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126 可憐な野花

 私は、少し勘違いをしていた。

 小さくてくりくりと愛らしいカルルの母と言うのなら、さぞや可憐な野花のようなご婦人だろうと思っていたのだ。

 違った。

 カルルが回復した母に連れられて、再び村にやってきたのは渡ノ月の最後の日だった。薬や薬草を持たせて別れた、二日後のことだ。

 我々はその時、ぐだぐだとしていた。

 おじいちゃんの依頼は漁具ダンジョンに潜ることであり、それはもう達成している。しかも完全攻略してしまい、数日はモンスターも出てこないただの洞窟と化していた。

 この村でやるべきことはもはやない。帰ってもいいが、それは仕事だけの話だ。我々は前回の渡ノ月をクレブリの街ですごしていたので、今戻るとなかなか困ったことになる。

 だからおじいちゃんと孫には船のメンテナンスとか言って、日程を少々ごまかしていた。

 ぱりぱりと空気自体が凍て付くような、冷たい霧に白く染まる朝だった。

 ザックザックと雪道を硬く踏みしめる足音と、ふしゅるると熱い息を吐く音がどこからともなくどんどんと近付く。それがピタリと停止したのは集会所のすぐ外だ。

「失礼する」

 凛と響く声が掛けられ、入り口の、頼りない粗末な板戸が、ぎい、と開いた。

 そうして我々の前に現れたのは、どちらかと言うと野花と言うよりたくましく筋骨隆々とした野生の暴れ馬のようだった。

 馬って言うか、ヤギなんだよなと。思ったのは少し冷静になってから。

 くりくりの白い巻き毛に包まれた体はどこも鍛え上げられて、上半身は綺麗な逆三角形だ。その背中には使い込んだ幅広の剣を軽々と背負い、にじみ出る百戦錬磨感がすごい。

 多分、農場にいるようなヤギではなくて、限りなく垂直に切り立った山の斜面をドカドカのぼって生き抜くような力強いタイプのヤギなのだろう。ネイチャードキュメンタリーとかで見た。

 その強そうな大人のヤギは、グリゼルディスと自ら名乗った。小さなカルルの母である。

 グリゼルディスの背後からカルルがひょこりと顔を出し、「おかあさん! なおった!」とうれしそうに言ったのでそれが解った。

 解るまで、私は忙しかった。

 これはなんのカチコミなのかと、テオと金ちゃんを前面に押し出し自分だけが助かろうとしていた。緊急時って、人間性が出るよね。

「カルルが随分世話になったと。薬まで。本当に何と礼を言えばいいのか」

「いや、こっちも貴重な薬草を譲ってもらったんで」

 頭を下げるグリゼルディスに、たもっちゃんが答える。

 ちなみにだが、たもっちゃんはおじいちゃんや子供たちと一緒になって、金ちゃんやテオの後ろに隠れた私のさらに後ろから何事もなかったようにしれっと出てきた。

 おじいちゃんと子供たちは解る。でもメガネ、貴様はなぜだ。なぜ、なんの戦闘力もない私の後ろに隠れたの。

 のちに胸倉を引っつかみぐらんぐらん揺すりながら問い詰めたところ、だって不意打ちには全自動で防御する茨のスキル最強じゃない? と返された。あまりに普通に言うものだから、それもそうかとうっかり思った。

