5年ぶりの再会
バレンタインデー。
海外では男性が薔薇を渡す事も多いらしい。チョコレートを好きな人に手渡すという文化は、日本独特のものだ。
だがこのイベントのお陰で、彼氏の居ない私でも高級チョコレートを素知らぬ顔で購入できる。
「プレゼント用ですか?」
「はいっ!」
可愛い店員さんにそう訊ねられると、私は満面の笑みを浮かべて二つ返事でそう答える。戦利品とも言える高級チョコレートの袋を持ち、うきうきしながら帰路を辿る。
今年の限定チョコレートは箱が可愛い。しかも、ブランドのチョコレートは、包装と袋までかっちりしているから何とも実用的なのだ。
こうして『本命』っぽいチョコレートを買い、家で食べる。毎年恒例行事とも言える楽しみだった。
ーーそう、電車の中で彼に会うまでは……。
都会の満員電車は大嫌い。
うう……おっさんくさい。密着する生暖かい体温が気持ち悪い。
あと三駅、三駅ーー
呪文のようにそう唱え、私はブランドのチョコレートの入った袋を抱えて瞳を閉じる。
いつもの場所で電車は大きくガタンと揺れる。都会の人はどうしてバランス感覚が良いのだろう。私は両腕が塞がっていたせいで、目の前に立っていた黒いスーツの男性に頭からぼすんとぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさ……」
「ーー具合悪いんでしょう? こっち」
彼は首だけこちらに動かし、私に小声でそう囁くと、そっと肩を抱いて入り口の方に道を作ってくれた。
次の駅で満員電車には少しだけ余裕ができた。
ほっと息をつくと、彼は私の肩を抱いたまま、他の人に潰されないように守ってくれていた。
普通だったら、こんな知らない男に助けられるなんて下心ありだと思うし、気持ち悪い。
けれども、私を守ってくれるスーツの彼は全く下心なくぶつかってくる人を逆に押しやっているようにさえ見える。
ふわっと香る甘い香りに頭がクラクラする。こんなに格好いい人が半径1メートル以内にいる。
心臓の鼓動が落ち着かない。顔は真っ赤になっていたと思う。
あと一駅。ああ、もう彼との時間が終わってしまう。だからって、見ず知らずの人にいつまでもこうして密着しているわけにもいかない。
「ーー着いたよ、真紀ちゃん」
「ふぇ!?」
彼は私の肩をぽんと叩き、にこりと微笑む。
呆然としている私の手を引き、彼は一緒の駅で降りた。しかも、なんで名前を知っているの?
「あ、あの……なんで、名前……?」
「あー、やっぱり覚えてない。真紀ちゃん、久しぶりって言うべき?」
微笑む彼は、日野和真。五年前に海外に転勤した幼馴染で、私の元・恋人。すぐに彼だと気がつかなかったのは、真っ黒だった髪の毛がアッシュグレーに変わっていたせい。短く切り揃えられた髪型に、他人だと先入観を持ってしまっていたからだろう。
和真とは嫌いになって別れたのではなく、彼が海外へ転勤となったので、お互いの未来の為に区切りをつけたのだ。私が覚えていないことに、がくりと肩を落とした和真は溜め息混じりに私の持っているブランドの袋を指差した。
「久しぶりに会ったら真紀ちゃんは俺のこと忘れているし、しかもそれ、本命でも出来たの?」
「ち、違う……毎年、ブランドのチョコレートは自分へのご褒美で……」
なんで余計な事まで言ってしまったのだろう。私は自分へのご褒美と言った所で赤面した。
彼はふぅんと言いながら目を細めて、私の耳朶を軽く引っ張る。
「そのチョコレート、14日に食べに行ってもいい?真紀ちゃんの家で」
「えっ……?」
「真紀ちゃんは、その可愛い箱が欲しいんでしょう? 俺が欲しいのはチョコレートの方」
「いいよ、家は変わってないから」
どのみち、和真が忘れられなくて恋人も作れなかったのは事実。たった1日でも、和真と再び『恋人』となれるのは嬉しい。
駅の改札口を抜けた所で、彼はにこりと嬉しそうに笑みを浮かべ、私の手首を掴むと柱の方へと足を向けた。
「当日は、チョコレートじゃなくて、真紀をメインで頂くから」
「へ、え、えええええっ!?」
小煩い私の絶叫を彼の唇がそっと塞ぎ、嵐のように去っていく。
私の5年ぶりの恋は、瞬く間に再燃してしまった。
そして運命の日。
甘いチョコレートと共に、甘くて苦いたっぷりの愛情を互いに分け与えた。
私達は微睡みの中で、抜け落ちたパズルのピースを埋めながら、再び恋人へと戻ったのである。