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119 確信めいて

 もしも彼が一人なら。それか、居合わせたのがローバストの身内だけなら。きっとはっきり言ったのだろう。

 キミたちはなにをしているのかと。

 あきれたような、面倒なような。神経質な印象の顔に難しそうな表情を浮かべて、ハインリヒ・シュヴァイツァーはカニを煮る我々の前に現れた。ちょうどお昼時だった。

「えっ、事務長じゃん」

「何やってんすかこんな所で」

 我々は多分、彼が周囲を気にして飲み込んだセリフをそのまま言った。そのくらい、普通にびっくりしていた。

 ハインリヒはローバストの文官で、私は勝手に事務長と呼んでいる。そしてローバストとこのクレブリの街は、遠く離れた場所にある。ような気がする。はっきりとは知らないが、とりあえず別の領地に存在している。

 こんな所でなにやってんのと、思っていたのは互い様だったのだ。

 街の神官たちとぶつかって、割とすぐ。王都からの視察団と名の付いた、ただの王子がやってきた。

 さすが師匠! と、あんまり根拠のない尊敬に顔をきらきらさせながら、廃倉庫を訪ねてきた少年はじいやとお世話係の使用人たち。八匹のイヌと騎士。そしてなぜかローバストの事務長を連れていた。

 どうやら孤児院を作る許可を取るため、適当にお役所に出した計画書が回り回って事務長の逆鱗に触れたものらしい。いや、嘘。多分、目に触れただけだと思う。

 事務長は、なかなか独特な怒りかたをしていた。

「ローバストには居付かない癖に、君達は何故、他の領地には金を惜しみなく落とすのか」

「ええー……」

「所得税持って行くのはローバストなのに……これ以上何を……」

 一部の子供たちをまじえつつ、我々はカニの足をむしりながらに思わずぼやいた。金か。やっぱり世の中金なのか。

 まさか税率引き上げもあるかとびくびくする我々に、事務長は難しい顔だった。何個もくっ付けたテーブルの向こうで、カニを頬張る幼児の群れをどこか戸惑うように見る。

「計画書には、宿舎や食事だけでなく教育も与えるとあったが……」

「読み書きと簡単な計算くらいですけどね。ああ、でも。ユーディットがいるから、マナー教室とかもできるかも」

 王直属の臣下である王都の貴族と、王の臣下のそのさらに家臣である地方貴族はまるで身分が違うものらしい。庶民から見ると、全部同じ貴族だが。

 今回も身分を隠した王子のことを王都からきたやんごとない貴族の子息と紹介されて、地方貴族出身のユーディットとその侍女はあんまり息をしていない。まあ、その内に復活するだろう。

