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高専の常識は世間の非常識  作者: シャバゲナイト老婆
メインエピソード
7/37

野球と高専生

「能登先輩野球しませんか?」

「野球?」

「はい、もちろん道具もありますよ」

「僕左利きだからグローブとかないと思うからいいよ」

 食後はダラダラしたい派の僕は叡智の誘いをやんわりと断る。

「私にぬかりはないですよ」

 叡智は服の中から左利き用のグローブを取り出す。

 やっぱり左利き用もあったか。お金持ちめ。というかどっからグローブ出してんだ。なんか……なんか嫌だ。

 はたして食後に動いても食べたものを出さないだろうか。流石に草原でゲロとか洒落にならない。貰いゲロとかしたら最悪だな。ゲロの大合唱だ。カエルに対抗できる。

 叡智がキャンピングカーに戻ってグローブとバットを持ってくる。はたしてキャンピングカーのどこにバットとグローブを積んでいたのだろうか。乗った時に野球道具は見当たらなかったが。

 貰った左利き用グローブを付けると、叡智が「後ろを守ってください」と言ったので僕は漠然とセンターあたりの場所に行く。どうやら叡智がピッチャーをやって彼がキャッチャー、先輩がバッターをやるようだ。守備が僕1人って辛くないか。まぁ女子の野球なんてそんなに飛ばないだろう。女子野球でも柵とかつけることもあるし。

 叡智が投球練習もせずに投げる。ワインドアップから本格的なオーバースローで、ストレートの速さも結構でている。初球は見逃す。うーん高めだから僅かにボールってところだろうか。叡智がボールを受け取って2球目に入る。

 2球目はインコースにボールゾーンからストラークゾーンに入っていくスライダーだ。俗に言うフロントドアってやつだ。

 ……ちょっと本気すぎないか。

 普通の女子高生の野球って、山なりに投げ合うキャッチボールとかじゃないのか。なぜ僕の目の前にいる女子高専生は、キャッチャーを座らせてワインドアップの態勢を取っているのだろうか。なぜ躍動的な、体全体を使ったしなやかなフォームで投球しているのだろうか。なぜ大きく足を踏み込んでスムーズな重心移動をして投球をしているのだろうか。たぶん、あのフロントドアのスライダーも狙ってやっていることだろう。

 全国の高校生や高専生を寄せ集めても、遊びの野球でフロントドアのスライダーを投げる15歳の女子はいないだろう。

 先輩は2球目も見逃す。

 3球目の投球に入る。意表を突くセットポジションだ。アウトローにストレートを投げる。

 先輩はストレートを上手に合わせてライト側に流し打ちする。

 ボールはグングンと進んでいく。ボールは、センター付近を守っていた僕から逃げるように進んでいった。取りにいきたくねぇ。

「甘いな」と先輩。

「あのストレートは打ち取れると思ったんですけどね。インコースに高めのスライダーを投げた後にアウトローにストレートなんて模範的な投球だと思ったんですけどね」と叡智。

「模範的すぎてアウトローは予想できたさ」

 予想できたのなら流し打ちしないで僕の方に打って貰えないですかね。と背中に先輩と叡智の会話を受けながら考える。考えたって無駄であろう。

 その後も無駄にレベルの高い野球は続いた。先輩と叡智も凄いけど、ボールを取りに走らされる僕のことも考えてほしいな。

「じゃあ、今度は私が外野守るよ」

 という先輩の気まぐれで僕はバッターボックスに入った。

 先輩はダッシュで外野に走っていく。

 走るのと同時に金髪のツインテールが揺れている。

 その様子は秋になって、強い風が吹いた時に、同じように見えて実は1つ1つが違った揺れ方をしている稲穂に似ている。

 中学生の頃は通学路の横に田んぼがあったので、四季折々の稲穂を見ることができた。自然と頭の中に四季折々の稲穂がインプットされている。その気になれば稲穂あるあるだって言える。

 先輩が外野に着くと僕は視線を揺れるツインテールから叡智に向ける。叡智はそれを始まりの合図だとでもいうように投球動作に入る。左足が力強く踏み出されて理想的なフォームで白いボールが投げられる。僕に向かってくる。僕はバットを振る。つい声が出る。

