気付きでいっぱいの叫びと共にどこへともなく遠ざかる、たもっちゃんの声により私もなんとなく状況を察した。
ドアのスキルで遠く離れたドアとドアをつなぐのは、当然スキルを持った者の仕事だ。
だからドアを開く前、一番扉に近い位置にいたのはメガネだ。次に私が金ちゃんの鎖を持ちながら並び、レイニーはその次。
彼女は金ちゃんの背中にくくり付けてある、でっかいまな板みたいな魔道具の束がなんか傾いて座りが悪いと直そうとしていた。
テオは、多分だが。一番後ろにいたのだと思う。もはやあんまり覚えてないが。
だからドアをはさんだあちらとこちらの気圧差によりシュポポンと吸い出された順番はメガネが最初で、次が私。そして以上だ。
しっかり持っていたはずの鎖は、するする滑って手の中から逃げた。
最後に見たのはドアの向こうで金ちゃんが凶悪そうに顔をしかめて、強風に対してとっさに体を丸めて踏ん張る姿。
レイニーはその後ろから青い目をぽっかり開けて我々を見ていて、はっとした顔でこちらに手を伸ばすテオもいた。
しかし、それはドアを越えることはない。
気圧差に生まれた強い空気の流れに押され、ドアは激しく音を立てて閉じた。
スキルによってつながったドアは、一度閉じると接続が切れる。そしてドアのスキルを使えるメガネは、私の前にどこかへ吹っ飛ばされていた。
私は思った。
あ、これはムリだなって。
なにがムリかはうまくはっきり言えないが、なるようにしかならねえなって。
ひどく凪いだ不思議な気分で、私は深い霧に包まれてどんどんどんどん無限に落ちた。




