10
「靴を何足も買っても、わたくしの足は二本しかないことを忘れていたわ」
そうぼやきながら、サフナールは体重のないような足取りで、砂漠をどんどん進んでいった。
足跡が残らない。いかにも死霊だ。
蝶の柄のある靴が見えるほど、透ける裳裾をからげて歩いていくサフナールを、ジェレフはゆっくりと追いかけた。
せっかく女物の衣装を着ても、そんなにお転婆なのでは、台無しではないかとジェレフは思ったが、薄桃色の衣を着てひらひらと踊るサフナールは、それはそれで、可憐だった。砂漠に現れるという妖精のようだ。
目も眩む太陽光の中、砂丘を超えると、揺らめく陽炎の中に、巨大な銀細工のような船が停まっていた。熱砂の海に浮かぶ帆船だ。
船の向こうの、突き抜けるような青空には、なぜか、たなびくような銀河と、大きな月が架かっている。
サフナールが砂丘の頂上で歓声をあげていた。
「あれが話に聞く月と星の船ね。乳母が話していたわ」
遅れてついて来たジェレフの手を握って、サフナールはもう先を急ごうとしている。
「次はどんな冒険が待っているのか、とても楽しみね、エル・ジェレフ」
ぐいぐいと腕を引かれて、ジェレフは砂丘を下った。
船から何者かが呼びかけてくる声がした。
遅いぞジェレフ。相変わらず、のろまだな。こんな時まで女連れで来やがって。と、何者かが怒鳴った。
それを聞き、うふふと嬉しそうに、サフナールが笑った。
「行きましょう、懐かしい先輩に怒鳴られに」
「なんで死んでまで怒鳴られなきゃいけないんだ」
心底ボヤいて、ジェレフは項垂れた。それにもサフナールはくすくす笑った。
そしてたどり着いた舷側の縄ばしごに取り付いて、サフナールは、はっとした風にジェレフを振り返った。
「ねえ、わたくし達、この船でも船酔いするのかしら? 最悪ね!」
その顔があまりにも可愛い気がして、ジェレフは笑った。
梯子を握るサフナールの手に触れて、ジェレフは笑っている彼女の頬に口付けをした。
「その時は、二人で酒でも飲んで、ひっくり返っていよう」
その提案に、サフナールは、そうねと答え、ジェレフの胸に頬を埋めた。その白い額にはもう、彼女を苦しめる石はなかった。
ジェレフ、とまた怒鳴る声がして、慌てて梯子を登り、ジェレフはサフナールと船に乗った。
英雄たちの旅は、なおも続く。
そうして銀の船は、星空へと飛び立っていった。
【完】