 逆に、ド庶民である孤児たちは元気だ。王都の貴族と言われても、あんまりピンときてないっぽい。気持ちは解る。私もそうだ。

 それよりも子供は、その護衛の騎士をめずらしがった。解りやすく華やかで、なんかすごいと遠巻きにしかし興味津々に見ている。

 騎士には王都からきた王子の護衛と、事務長に同行しているローバストの者がいた。

 なぜそれが解るかと言うと、その中になんかやたらと見覚えのある赤銅色の髪と目の男がいたからだ。

 彼は勇気を振りしぼるようにして、おどおどとレイニーに話し掛けようとしていた。しかしどうしてもうまく言葉が出てこない様子で、何度もくじけそうになっている。

 なんかああ言う隊長さんが、ローバストの村で泥沼の恋に落ちるのを見た。

「名前すら書けぬ平民は多い。それを、わざわざ教育するのは何故だ」

「読み書きも計算も、できて困るって事はないですよ」

「それに、文字が解れば本が読めます」

 事務長がたずね、メガネが答える。私も口をはさんだが、まあ割と軽い気持ちでだ。

「確かに有用な本は多いが……」

 だが、事務長は難しい顔で黙り込んでしまった。なんとなく、予想外に難しいことを考えてる気がする。

「いや、別になんでもいいんです。有用じゃなくても。ざっくりですけど、本を読むと世界が広くなるって言うか」

「あー、ちょっと解る。視野が広がるって言うの? 色んな人がいて、色んな事があって、今目の前にある事だけが全部じゃないんだって、俺も本で知った気がする」

 ただしマンガやラノベも含む。あと、アニメとか映画からのパターンもある。ソースは俺とばかりに、たもっちゃんがうなずいた。

 じゃあ視野が広がるとなにがいいのかと言うと、それは正直解らない。ただ、あんまり思い詰めずに済むような気がする。

 理不尽な目にあった時、もしかしたら自分が悪いのかも知れないと不安になってしまうことがある。しかしふと、気付くのだ。

 これ、なんかで読んだことある! 相手が百パー悪い時のやつや! と。

「なつかしいなー。バイト先で店長の悪行を本社にチクった時のことを思い出すなー」

「それ、あれでしょ。本社に訴えてからも店長に凄い色々言われたり嫌がらせされたの、全部証拠押さえて息の根止めたやつでしょ」

 なぜ今それを思い出したのと、たもっちゃんがちょっと複雑そうだ。

 確かに、あんまりいい話ではない。もめたし。でもサブカルで積んだ人生の予習が、まあまあ役立ったと言えるできごとではある。

 私もまた同様に、大切なことは大体創作物に教わっただけの人生だった。あと、ネット。

 モデルケースが特殊すぎると事務長や王子やじいやたちが口をそろえたが、その辺はすべてシカトした。いいんだ。本のことは。余裕があれば読んでくれれば。

 よく考えたら、話のテーマは読み書きとか計算のことだった。誰だ。本が読めると人生にいいみたいな、ふわっとした話を持ち出したのは。私だ。

「それよりさ、あれ。選民の街でさ、スラムの子供いたじゃない? あの子たち、どっかの養子になったらしいじゃん。あれでさ、私は気が付いてしまったの。子供もさ、一芸があるともらい手が付くと」

 読み書きなんかとは違うけど、選民の街で出会った子たちがみんなまとめてもらわれたのは、勇者をあしらう能力を買われてのことだと聞いた。

 なにが役立つか解んないもんだなと思ったんだよ。

 それなら勉強のできるかしこい子なら養子にしたいって話があるかも知れないし、そうでなくても読み書きができれば就ける仕事の種類が増える。ような気がする。

 手先が器用とか、絵がうまいとかも、才能を伸ばせばなにかの役に立つかも知れない。

「まあ、解んないけど。全部これからだし。子供と一緒に色々試してったらいいかなって」

「……そうか」

 静かにうなずいた事務長は、なぜだか少し寂しいような、それともひどくなつかしいような、なんだかそんな顔をしていた。


「何かね、事務長。元々は流民だったみたい。母親と二人でローバストに流れ着いて、そこでお母さんが引退した官吏の家に住み込みで雇われて、そしたら子供の事務長も一緒に住むじゃない? 元々賢い子だったんだろうね。そこの主人に気に入られて、文官として通用するくらいにみっちり勉強仕込んだ上に、ローバストの領主様の所で働けるように手を尽くしてくれたみたい」

 だから、なにも持っていない子供や、その可能性を信じて教育すると言うことに思うところがあったのではないか。とのことだ。

 そんな大それた感じで考えていた訳ではないので私とその主人とは全然違うような気がするが、とりあえず。

「たもっちゃんさあ、そう言う、人の大事そうなデリケートなやつをガン見でバラすのやめてあげなよ」

 超冷たい海風がびゅーびゅー吹きすさぶ倉庫の外で、二人でガタガタ震えながらに我々ちょっと無神経なところあるから気を付けて行こうなと反省を深めるなどをした。

 この、たもっちゃんの傍若無人なガン見にも、一応それっぽい理由はあった。

 あのちょっと冷たい感じの事務長が、どうしてわざわざこんな場所まで孤児院の視察をするためにきたのか。

 なんかちょっと怪しいじゃない? ホントにただの視察なの? と、その時点では動機が見えず、不審で仕方なかったとのことだ。

 それで軽率に看破してみたら割と繊細な生い立ちが出てきて、逆に若干あわてたらしい。ねえねえこれどう思う? と私を夜の屋外に呼び出し、こそこそと相談してきたのはそのためだ。どうもなにもねえけども。

 正直ちょっと面倒なことを知ってしまったみたいな気持ちもあるにはあったが、しかし、知ってしまっていたからこそだ。

 ああそうかと、素直に受け止めることができたのは。

 街の宿屋に泊ったらしい事務長が、次の日の朝やってくるなりこう言った。

「ローバストにもこの様な、教育を念頭に置いた孤児院を作る気はないか?」

 それを聞いた瞬間に、なにかがお腹の辺りにすとんと落ちた。

 ああ、そうか。そうなるのかと。

 この人は、かつて自分が受けた恩のようなものを、今度は子供に返そうとしている。

 確信めいてそう思うことができたのだ。

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