第2話 スライムとコーヒー牛乳
『スライム コスプレ』
僕がネット検索してみると、妹の写真が載ったサイトやニュースなどが、すぐに見つかった。
「これは確かに、ぽよ理だ……」
腕だけスライム化させて撮った写真。
顔の一部、鼻からほほ、アゴ辺りにかけてだけをアップにした、緑色の肌がとろけているように見える写真。
左右揃えた両足首から先だけをスライム化させて、なぜか魚の尾びれみたいな形状に整え、人魚もどきになっている写真。
三七三ちゃんが言っていたとおり、顔はわからないように加工されているし、本名も書かれてはいない。
ハンドルネームは『ぽよぽよ』で、本名から想定される範囲内のネーミングではあったけど……。
そもそも『ぽよ理』という名前の人がいるなんて、普通は思わないはずだから、おそらく問題はないだろう。
1ヶ月ほど前から始めたというブログも発見した。
SNSで拡散させていると、三七三ちゃんは言っていたけど、とあるSNS内で書けるブログに写真と短い文章をアップしているだけだったようだ。
それも、さほど頻繁な更新ではない。
スタートしてから今までに、4回ほどの更新。ということは、週に1回程度でしかないなる。
ネットニュースの記事にもなっていたのは確かだけど、かなりマイナーなサイトだけで、それ以上の広がりはなさそうだった。
プログのコメントも、ちらほらと書かれてはいるものの、それほど大勢からの書き込みがあるわけじゃない。
全部のコメントに目を通してみても、「コスプレ頑張ってください」とか、「なかなかのクォリティーですね!」といったものだけ。
ストーカーっぽいような怪しげな書き込みなんて、ひとつも存在していなかった。
「ちょっと気にしすぎなのかな、僕は」
苦笑が漏れる。
とはいえ、スライム化した部分は、ぽよ理の素肌ということになる。
どの部位を写すかにもよるけど、裸を不特定多数の人に見られているのと同義でもあるのだ。
やはり、注意するに越したことはない。
もっとも、僕がこのブログの写真を消したりできるわけじゃない。
SNSの運営側に通報して消してもらう、なんてことも基本的には不可能だろう。
ならば、ブログをアップしている本人に消させるしかない。
ぽよ理は、スライム化していない状態でも汗などの分泌量が多く、機械類は大の苦手だったはずだ。
パソコンはすぐ壊れるから持っていないし、ケータイは防水仕様のを所持しているけど、全然使いこなせていないと言っていた。
となると、ターゲットは三七三ちゃんということになる。
実際、先日うちに来た際には、すぐに消すように言っておいた。
にもかかわらず、こうしてブログも写真も残っている。
注意した時も不満顔だったことから、三七三ちゃんは完全無理を決めこむつもりだと考えられる。
なんというか、僕は思いっきり、三七三ちゃんになめられている感じだな。
ぽよ理と一緒になって、僕を小バカにしてくることも多い。
最近はそれほど頻繁に遊びに来なくなっていたけど、小学生の頃はよくうちに居座っていたっけ。
さすがに、妹の友達の連絡先なんて、僕が知るはずもない。
だから、写真を消すようにしつこく言い続けることもできない。
かといって、コメントで消すように書いたりしたら、僕の方が怪しく思われてしまうだろう。
「ま、いいか」
僕はとりあえず、ブログのアドレスをお気に入りに登録だけしておき、パソコンの電源を落とした。
部屋から1階へ下り、ウーロン茶をコップに注いで一気に飲み干す。
喉の中を冷たい飲み物が通り過ぎていく感覚は、今日みたいに暑い日だと最高だな。
僕は暑い飲み物でも冷たい飲み物でも、基本的に自分用のマグカップを使って飲むことが多い。
白いマグカップだから、ティーバッグで紅茶を飲んでいると汚れが目立つ、というのが難点だろうか。
まぁ、ぽよ理のマグカップと比べたら、ずっとマシだと思うけど。
ぽよ理のマグカップは淡いピンク色だったはずなのに、今では完全に緑色に染まっているし……。
それにしても、まだ春だというのに、どうしてこうも暑いのか。
僕は2杯目のウーロン茶を注ぎながら考える。
暑くなってくると、ぽよ理のスライム化率もどんどん高くなってくる。
ぽよ理は自分の意志で体の一部や全部をスライム化させることができるけど、体温が上がると勝手にスライム化してしまう場合もあるらしい。
「やっぱり、大変だよな」
ぽよ理が通っている中学校は、僕の母校でもある普通の市立中学校だ。
教室に空調設備なんてない。
炎天下での体育の授業だってあるだろう。
生まれてからずっとスライム化できる体で生活してきているため、ある程度の慣れはあるという。
勝手にスライム化しそうな体温上昇の気配を感じたら、まずは必死に我慢してみる。
そうすると、大量に汗をかく程度で、緑色のゼリー状物質と化するのは防げるのだとか。
ただ、体調が悪いとか精神的に弱っているとかで万全の状態ではないと、制御が利かなくなることもある。
その時は、保健委員の三七三ちゃんが素早くぽよ理を保健室に連れていくようだ。
三七三ちゃんはぽよ理をサポートするために、毎年、保健委員に立候補していると言っていた。
大前提として、同じクラスになれなければ、サポートもできない気がするけど。
そこは大丈夫だと、三七三ちゃんは自信満々に言っていたっけな。
詳しく聞いてはいないけど、なにか裏取引でもしているのだろうか?
