第3話 おばあちゃんはスライム100%
ダイニングテーブルに着き、今夜の夕飯を食べる。
メンバーは、僕、妹のぽよ理、お母さん、おばあちゃんの4人だ。
なお、お父さんはいつも帰りが遅いから、平日に僕やぽよ美と顔を合わせることはほとんどない。
妹はスライムで、ぽよ理なんていう変わった名前だけど。
お母さんもぽよ代という名前だったりする。
そのお母さんには、スライム的な要素はなにもない。
そして、お母さんの隣で食卓に着いているおばあちゃんは、ぽよ美という名前だ。
おばあちゃんは妹のぽよ理と違って、100%完全無欠のスライムだという。
そこから隔世遺伝で、ぽよ理にだけスライムの性質が受け継がれた。
おそらくは、僕やお母さんのDNAにだって、スライムとしての情報は入っているはずだ。
ただ、表には現れなかった。
劣性遺伝子になっているのか、たまたまだったのか、それはサンプルが少ないためわからないけど。
おばあちゃんからの遺伝により、ぽよ理はスライム化の能力を使うことができる、というのは紛れもない事実だろう。
「どう? 美味しい?」
お母さんが問いかけてくる。
「うん、美味しいよ」「ん、おかーさんの料理、最高」
僕とぽよ理は、素直な賛辞を返す。
だって、本当に美味しいのだから。嘘をつく必要なんてない。
一方、おばあちゃんはいつでも辛口だ。
「ぽよ代の料理は、まろやかさが足りないよ~」
「まろやかさっていうか、粘液成分が足りないって言いたいんでしょ?
まったく……。私にはスライムの口に合う料理なんて、作れないからね?」
「だったら、あたしに作らせてくれればいいのに……」
「それは遠慮するわ。泉流とぽよ理ちゃんに、変なものを食べさせるわけにはいかないもの」
「へ……変なものってなによぉ~!? ただ粘液が混入しちゃうだけでしょ~?」
口ゲンカが展開される中、僕とぽよ理はもくもくと食べ続ける。
お母さんとおばあちゃんの口ゲンカなんて日常茶飯事。見慣れた光景だからだ。
僕のすぐ横で味噌汁を飲んでいるぽよ理も、まったく気にも留めていない様子だった。
ちなみに、おばあちゃんは佐々藤という名字だけど、お母さんと僕とぽよ理は、野々崎の姓になる。
それがお父さんの名字であることは、わざわざ説明するまでもないだろう。
さて、お母さんはごく普通の人間で、取り立てて変わった部分もない、一般的に想像できる範囲の母親像からそう離れていない感じだ。
でも、おばあちゃんについては、色々とツッコミどころがある。
もちろん筆頭になるのはスライムだということだけど、それ以外にもたくさん気になる部分が存在する。
たとえば、その見た目だ。
おばあちゃんなのに、若い。若すぎる。お母さんよりも若く見えるほどに。
二十代前半くらい……いや、もっとか。
高校生である僕と同級生と言ったとしても、通用するのではないかと思える。
スライムだから、肌の水分も豊富で肌年齢が若い、というのはわからなくもない。
だとしても、お母さんの年齢+20程度の年月は生きているに違いないのに、あの若々しさは異常なほどだ。
喋り方だって声だって、お母さんよりもよっぽど若く感じられる。
なんとも人間離れした外見だよな。
実際に人間ではないわけだけど。
「ほら、泉流。早く食べちゃいなさい」
「あ……は~い」
ついついおばあちゃんの姿を眺めてしまって、手が止まっていた。
僕の隣で食べていたぽよ理は、すでに「ごちそうさま」と言って両手を合わせているところだった。
ぽよ理は立ち上がり、食べ終えた食器類をトレイに乗せ、流し台まで運んでいく。
うちでは、こうして自分で食器を流し台に置き、水に浸しておくまでが、食事の一連の流れとして義務づけられている。
僕も妹に続けとばかりに、急いで料理を口の中に放り込んだ。
とはいえ、よく噛んで食べること、というのも同時に義務づけられているため、食事のペースを速めるのにも限界がある。
ま、こればかりは仕方がない。
もぐもぐもぐとアゴを動かし、しっかりと咀嚼する。
不意に視線を上げたタイミングで、おばあちゃんと目が合った。
「ん~~~~……」
おばあちゃんが、僕をじっと見つめている。
どうしたんだろう?
ほっぺたにご飯粒でもついてるのかな?
