第1話 妹はスライム
野々崎泉流、高校一年生。
僕には妹がいる。
でもあいつは、ちょっと変わった特技を持っていたりする。
……特技?
いや、違うな。
きっと、性質とかって呼ぶべきなんだと思う。
自室から1階へ下り、冷蔵庫から2リットル入りペットボトルのお茶を取り出し、コップに注ぐ。
それを喉に一気に流し込み、清涼感を味わっているところで、お母さんから声をかけられた。
「泉流くん。これ、ぽよ理ちゃんの部屋に持っていってあげて」
渡されたトレイの上には、ショートケーキの乗ったお皿と紅茶の入ったカップが2セット。
ぽよ理――妹の分と、僕の分ってことか。
と思ったのだけど。
「お友達が遊びに来てるのよ。お願いね」
「そっか。うん、わかった」
……とすると。
「ねぇ、お母さん。僕の分は?」
「え? ないわよ? ぽよ理ちゃんのお友達の分、出さないわけにはいかないでしょ?
だから、泉流くんのケーキをあげることにしたの。ごめんなさいね」
うぐぐ。
ぽよ理の友達、許すまじ!
……なんてことは考えないのだ。
なんたって僕は、妹思いのとてもいい兄を演じているのだから。
べつに演技ってわけではない。
妹のことを大切に思っているのは本当のことだけど。
いい兄にならないと。たとえどんなにムカついたとしても。
そんな風に誓ったのは、これまでで最大の兄妹喧嘩をしたあとのことだったっけな。
ま、そんな昔の話は置いといて。
今はケーキを持って行ってあげないと。
ぽよ理が目を輝かせて喜ぶ顔を想像しながら、僕は階段を上っていく。
階段を上り切ると廊下になっていて、手前の左右と突き当りの左右にドアがついている。
手前の左側が両親の部屋、右側がおばあちゃんの部屋。
そして、突き当りの左側が妹の部屋、右側が僕の部屋となっている。
僕は両手で持っていたトレイを片手持ちに切り替え、妹の部屋のドアを開けた。
「ぽよ理~。ケーキと紅茶を持ってきたぞ~。…………っ!?」
視線をドアノブから妹の部屋の中へと移すと、そこには――。
「……おにーちゃんのエッチ」
下着姿で立ち尽くす妹と、その目の前でデジカメを構えている妹の友達の姿があった。
「ちょちょちょ、ちょっと、お前たち、ななななにやってんだよ!?」
危うくケーキと紅茶をぶちまけそうになりつつ、どうにかこうにかバランスを保ち、ドアを閉めてトレイを床に置いたあと。
僕はドア越しに妹に声をかけた。
我ながら、焦り過ぎだとは思うけど。
「おにーちゃん、焦り過ぎ」
妹からもしっかりと指摘されてしまった。
というか、お前は落ち着きすぎだろ、ぽよ理。
しばらくして、妹から声がかかる。
「もう入ってきていいよ」
僕は再びトレイを持ち、妹の部屋へと入る。
と同時に、またしてもトレイをぶちまけそうになる。
「……って、なんでまだ下着姿のままなんだよ!?」
「ん。考えてみたら、おにーちゃん相手じゃ恥ずかしくもないし、べつにいいかと思って」
「いや、そこは恥ずかしがってよ!」
こっちの方が恥ずかしいっての。
とりあえず、上着だけは羽織ってもらい、僕はテーブルの上にトレイを置く。
「ほら、おやつ持ってきたぞ」
「ん。ありがと」
言葉だけを聞いていると、さほど嬉しそうにも思えないかもしれないけど。
これでもぽよ理は、ものすごく喜んでいると、長年兄妹をやっている僕にはわかる。
瞳がキラキラ輝いているのがその証拠だ。
「お兄さん、ありがとう! ウチ、ショートケーキ、大好きなんよ~!」
ぽよ理とは対照的に、妹の友達は満面の笑みを向けてくれた。
「喜んでもらえたみたいで、よかったよ」
本当は僕の分なんだけどね。
一瞬頭をよぎった事実は振り払っておく。
「遊びに来てたのは、三七三ちゃんだったんだね」
「うん! ウチら、親友だもん! ね~!」
「ん」
三七三ちゃんから同意を求められたぽよ理は、言葉少なに(というかたった1文字だけで)応える。
でも、そのやり取りだけでも仲のよさが伝わってくる、そんな感じだった。
九十九里浜三七三。
妹と同じく中学二年生で、ぽよ理のクラスメイトだ。
小学校の頃からの友人なので、何度もうちに遊びに来ている。
だからこそ僕とも顔見知りで、一応年上であるにも関わらず、ため口だったりするのだけど。
というか、お母さんだって知ってるんだから、最初から「友達」じゃなくて「三七三ちゃん」って言ってくれればよかったのに。
そうすれば、あそこまで焦るような事態には陥らず済んだだろうし。
……いや、そうでもないか。まさか妹が下着姿だとは、さすがに思わないもんな……。
「それで? 今日はまた撮影会なの?」
「うん、そうなんよ~! ぽよ理っちの魅力を余すことなくフレームに収めることこそ、ウチの生きがいだから!」
デジカメを片手に力説してくる三七三ちゃん。
ぽよ理ほどではないにしても、この子もかなり変わっていると言わざるを得ない。
ま、べつに構わないだろう。女の子同士で写真を撮り合って楽しんでいるだけなのだから。