「あふん」

 空振りしたボールは彼のミットに入った。

 叡智はニヤニヤしている。こちらからはキャッチャー役の彼の様子も見えないがきっと彼もニヤニヤしているのだろう。

「能登先輩しっかりしてくださいよ。チャンスボールですよ」

「僕は野球得意じゃないんだよ。柔道なら得意だけどね」

「それは逃げだよ」と彼。

「逃げですね」と叡智も続く。

 この夢を掴むためのセミナーみたいな会話はなんだろうか。逃げてもいいのではないのか。たぶん叡智も具体的な学力は分からないが、頭がいいのだろう。金持ちはすごく頭いいか頭悪いかのどちらかしかない。

 その後も僕達修繕部は野球を続けた。このハイパー高スペック高専生3人と普通の高専生の僕での野球を続けた。

 しばらく野球を続けていたが、先輩の「飽きた」の一言で終了して、その後も特に何をする訳でもなく僕たちは野原を駆けまわったり、草原の上で寝転がったりした。

 まだ時期的には5月の初めといったところなので6時になると空もうっすらと暗くなってきて、月が「こんにちは」と語りかけそうだ。

 僕達からしたら「こんにちは」というより「こんばんは」という感じだが、月からしたら日本での活動はこれからだ。という感じだろうか。中国人や韓国人に挨拶するにはまだ少し早いだろうか。

 そうやって地面に座って月と挨拶をしようとしている僕に後輩が話かけてきた。

「能登先輩。このまま解散だと少し寂しくないですか?」

「そんなことないですよ」

「そんなことなくないですよ」

「そんなことなくなくなく……?そんなことなくにゃくない?ですよ」

 グダグダになってしまった。先輩としての威厳が、部長としての威厳が損なわれてしまった。そんなもの元から無いという話はナンセンスだ。

 もう僕は叡智に取り囲まれてしまっている。四方八方に小さなミニマム叡智が僕の周りを取り囲んで僕の足のつま先から手の小指の先、耳の裏や首の付け根に至るまで僕を取り囲んでいて、僕は完全に逃げ場が無い。

「能登先輩噛みましたよね?」

「咀嚼は大事だな。消化にかかわるから」

「いや、物理的な噛むではなくて言葉としての噛むですよ」

「で、要件は何だ」

「花火したくないですか?」

「草原でやったら燃えてしまうから危険じゃないか?」

「手持ち花火でも線香花火でもないですし、それにここは野原ですよ。」

「草原と野原の違いなんてわからんよ」

「所有者が野原と言っているので野原です」

「なるほど」

 そう言われてしまうと何も言えない。

「ではやりましょうか」

「手持ち花火でも線香花火でもないってことはネズミ花火か?」

「打ち上げ花火ですよ」

 やっぱりそうか。お金持ちはだいたいそういうことをする。派手なことをすればいいと思っているんだ彼らは。

というか打ち上げ花火の方が他の花火に比べて火花が四方八方に散らばってしまって危険な気がするのだが。

「あ、打ち上げ花火って言うのは地上に着くころには火が消えているものなんですよ」

 と僕が考えていたことを知っているかのように叡智が補足する。

「適当だろ」

「燃えても私の土地ですし問題ないですよ」

 理論が緩すぎる。

「地球温暖化に悪影響を及ぼしちゃうじゃないか」

「ここで野原が1つくらい燃えたって、そんなもの微差の範囲ですよ」

 とても化学科とは思えない発言を聞いたような気がする。高専から農学部に行く人も少なくないというのに。入学して少ししか経っていない時期ならそんなものか。

「という訳で花火やりましょうね」

 ミニマム叡智に囲まれた僕は、やっぱり逃げることができずに僕は花火に付き合わされることになってしまった。

 僕に「少し待っていてください」と言って叡智は先輩と彼を呼びに行った。

 こちらから見ている様子だと先輩と彼は二つ返事で了承したようで、キャンピングカーに一旦戻ったのち、打ち上げ式の花火を複数種類手にしてこちらに向かってくる。

 僕のところに3人が来て叡智が打ち上げ花火をセットする。

「さっそくいきますよ」

 と叡智が言って打ち上げ花火が上がる。ヒューという大きな音が鳴って一瞬音が消えて、また色とりどりの光とともに音が鳴る。花火と言うのはどうしてもその発火している火薬に視線が行きがちだが、音に注目してみるのも面白いものである。最初の玉が上がるときの音は高い音だが耳には残らずに、火薬に発火するときの音は低いながらも耳には残ってしまう。

