100 魔道具の板
『酷いなぁ。小型の通信魔道具は、私達だけの秘密だと約束したのに』
それを人にばらしてしまうなんて、と。
まな板めいた魔道具の中から、男の声が我々を責めた。アーダルベルト公爵だ。
もちろん、板の中にいる訳じゃない。通信魔法を焼き付けた板で、電話みたいに通話をつなげているだけだ。
たもっちゃんはその板を、困惑した様子で見下ろした。
「えぇー……公爵さんが起動しろって言うからしたのに……」
それに、そんな約束はしていない。
していないと言うことを、向こうもちゃんと覚えているらしい。公爵はそちらのほうへはそれ以上行かず、別の話題を出してきた。
『通信魔道具を渡されて、連絡がいつあるか楽しみにしていた私の気持ちが解るかい?』
「楽しみにしてたんですか」
『それなのに、連絡はこないし。こちらから連絡しても通じもしないし』
「楽しみだったんですね」
たもっちゃんと私が口々に追求すると、公爵はこちらに聞こえるように、ふう、と一つため息を落とした。
『私は、すっかり都合の良い男なのだなぁ』
「いやいやいや、いやいやいやいやいや」
「人聞き。人聞きが悪すぎる」
誰だ。アーダルベルト公爵にこんな危険なジョークを教えた奴は。これではまるで、私たちが悪いみたいじゃないか。
やめましょ。そう言うの、やめましょ。ホント。万が一にも真に受けられたら、心当たりがなくもない我々が困るし。
「あれは何だ?」
「相手は公爵様だろう?」
「何故、あの様に気安く……」
板の向こうの公爵を必死でなだめる我々の後ろで、そんな会話が交わされていた。ひそひそとささやき合っているのは、王子のそばにいつも控えるお世話係たちだった。
不調法をとがめるような、それよりおどろきが勝っているような。ざわめくような彼らの声に、ぼそぼそと答えているのはテオだ。
「申し訳ない。あれらの事は、躾のできぬ野生の魔獣だとでも思って欲しい」
彼なりのフォローなのだろう。とは思う。
しかし、どうだろ。この言い草は。てめー覚えてろと言う気持ちもあるのに、否定しがたいのがとてもくやしい。
アーダルベルト公爵の用は、また顔を見せにきなさいと言うふんわりとしたものだった。
しかし会いにくる時は、お湯を掛けるとすぐにスープになると言う携帯食の作りかたを書面にしてくるように、とも言っていた。どうやら、こちらが本題っぽい。
大森林の間際の町までテオを送ってきてくれた、三人の騎士が公爵に話を上げたのだろう。彼らは、メガネが適当に作ったフリーズドライ食品を軍備にしたいと言っていた。
じゃー近い内に行きますね、と。雑に訪問の約束をして、通話を切った。
「ごめんね、場所借りちゃって」
お待たせ、なんて言いながら、たもっちゃんが振り返る。
ここはまだ、王子用のテントの中だ。
少年から公爵の手紙を受け取って、たもっちゃんはその場で内容に従った。
正直、なにも考えてなかった。
ギルドの通信魔道具を借りたことはあったが、あれは伝言を頼んだだけだ。実際の通信作業はギルド職員がしてくれた。
だから、いまだに我々は本来の通信魔道具を見たことがない。ちょっといいお寿司屋のまな板みたいな大きな板を、小さい小さいと言われても正直ピンとこなかった。
しかし異世界的な通信道具のサイズとしては、やはり画期的にコンパクトになっているらしい。さすがにこれは小さすぎると、本当に使えるのか怪しまれたくらいだ。
しかし試しに通話させてみると、魔道具はちゃんと実用に耐えた。
それを作ったのがうちのメガネで、この世にはまだワンセット。ここにある板と、アーダルベルト公爵に渡したものしか存在しない。
その事実に、王子は。
ぐしぐしと涙ぐんでいた。
「なぜですか、師匠……なぜ、アーダルベルトだけ。わたしだって、師匠直通の通信魔道具がほしいです……」
「ええー……」
通話を終えて振り返った格好で、たもっちゃんと私は弱々しくうめいた。なんだかまずいと本能が叫ぶ。
悲しいのか、くやしいのか。
少年はイスの上でうつむいて、自分の膝で両手をぎゅっとにぎりしめていた。そうしてさめざめと訴える姿は、周囲の大人をあわてさせるものがある。
坊ちゃまが。ああ、坊ちゃまが。ああああ、と今にも闇落ちしそうな表情でじいやがこちらをぎんぎんと見詰め、お世話係の使用人たちはわたわたと騒ぐ。