僕は反射的に手で頬の辺りをぬぐってみたけど、ご飯粒がついたりはしていなかったようだ。
無言で見つめられ続ける僕。
相手がおばあちゃんとはいえ、見た目は若々しい女性だ。
なんとも妙な気分になってしまう。
「おばあちゃん、どうしたの?」
たまらず、尋ねてみた。
すると、こんな答えが返ってくる。
「泉流くん……ダーリンに似てきたな~って思って」
ダーリン。
つまり、おばあちゃんの旦那さん。
僕のおじいちゃんにあたる人だ。
確か、名前は泉夢だったと思う。
僕の名前は、そのおじいちゃんから一文字取っていると聞いたことがある。
なぜか写真は一枚もないから、どんな顔をしていたのか、僕にはまったくわからないけど。
今現在、この家に住んでいるのはおばあちゃんだけで、おじいちゃんはいない。
それがなにを意味するのか。
詳しく教えてもらってはいないけど、察しはつくというもので……。
おばあちゃんを悲しませないため、僕は笑顔を伴った明るい声で言った。
「僕、おじいちゃん似なんだね」
「おじいちゃんとか言われると、ちょっと寂しいかも~。
ダーリンさん、って呼んであげてほしいな~」
「え~っと……」
さすがにその呼び方は恥ずかしい。
僕は適当にお茶を濁すと、食事の残りをたいらげる方へ意識を集中させた。
食事を終え、自室に戻ろうと階段を上り切ったところで、不意に声がかけられた。
「泉流くん、ちょっと」
おばあちゃんだった。
部屋から顔を出し、僕を手招きしている。
「え? なに?」
お小遣いでもくれるのかな?
そんな期待を込めて、おばあちゃんの部屋へと足を踏み入れる。
じめっ……と。
湿気が肌全体を包み込んでくる。
久しぶりに入ったけど、やっぱりすごいな、この部屋は。
それが率直な感想だった。
部屋全体が緑色の粘液で覆われている。
スライムであるおばあちゃんが、本来の姿で生活している部屋。
ヌメヌメでベチョベチョでネチャネチャな物体であるスライムが這いずり回ったら、そりゃあこんな風に粘液がこびりついたりもするだろう。
それにしたって、あまりにも凄まじい。
僕は状況を知っているから耐性がついているけど、なにも知らずにこの部屋に入ったら、およそ大多数の人が大声を上げて驚くと考えられる。
まぁ、今さら部屋の掃除をしよう、なんて言うつもりもないし、僕は部屋の惨状については触れずに質問をぶつけた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
僕を部屋に呼ぶなんて、これまでには滅多になかったことだ。
おばあちゃんは、ひとりで部屋にこもっていることが多い。
食事の際には出てくるけど、それ以外はほとんど部屋の中だけで生活していると思われる。
そんなおばあちゃんの部屋に、僕は招き入れられた。
その目的はいったい……。
答えはすぐに示される。
「泉流くん、これ、着てみて!」
「これは……スーツとワイシャツ……?」
「うん! これを着たら、絶対ダーリンみたいに見えると思うの! ね? いいでしょ~?」
おばあちゃんは、僕におじいちゃんの面影を重ねている。
さっきも言っていたじゃないか。似てきた、と。
とても明るく、元気そうに見えるおばあちゃん。
だけど、やっぱり寂しかったに違いない。
「これって、おじいちゃんが着てたスーツ?」
「ううん。ダーリンの服とか、残ってないから……。
これは、あたしが粘液で作ったんだよ~!」
「ね……粘液で……!?」
そういえば、聞いたことがある。
おばあちゃんは人間に変身する際、自分が着る服を自由に成形できるのだと。
ただ、自由にできるのは服や靴などだけで、顔や体形などは変えられないらしい。
その能力の一端として、他の人でも着られる服を作り出した、ってわけか。
なんとも便利な能力だ。
それはいいとして、粘液で作られてるってことは……。
僕は恐る恐るワイシャツとスーツの上下を手に取ってみた。
意外にも、普通の素材と変わらない手触りだった。
湿ったような感触なんて、まったくない。
「あたし、頑張ったのよ~! 上手く乾かしながら作るのがコツね~!」
「へ~、そうなんだ」
「あまり長い時間、形状を保てないから、早く着てくれると嬉しいな~!」
「……途中で粘液に戻ったりはしないよね……?」
「うん! ……たぶん」
たぶん、か……。
少々不安ではあるな……。
ま、べつにいいけど。
仮に途中で服が消えたとしても、見られる相手はおばあちゃんだけだし。
ともかく、これを僕に着てほしいと、おばあちゃんは願っている。
それくらいの望みなら、叶えてあげてもいいだろう。
粘液でベチャベチャだったら、さすがに拒否したと思うけど。
僕は部屋の隅に移動し、着替え始める。
おばあちゃんがずーっとこっちを見つめているので、別の方を向くように頼んだり。
そんなこともありつつ、僕はスーツをびしっと着こなした。
「ネクタイはないの?」
「あるよ~! これは、あたしが着けてあげるね!」
ぎゅーっと。
おばあちゃんは力強く、僕の首にネクタイを巻いていく。
「げほっ! 苦しいよ、おばあちゃん!」
「ありゃ、ごめんなさい! ……はい、完成!」
ネクタイも締め終えると、おばあちゃんは一歩下がって僕の姿を上から下まで眺める。
すると、うるんと、瞳が緩んだ。
……いや、瞳だけじゃなく、全身が緩んでいく。
気づいたときには、おばあちゃんは完全なスライム形態へと変貌と遂げていた。
「う……」
そしておばあちゃんは――。
「ダァーリ~~~~~ン!」
緑色のゼリー状の姿のまま、僕に思いっきり抱きついてきた。
べちょっと。
僕のすべてを、包み込むように。
否。
包み込むように、ではなく、物理的にすべてが包み込まれていた。
「もごっ……!? ごぼっ……!」
うあ、なんだこれ!?