「見事なものだな」と先輩が言った。

 性格が変だからと言って感性までも変とは限らないのだろう。

 そもそも花火というのは誰が見ても素晴らしいものなのではないか。刑務所の受刑者にも更生のために花火を見せることがあるという僕が今作った話を広めていこう。

 そうやって花火には火がつけられていく。間髪入れずに花火が打ち上げられる。ついさっき打ち上げられた花火は今打ち上げられた花火と重なっていて、それはまだ完全に暗くなりきってはいない空にも十分に見事である。

 次々に火がつけられた花火にも終わりがきたようだ。

 沈黙が流れる。沈黙と言っても気まずくて言葉が出ないという沈黙ではなく、花火の余韻とでも言うべきものが、この場にいる全員が感じている心地の良い沈黙であった。

 しばらくその心地の良い沈黙が流れていたが、後輩が沈黙を終わらせた。

「では、戻りましょうか」そういって全員が車に乗る。

 集合場所まで戻った。

「ではまた明日。学校で会いましょう」

「おう」

「また明日」

「では」

 後輩の車が走り去っていく。

「では私たちも帰るか」

 先輩がバイクに乗って、彼と僕は自転車に乗って帰る。先輩と僕は同じ方向だがバイクと自転車では速度を合わせることは難しいので先輩は先に行ってしまった。彼も僕や先輩と挨拶をして帰っていった。

 僕は一人で帰った。

 集合場所の駅から僕の家までは距離がある。歩いて行くには遠くて、自転車で行くにもやっぱり少し遠いのである。

 僕は自転車に跨ってゆっくりと漕ぎ始めた。外は暗くなっているが僕の愛用している赤い自転車はオートライト式なので、勝手にライトが着いてくれた。

 帰り道で僕は中学校の同級生がいるのが見えた。女の子だ。話しかけるか否か迷ったが僕は話しかけるのを辞めた。

 中学校の頃はボチボチ仲が良かったのだが、だからといって今も仲が良いとは限らない。昔は良く思っていたかもしれないが、今は僕のことをよく思っていないかもしれない。ひょっとしたら彼女は僕に憎悪を抱いている可能性だってある。

 まあ、そんなことは実は重大な原因ではなく、実際は高専にいるせいで女性と話すことに抵抗が出来てしまったのだ。女性を見ると怖いと感じて下を向くようになった。別の道を通るようになった。

 これを僕は全て高専のせいであると考えた。

 高専は女子の絶対数が少ないため、凄く仲の良い女性とあまり関わりのない女性に分けることができてしまうから、前者は男と話すような感覚で話せるし、後者とは全然話をしない。よって僕は高専のせいでそこまで仲良くはないけど、会ったら会話をする程度の女子。つまりは知り合いや顔見知りの女性と話をすることが得意ではなくなったのだ。

 断じて僕の努力不足などではない。

 環境のせいだ。

 そのうえ、これまで彼女というものができたことのない僕には、全体として女性に対してのコミュニケーションスキルが弱いのである。

 つまるところ、僕は女性とのコミュニケーションが得意ではない状態から高専によって症状が悪化してしまったのだ。

 1回でもいいから女性と付き合ってみたいものだ。もう付き合うことができたら死んでもいい。いや、やっぱり死にたくはない。デートもしたい。あわよくば所帯を持って、年を取っても2人ともラブラブでいたいものだ。思春期男子の妄想大爆発である。

 僕には付き合う女性の候補すらいない。

 仲のいい女性といえば先輩か叡智ぐらいだろう。

 先輩は奇抜な見た目と性格のため付き合ったら大変だろうし、先輩にその気がないのが、国語の成績が悪くて国語力が欠如している僕でも感じ取れる。後輩はまだ謎が多すぎるし、後輩もその気はないだろう。

 僕はフラグサーチャーを自称しているため、恋愛関係のフラグがたったら僕は貪欲に取りに行く。ライトノベルの主人公のように耳が悪くて聞こえないこともないし、国語力は低くても女性の好意の気持ちはビンビンに捉えられる。

 あとはフラグだけだ。

 こんなに考え事をしてもまだ家には半分ほど距離がある。やっぱり自転車を使っても少し遠いのである。


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