その近くではテオが整った顔面を真っ白にして、なんとかしろと言わんばかりに灰色の瞳を向けてきた。その目が動揺でぐらんぐらんに揺れてるが、大丈夫だろうか。
さすがに、たもっちゃんも察した。ここは自分が機嫌を取るしかないのだと。
「えー、俺? 俺のせいなの?」
納得してない感じではあったが、少年に専用の通信魔道具を作ってあげる約束をする。
その途端、少年の涙はぴたっと止まった。そして、本当にうれしそうに笑った。
根拠はないが、やり手感がすごい。
異世界は秋になったが、日中はまだ暑い日も多かった。だから私は午前中に草を狩り、午後には木陰でアリとの物々交換をする。
最初は一匹だけだったアリは、日々その数を増やした。今やちょっとした行列である。
そうしてほかのアリたちを見ると、最初に出会った手乗りチワワみたいな奴は特に大きい兵隊アリのようだった。
行列にもいっぱい見られる働きアリは、せいぜいハムスターくらいしかない。くらいしかないって言うか、それでも充分大きいんだけど。感覚がマヒしてもうなにも解らない。
大小のアリがせっせと運ぶ大森林の恵み的な品々を追加で仕入れた大量の黒糖と交換したり、適当にむしった草や木の実をメガネに見せて多めに採集しておけと言われたものをこれでもかとむしったり。
中でもウズラの卵ほどの硬い実が、保湿クリーム的ななにかの原料になると聞き重点的に採集したりなどもした。
肌に合うなら保湿的なものは、なんぼあっても困らへんのや。
王子一行の野営地での日々は、そんなふうにすぎた。
途中、髪が伸びてきてうっとうしいとこぼした私にテオが変な特技を披露して、腰に吊るした長剣で器用に切ってくれたこともある。
じっと座っているように言われ、たもっちゃんが強めに風の魔法を使う。それで浮き上がった私の髪を、ひゅんっ、と剣が一閃して絶った。気付くと伸び切っていた髪は、ほどほどの前下がりボブになっていた。恐かった。多分、もう二度と頼まない。
その様子を見ていたらしい王子がどこからか走って現れて、私も! 私も髪が伸びすぎたと思っていて……! とわくわくしながら言い掛けたところで、じいやにはがいじめにされて連れ去られたのもいい思い出だ。
いい思い出だと言い張っていれば、いつかいい思い出だった気がしてくると私は信じる。
仕方ない。じいやの判断は適切だった。そう長くない王子の髪を剣で切ったら、頭皮ごと刈り上げになってしまったかも知れない。
そうして、やがてその日になった。
「師匠」
小動物のように優しげな容姿の少年は、そこで一度言葉を切って唇をきゅっと引き結ぶ。寂しさをこらえているように。
少しうつむいたその顔は、すぐに気丈に上げられた。象牙色のまざる赤墨の髪が、ゆるやかなウェーブを描いてやわらかに揺れる。
「わたしは、これからもけんさんをかさね、はなれていても師匠の弟子としてはずかしくないように腕をみがきます。どうか、師匠もおすこやかに」
「えっと……はい」
どうにか返事をするにはしたが、たもっちゃんは完全に飲まれ切っていた。この場の空気に。
ムリもない。私も飲まれた。
野営地の一角には大きな魔法陣が描かれて、満杯に込めた魔力で輝いている。少年とじいやたち、そば近くを守る騎士たちがいるのはその中だ。
周囲をずらりと囲んでいるのは野営地にいるほとんどの兵で、これは見送りのためだった。王子である少年はこれから、転移の魔法で王都へと帰る。
息をするのもしんどいほどにピリピリとした空気の中で、少年は涙ながらに別れをおしむ。それはちょっと感動的なくらいだが、でもダメだ。背中の板が気になりすぎる。
小柄な体で背負っているのは、たもっちゃんが作ってあげた通信魔道具の板だった。これだけは自分で運ぶと言い張って、じいやにくくり付けてもらってた。
段々と強く輝く魔法陣の中で、板を背負って少年は手を振る。そして消えた。魔力の光が最も強くなった次の瞬間、魔法陣の上からは輝きと共に人の姿も消えていた。
これで、しばらく会うこともない。そう思うと少し寂しい気もしたが、割とすぐ、通信魔道具の板が鳴り少年の声を聞くことになる。用事はないけど話したかった、とか言って。