「よかったですね、病気治って」

 グリゼルディスとカルルの二人を集会所に招き入れ、話を続けるうちのメガネに彼女はしかしがっしりした首を横に振る。

「違う」

「え?」

「病気じゃない。毒を食らって死に掛けていた」

「えぇー……」

 なにそれすごい不穏じゃんと思ったが、確かにこの強靭そうなご婦人がただ病に倒れるよりはあり得そうな話ではあった。

 詳しく聞くと、グリゼルディスには夫がいたが、これが最近亡くなったらしい。

 夫婦共に腕のいい冒険者だったが、どんなに腕がよかろうとこの仕事にはいつも危険が付きまとう。

 だから夫婦で決めていた。自分たちのどちらかが死ねば残ったほうは引退し、子供をしっかり育てると。

 グリゼルディスは約束を守り、冒険者を引退することを決めた。

 そのために、最後に一つ。報酬のいい依頼を受けた。なにをするにもお金はいるし、これからどんな仕事ができるかも解らない。まとまった金を手元に持っていたかった。

 しかし。

「その仕事で、しくじった。引退はしばらく先になるだろう」

「報酬が良いと、罰金も高額だからな」

 すでに充分くやんでいるのか、グリゼルディスは静かに言って目を伏せただけだ。むしろそれを聞いて呟くテオが、やるせなく苦いような顔をする。

「罰金?」

 なんだそれと私が首をかしげると、集会所の傷んだ床をじっと見ながらメガネが片手間っぽく教えてくれた。

「受けた依頼を失敗すると、ギルドに罰金払うんだ。報酬が高いと罰金も高いの」

 マジか。遅刻した時のキャバクラか。

 罰金の響きが恐すぎて、私は地道に草だけを売って行こうと改めて思った。

 たもっちゃんは腕組みした手を片方だけ解き、頬杖でも突くように自分の顔に触れていた。そうして少しうつむいて、傷んでけば立つ床板を見るともなく見ていた。

 そのままの姿勢で、問い掛ける。

「それさ、依頼。もう失敗しちゃった? 期限とかあります?」

「期限はないが、依頼は害獣駆除なんだ。達成の見込みがないのなら、できるだけ早く報告し別の冒険者に回したい」

 不覚にも毒を身に受けて、報告どころではなく寝込んでしまった。そのぶんすでに、不要な被害が出ているかも知れない。

 急がねばと言うグリゼルディスは、すぐにもギルドのある町を目指して走り出しそうな雰囲気だ。

 たもっちゃんはそれを、伏せた顔を上げながらに止めた。

「じゃあ、俺らそれ手伝うんで、終わって冒険者引退したらうちで働いてくれたりしません? うちって言うか、孤児院ですけど」

 口調は悪気なくやんわりしているが、相手の立場でよく考えたら金銭的に断る余地のないえぐめのヘッドハンティングだった。


「ほんとはさ、男の用務員とかが欲しいかなって思ってたんだけどね。孤児院に今いるの、女の人ばっかだし。でもグリさん見てたらさ、もう性別とか関係ないかなって」

「わかる」

 害獣駆除に向かうため荷物をまとめながら話すメガネに、私は心の底からうなずいた。

 グリさんことグリゼルディスはヤギの獣族でむっきむきだし、得意ではないが多少は魔法も使えるそうだ。筋肉と魔法を併用すると、ガツガツと力仕事もこなせるらしい。

 それになにより、きまじめで善良だと思う。

 確かに発生する罰金の心配もしてるが、しかしそれより大切なのは害獣の被害を最小限に抑えることのようだった。その心配がないのなら、きっと一人でも害獣駆除に再挑戦していたはずだ。

 こう言う人にきてもらえるなら、ユーディットたちも助かるかも知れない。

 私も力強い用務員の採用には賛成だ。いい感じに口説いてきてと、害獣駆除に向かう一行を気持ちよく送り出しておく。

 戻ってきたのは、半日ほどしてからだった。

 その時、たもっちゃんが飛ばす船からおりてきたグリゼルディスは難しい顔をしていた。釈然としない、と言うべきかも知れない。

 あと、すごく寒そうだった。害獣駆除に一緒に行ったのはメガネとテオで、レイニーはおじいちゃんや子供やトロールと一緒に留守番をしていた。私もだ。

 たもっちゃん一人では、恐らく船に障壁を張るところまで手が回らなかったのだろう。

 船は防寒もなにもなく、むき出しの状態で飛んで戻った。それは凍えて当然だ。

 ムチャしやがって。大丈夫かよと、カルルを始めとした子供らとわらわら群がるようにボロ船へと駆けよる。

 すると雪の積もった地面におり立つグリゼルディスが、ヤギ顔を取り巻く白い巻き毛を気持ちしおしおさせながら肩を落として呟いていた。

「あの苦労は……死に掛けたのに……。今回は人数が多いとはいえ……」

「諦めた方が良い。考えるだけ無駄なんだ」

 その若干丸まった、剣を背負うたくましい背中をテオがそっと叩いてなぐさめる。

 しかしそう言う彼もまた、足跡が無数に付いて踏み固められた雪の地面を思い詰めたようにじっと見ていた。いつもは理知的な灰色の瞳が、まるで死んだ魚のようだ。

 あんなの普通の冒険者じゃないやいと態度で語る母ヤギとテオに、私は悟った。これはあれだと。たもっちゃんが多分、なんか雑なことをしたのだと。

 駆除依頼の対象は、毒を持っている上にこの寒さでも俊敏でなかなか狩るのが難しい魔獣だったそうだ。詳しくは知らない。

 それをどーんと行ってばーんとやってどかーんと駆除して無事に戻ってきたらしい。

 まあ、なんにしろケガもなくてよかったよねと雑にねぎらい、きーてきーて俺すごかった! とやかましく主張するメガネをなだめてなにかあったかいものを作らせるなどした。

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