実際のところ、ぽよ理はある意味特殊な存在と言えるから、学校側も特例として認めているのかもしれない。
それはともかく。
僕がウーロン茶を飲みながらリビングでテレビをぼーっと見ていると。
急にキッチンの方から冷蔵庫の閉まる音が聞こえてきた。
閉まる音が聞こえたのだから、一度開いたのは間違いない。
だけど、音のした方を振り返ってみても、人影は見当たらなかった。
リビングからカウンターを通してキッチンの中が見通せる間取りになるっているため、そこに誰か立っていればわかるはずなのに。
僕が冷蔵庫を閉め忘れただけとか、冷蔵庫を開けた誰かが取り出した物を落としてしゃがんでいるといった可能性もあるけど。
それらを排除すれば、考えられるパターンは、うちに限って言えばあと2つしかない。
おばあちゃんか、ぽよ理。どちらかがスライム化した状態で冷蔵庫を開けた場合だ。
ウーロン茶を飲み終えたコップを持って、僕はキッチンに向かう。
そこには、案の定、スライムがいた。
全身スライム化した、でろでろぐちょぐちょの状態。
重力の影響で自然と潰れるため、カウンターの高さよりも低くなってしまうのだ。
そのぐちょぐちょの物体は、手のように伸ばした部分で器用にコーヒー牛乳の瓶を持っている。
スライム化していると、ぱっと見、ぽよ理もおばあちゃんも、同じように見える。
でも、なんとなくわかる。これはぽよ理だと。
「お風呂、上がったのか、ぽよ理」
「ん。いいお湯だった。とろけてスライム化するくらい」
ぽよ理はコーヒー牛乳のフタを外すと、腰に手を当てているような雰囲気で飲み始めた。
(スライム形態だから、あくまでそんな風に見えるというだけではあるけど、おそらく正しいだろう)
僕は思わず見入ってしまう。スライム化した状態だと、ぽよ理の体は半透明の緑色だから。
口(と思しき部分)から吸い込まれたコーヒー牛乳は、喉を通って胃まで流れていくわけだけど。
その様子が、しっかりと視認できてしまうのだ。
「なるほど、ここらへんに胃があるんだな」
ついつい、じーっと見つめてしまっていた僕は、
「なに妹の体を見て興奮してるのよ。いやらしい」
と、いまいち感情のこもっていない声で注意される結果となる。
「いやいや、興奮なんてしないし」
スライム形態の体を見たって、興奮するはずもない。
それ以前に、たとえ人間の姿だったとしても、妹の体を見たところで何も感じはしない。
「ま、どうでもいいけど」
「どうでもいいのかよ」
まぁ、下着姿を見られて平気そうだったのだから、スライム形態を見られたところで気にも留めないのだろう。
そう考えていた僕のすぐ目の前で、半透明の緑色だったぽよ理の体が、徐々に色を変えていく。
同時に、胃の中に溜まっていたコーヒー牛乳なんかも見えなくなっていった。
う~ん。ある意味、人体の神秘だよな~。半分スライムだけど。
「…………おにーちゃん、ほんとにエッチ?」
「え?」
気づけば、目の前の妹は一糸まとわぬ姿になっていた。
しかも、スライム形態ではなく、普通の人間の姿で……。
どうやら、冷たいコーヒー牛乳を飲んだことで体温が下がり、スライム化が解けてしまったようだ。
「あっ、ごめん!」
慌てて後ろを向く。
凝視していたのが胃だったから、まだよかったかもしれない。
もし別の、もっと大事な場所のある辺りを凝視していたら……。
「いくら凹凸の極端に少ない体のぽよ理でも、さすがに恥ずかしく思うよね」
「おにーちゃん、失礼すぎ」
頭で考えただけだったはずなのに、知らずに言葉が出ていて、ぽよ理は不機嫌想な顔を見せる。
「ほんと、デリカシーないんだから。とりあえず、パジャマ着てくる」
「お……おう。いってらっしゃい」
脱衣所へと戻っていくぽよ理を、僕は言葉だけで見送る。
…………。
スライム形態だったとはいえ、お風呂上がりで裸のままうろうろしていたお前に言われたくない。
とは、さすがに言い返せなかった。
それから数分後。
「泉流、お風呂あいたみたいだから、入っちゃいなさい」
お母さんからそう言われ、僕はお風呂場へと向かう。
そこに広がっていた光景は――。
「粘液だらけ……」
脱衣所はそうでもなかったけど、温度の高いお風呂場の中は、ぽよ理の粘液がそこかしこに飛び散り、こびり付いている状態だった。
とくに、湯船の中は凄まじいことに……。
「さてと。まずは掃除からだな」
僕は気合いを入れ、妹の健康の象徴である濃い深緑色をしたゲル状の塊を、鼻歌まじりで洗い流すのだった。