実際には、撮り合っているというより、一方的にぽよ理が撮られているだけっぽいけど。
「写真、ちょっと見せてもらっていいかな?」
「おにーちゃんのエッチ」「お兄さんのエッチ」
声を揃えてジト目を向けられた。
下着姿で撮影会をやっていたのだから、そう言われても仕方がない状況、と思われるかもしれない。
だけど、僕にはそういった変な意図はまったくなかった。
「撮ってたのって、いつもと同じじゃないの? それとも本当に下着とか裸とかで撮ってたとか?」
「ううん、いつもどおり」
ぽよ理がそう答えたので、安心してデジカメのデータを確認してみる。
――緑。
そう。そこに写っているのは、全体的に緑色の成分が多い写真ばっかりだった。
「今日もいい感じの色つやだね。健康状態は問題なさそうだ」
「うん。至って健康体」
「ぽよ理っちの体って、最高だよね~! とっても興奮するんよ~! はぁ、はぁ……」
三七三ちゃんの発言はスルーしておく。
妹の親友として考えると、あまりにも変態的すぎる気はするけど。
冗談まじりだと思っておこう。
それはそれとして。
緑色の写真。
もちろん、木々や草、葉っぱなどを撮影したものではない。
これらは全部、ついさっきから、ここ、ぽよ理の部屋で撮影していた写真なのだから。
僕の妹――ぽよ理はスライムなのだ。
正確に言えば、隔世遺伝でスライムの性質が現れてしまった、と表現するべきだろうか。
本来の姿がスライムで人間の姿に化けている、というわけではなく、スライム形態にもなることができる人間、と言える。
緑色が濃ければ濃いほど、そしてツヤがあればあるほど、健康だということを表しているのだとか。
なお、全身をスライム化するだけじゃなくて、一部だけスライム化することも可能。
手のひらだけスライム化して僕の背中に手を突っ込んでくるのが、ここ最近のぽよ理のマイブームらしい。
(これは正直、やめてもらいたいのだけど)
そんな、スライム化できる妹、ぽよ理。
彼女はそれを、まったく隠そうともしていない。
実際、わかった上でも親友でいてくれている三七三ちゃんのような例もあるわけだし、隠さなくてもいいのかもしれない。
とはいえ、まだ中学生の多感な時期。いじめられる原因となりそうなことは、極力排除しておくべきだろう。
スライムであることは事実だから、排除することなど不可能。
だったら、なるべく隠すべきだ。僕としてはそう考えている。
それなのに、ぽよ理ときたら、
「だって、私はスライムだし。これが私だし。嘘は嫌いだし」
と、ズバッと言ってのける始末。
清々しいくらいの潔さは、我が妹ながら、あっぱれ。
という思いもあるにはある。
それでも、やっぱり心配なのだ。僕にとって大切な、たったひとりの妹なのだから。
ごちゃごちゃ言うと機嫌を損ねてしまうかもしれないし、あまり強く注意したりはしない方がいいとは思うけど……。
「それにしても、三七三ちゃんはほんとに、ぽよ理のことが好きなんだね」
「当たり前なんよ~! だって可愛いもん!」
「ん。私は可愛い」
「自分で言うなよ」
苦笑が漏れる。
でも――。
「まぁ、お互いの写真の撮って見せ合ってるだけなら、問題はないけどな」
ふとこぼしたこの言葉から、衝撃の事実が発覚する。
「え? みんなにもぽよ理っちの可愛さを知ってもらうために、SNSで拡散させてるに決まってるんよ~!」
な……なんだって~~~~!?
「ぽよ理っち、大人気なんよ~? もちろん、顔は出してないし、本名も伏せてるけど~!」
「ん。私、大人気」
詳しく聴いてみると、1ヶ月くらい前から何度も写真をアップしていたらしい。
「『神! スライムコスの少女!』って、ネットニュースで話題になったりもしたんよ~!」
「ん。私、ニュースになった」
「ニュースになった、じゃな~~~い! そんなの、早く消しなさい!」
「え~? みんなが新作の写真を待ってるんよ~?
コスプレだと思われてはいるけど、期待を裏切るわけには……」
「ん。私は期待の星。期待のスライム」
「ダメだダメだダメだ! 今後いっさい、写真をアップするのは禁止~!」
『ええ~~~~~っ!?』
「ユニゾンで不満を唱えたって、ダメなものはダメだよ!」
いくら顔も名前も書いてなくたって、写真の中のほんの些細な映り込みから本人の個人情報が特定されて、大変なことになる事例だってないわけじゃないんだから。
一度ネットに出てしまっている以上、大元の画像を削除したところで、拡散された画像までは削除できないから、不安は残るところだけど……。
我が妹ながら、危機意識がなさすぎる。
僕はもっとしっかりと、妹を教育する必要があるのかもしれないな。
たった2歳だけではあるけど、一応人生の先輩である兄として。
「まったく、あいつらは……もぐもぐ」
自室に戻った僕は、罰として没収してきた2つのケーキを食べながら、今後の妹の教育方針を考えるのだった。