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ヴィリとセルジュ(1)

 セルジュと申します、と。声変わりしたてのやや掠れた低い声で挨拶されたのが今から三年前。

 これからよろしく頼むなどと、淑女らしさのかけらも無い台詞を言い返していても許されていたあの頃に戻れたらどんなに良い事か。頭部を華やかに飾る金色の付け毛をむしり取りたい衝動を必死に堪えて、そんなことをぼやく少女がいた。


「……鬱陶しそうですね、ヴィリ様」

「鬱陶しいさ。ああ鬱陶しくてかなわないとも。何故わたしがこんな馬鹿げたものを付けなくてはいけないんだ、セルジュ」

 澄んだ青い色の瞳に合わせた清楚な空色のドレスを着たお姫様然とした装いなのに、人生に疲れた鉱山労働者の男のような調子で言うものだから、セルジュと呼ばれた少年は慎ましい忍び笑いをした。

「んー……それはヴィリ様が鍛錬に邪魔だからと日頃髪を短くされていらっしゃってるからです。それを嘆かれたエリーゼ様が付け毛とドレスを……」

「ああうんそうだなそれは知ってる、うん大伯母様がな。知ってるんだ。うんそういうのを聞きたかったわけじゃないっていうか……お前分かってて言ってるだろ」

「はは、すみません……。ヴィリ様がしおらしくされてるのが珍しくって、つい……。でもこれから贈り主であるエリーゼ様にお会いするわけなので、あと少しだけ我慢、ですよ」

 居心地悪そうにドレスの裾をひっぱる少女の手をそっと解いて、セルジュは控えめに笑った。

 二人は瀟洒な造りの馬車に乗っていた。

 走るのは煉瓦で舗装された大路だ。馬の蹄が赤茶色の硬い道を叩く小気味よい音が聞こえる。レースのカーテンで縁取られた小さな窓の向こうを、人が歩くよりはすこし早いくらいの速さで昼下がりの穏やかな街が流れていく。それは街並みを見物するにはまったくちょうどいいくらいの速度ではあったのだが、ヴィリと呼ばれた少女は座席に深く腰掛けて外に目を向けようとはしなかった。

 自分で馬に乗りたい。馬を駆って、風を感じたい。こんな箱に乗せられて目的地に着くまでをただ座って過ごせだなんてどんな拷問だ、とは少女の言である。彼女は馬に乗ることが好きだった。鞍に跨り手綱をとって風を切る。土煙をあげて訓練場を駆けている瞬間は何にも代え難いひと時であった。それを、何ゆえわたしがこのような窮屈な箱に押し込められねばならんのだ。せめて自分で馬車を動かしたい。御者台に座りたい……などと、彼女は終始参ったようすだった。それを、彼女の世話係である彼が宥めている。

 本来ならば使用人であるセルジュとその主人である彼女がさし向かいで馬車に乗るなどあり得ないことだ。そう、あり得ないことではあるのだが、彼女を宥めエリーゼ様こと、ヴィリから見れば大伯母にあたる人物の屋敷に着くまでの話し相手兼付け毛を取らないように見張る「お守り」という名目で彼が同乗していたのであった。


 同情するような言葉を吐きつつ、とはいえセルジュは役回り上主人の要望に応えることができない。申し訳なさそうに眉尻を下げている彼に、少女はそんな顔をさせたいわけじゃないんだと慌てて手を振った。

 そして座席に座りなおして、うーんと天を仰ぐ。

「だいたいこんなの虚しいだけだろう?」

 こんなの、とはもちろん騎士見習いの少年のように短く切られた髪を長く見せる付け毛のことである。

「『第一王女は女の癖に騎士の真似事がお好き』だって国中に知れ渡っている。いまさらこんなもので女ぶってもなあ」

「ヴィリ様……」

 ため息のように呟かれた自分の名前に、彼女はハッとセルジュの方を見た。

「すまない、愚痴っぽくなってしまって。それもこれもわたしが王女らしくないからなのだからな、身から出た錆という奴だ! 許してくれ、セルジュ!」

 爽やかに歯を見せて笑ってみせるが、セルジュの表情は晴れない。さてどうしたものかと彼女が思っていると、何か決したように彼はゆっくりと顔をあげた。


「俺は……ヴィリ様が好きです。大好きです」

「は?」

 彼女の口から飛び出たのは下っ腹に力のこもった強い疑問符であるが、セルジュはどこまでも大真面目な口調で、狭い馬車のなか床に膝をついておもむろに彼女の手を恭しく取り上げて言う。

「楽しそうに剣の稽古に励まれてるお姿も、快活な言葉遣いも、みんな大好きです。いまの格好も、その……ヴィリ様はこんなこと言われても嬉しくないかもしれないけど、素敵だなって思いました。俺は好きです。だから……」

「お、落ち着けセルジュ! 立ち上がるな! 危ないだろう! わかった、わかったから! 落ち着け!」

 そのまま手の甲にキスでもしそうな雰囲気のセルジュを押し留めて、慌てて向かいの席に座らせた。大変不服そうな目の彼だったが、素直に座る。ちなみにその座り方はとても几帳面であった。基本的に彼はバカがつくほど真面目なのだ。たぶんまあ今のは自分に対して否定的になっている彼女にそんなことはない、あなたは素晴らしい方ですとでも言いたかったのだろうが、伝え方が大仰かつ、第三者からいろいろと誤解を招きそうである。よかったここにはわたしとこいつしかいなくて。

 良いやつではあるんだ。そう、わたしなどの世話係にしておくのがもったいないくらいの良いやつではあるんだが。少女はいつもの癖でぽりぽりと頭をかこうとして、付け毛の存在を思い出して持ち上げかけた手を引っ込めた。なんとなく手持ち無沙汰である。そして気まずい。気まずいのはわたしだけか、それとも多少はこいつも、と彼の方をみると顔を伏せている。しゅんとしているというか、どことなく捨てられた子犬のような、そんな……ああもうそんな寂しそうな顔やめてくれ!

「セルジュ……その、なんだ」

「はい……」

「……お前がわたしを慕ってくれているのはよーく分かった。うん、ありがとうな、セルジュ。お前のような主人想いの男に仕えてもらえてわたしは果報者だ」

「……はい」

 セルジュは、口もとをふにゃりと緩めて笑っていた。

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