口の中に、ゲル状の物体が次から次へと流れ込んでくる!
お……溺れる……!
部屋の中で直立している状態なのに、溺れ死んでしまう……っ!
命の危険を感じたそのとき。
救世主が部屋の扉を開けた。
「おばーちゃん、なにしてるの? おにーちゃんの声も聞こえてきたけど」
妹のぽよ理が、物音を聞いて駆けつけてくれたのだ。
ぽよ理、助けてくれ!
声の出せる状態ではなかったけど、この様子を見れば、わかってくれるはずだ。
そう思ったのだが。
僕がゲル状物体に頭から包み込まれている現状を見たぽよ理は、こんなことをのたまう。
「おばーちゃんとおにーちゃんが、キスしてる。……おにーちゃん、熟女好き?」
違ぁ~~~~うっ!
そんな悲痛な叫び声を発声させることは、口を含めて顔全体が覆い尽くされている僕にできるはずもなかった。
ごぼごぼごぼぼっ! と、溺れかけているような音だけは、響かせることができたけど。
「ごめんなさい。ダーリンが戻ってきてくれたみたいに思えて、つい興奮しちゃって……」
おばあちゃんが正座をして謝っている。
でも、許すとか許さないとか、そんな考えを浮かべる余裕なんてなかった。
とりあえず生き延びることができた喜びだけで、僕の頭の中はいっぱいだったからだ。
「おばーちゃん、本当におじーちゃんのこと、好きだったのね」
ぽよ理がそう言うと、おばあちゃんはパーッと瞳を輝かせる。
「もちろんよ~! 溶かしちゃいたいほど愛してたの~!
(……実際に何度も溶かしかけたけど。てへっ)」
なにか、小声でつけ加えたような気がしなくもなかったけど、聞かなかったことにしておこう。
それはそれとして。
ぽよ理はさらに、あまり触れてほしくない事実にまで言及する。
「それにしても、おにーちゃんとキスしちゃうなんて」
さっきもぽよ理が言っていたけど。
あの、ゲル状物体が頭全体を包み込むのが、キス……?
イメージしていたのと、まったく違うと言わざるを得ない。
「おにーちゃん、どう考えてもファーストキスだったでしょ?
初めての相手、おばーちゃんになったね」
「う……」
何も言い返せない自分が恨めしい。
「で……でも、家族だからノーカウントでいいよな!?」
そもそも、相手は人間ですらない、スライムだったわけだし。
焦りながら妹にすがりつく。
「う~ん。ま、いいんじゃない?」
「ふ~……」
安堵の息を吐く。
事実は消えないのだから、単に気持ちの問題だけでしかないだろうけど。
「とにかく、おにーちゃん」
「ん?」
ぽよ理が、僕の方に手のひらを上にした形で、右手を伸ばしてくる。
はて、どういう意味だ?
「助けてあげたんだから、お金ちょうだい」
「お金を取るのかよ!」
「慈善事業じゃないんだから」
「そもそも事業じゃないだろ」
とはいえ、助けてもらったのは確かだ。
スライム化したおばあちゃんに、ぽよ理は自らの腕をスライム化して応戦。
粘液が混ざり合う感触のおかげで我に返り、おばあちゃんは僕から離れてくれた。
これは……。
お金、渡すしかないかな。
「財布、部屋にあるから、あとで……」
「冗談に決まってるでしょ?」
ぽよ理はあっさりとそう言ってのける。
僕はからかわれたのか。
ただ、ぽよ理はその代わりに、今度は右手の人差し指を一本だけ伸ばして、僕の目の前に掲げる。
「なんでも一回、言うことを聞いてもらえる権利。これで手を打つ」
「う」
僕に拒否する権利が与えられるはずもない。
「さて、なにをしてもらおうかな。楽しみ楽しみ」
ほとんど感情のこもっていないように聞こえるぽよ理の声が、僕にはとても恐ろしく思えてならなかった。
あまり無茶な要求はしないでくれよ……。