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ep.00

「いつか俺はビッグになる」。

嘗て十分に一回は耳にしていた勇人の口癖を聞かなくなって、早くも三年が過ぎようとしていた。




クリスマスに彩られた街角、暖かな色味のイルミネーションにほんのりと照らされる行き交う人の群れ。

疲れた顔のサラリーマン、疲れた顔のOL、疲れた顔の社会人たちに混じって、浮かれた顔のカップルが仲睦まじく腕を組んで歩いているのが心の底から呪わしく、幸恵はありったけの怨嗟を込めた溜息を吐いた。


「横山さん、クリスマス有休取らないでいいの?」

同じ部署の先輩社員の気遣わしげな問いかけを思い出す。

当たり前じゃない、今は日照りなのよ…――言葉を飲み込んで返した言葉はきちんと感じよく、穏やかに、そして楽しそうに聞こえただろうか。

何を言ったかはどうしても思い出せない。


「ただいま」


茶色く塗られたドアを開けると、勇人がテレビゲームをしていた。

おかえり、の言葉は無く、相も変わらず死んだ魚のような濁った瞳で煌々と明るい液晶を見つめながら、ひたすらに画面の向こうの兵士を撃ち殺している。

習慣で流し台に目を遣れば、やはり食べ終わったカップ麺のゴミがひとつ鎮座していた。


「今日は練習はしたの?」

返事がない、していないのだろう。

「バンドの仲間とは仲直りできた?」

返事がない、できていないのだろう。


バンドマン?ベーシスト?やめときなって。

勇人と付き合い始めたころ、誰もが幸恵を制止しようとした。

大丈夫よ!彼、美容師の仕事もしてるし、ちゃんと収入はあるもの…――その言葉は二ヵ月で塗り替えられた。

大丈夫よ、彼、バーテンダーの仕事もしてるし、活動費から生活費、貯金まできちんと確保してるんだもの!


「仕事、探せば?」

返事が無い上に、鋭い視線が飛んできて、その次にマグカップが飛んできた。

思いの外大きな音がした。

背後の壁にぶつかって、キャラクターの顔面が粉々に砕ける。

「…ごめん」

何故私が謝らなければならないのだ、喉の奥に焼け付くように熱い感情が込み上げてきて、それでも出てくるのは細い謝罪の声だ。


「飯、まだ?」

勇人がようやく口をきいた。

「今作るね、今夜は豚汁と鯵の干物、ほうれんそうのお浸しよ」


こんな生活、もう嫌だ。

胸の奥がひりひりとした痛みを訴える。


知ってる。

こんなのは彼氏でも何でもない、ただのヒモだ。

知ってる。

勇人には若くて可愛い、女子高生の浮気相手…否、『彼女』がいる。

知ってる。

私は、勇人にとってはただの財布でしかないのだ。


二十五の時に付き合い始めた、もう私も今年で三十二だ。

そろそろいい加減見切りをつけるべきなのかもわからないが……勇人への愛ではなく、執着がそれを許さない。

どろりとして薄汚れたこの感情はもう愛とは呼べない。




食事は味気なく淡々と過ぎた。

昨日買ってきた鯵の干物の顔が何処と無く勇人に似ている気がして、幸恵が腹立たしげに鼻を鳴らした以外の言葉もない、否、それも言葉ではない。


「嫌になっちゃった」

食器を洗いながら、ぽつりと幸恵が漏らした。

勇人は聞こえてか聞こえないでか、やはり返事を返さずに兵士を撃ち殺し続けていたが…--




『力が欲しいか?』


唐突に響いた声に、幸恵は殴られたような衝撃を受けた。

挙動不審な動きで勇人を見れば、そこには誰もおらずただコントローラーが浮遊し、ひたすら画面の向こうの兵士は血を噴いて死んで行く。


「ひ、」

洗い途中のフライパンを取り落とせばシンクに落ちるが、衝突音がしない。

そういえばテレビから聞こえるはずの安普請な銃声も聞こえずただただ静寂に包まれる中、幸恵の短い悲鳴だけが妙な反響を持つ。


『力が欲しいか』


男の声だ。

年齢の伺い知れない中低音が穏やかに静寂の中を這う。


『……あ、あー』

予想だにしない事態に沈黙を余儀無くされる幸恵の反応が返ってこないことに、男の声が困惑の色を帯びた。

『テス、テス…聞こえてるか?うん、聞こえてるはず。聞こえてたら返事が欲しい。オーバー』


「き、聞こえてます…オーバー」


--無線!?

戸惑いを隠しきれない幸恵が返すと、

『力が欲しいかと聞いている。オーバー』

「ちか、力とは…何でしょうか……オーバー」

姿の見えない男は、何事もなかったかのように会話を進めて行った。


『お前が望む力ならなんでも。虐殺の能力でも、死者を使役する能力でも。不老不死も叶えよう。オーバー』

「でもお高いんでしょう?オーバー」

『いや、お前は魔界ジャンボ宝くじの当選者なのでその代金がまるっと当てられる、お前が失うものは何も無い。ただひとつ、望んだ力が手に入るだけだ。オーバー』

「胡散臭いんですが…オーバー」

『無理も無いが、取り敢えず口にしてみたらどうだ、お前の願いを。オーバー』


淡々と進められる会話を途切れさせ、幸恵は顔を伏せて考え込んだ。


私は、幸せになりたい。

幸せになるだけの力が欲しい。

勇人が私を愛してくれるだけの力が、欲しい。


「若さが欲しい。オーバー」


地獄の底から這い出るような声音が、喉の奥からずるりと男の声に這い寄った。

『ひ、』

今度は声だけの男が引きつったような悲鳴をあげる番だ。


「女の力とは何だ?常に私は考えてきたの。美しい顔?艶かしい肢体?違う。そう、若さよ!!見てみなさいよあの女子高生の弾けるようなパワーを!!あいつら恥も外聞も無く若さだけを武器に社会にのさばってるわ!!夜のファーストフード店で屯して集団でメイクに精を出す様子の醜いこと!!!それでも!!世間は!!女子高生を評価する!!つまりは力だ、求心力だ、権力よ、若さとは権力よ!!!わかる?私にはもうない力よ!!私は若さを渇望する!!!お前にわかるか?女子高生を崇める貴様ら男にわかるか?この無力な三十路の願いがわかるか?!--私は、女子高生に、なりたい!!」


息継ぎも挟まずに演説をぶちまける幸恵に気圧されるように男の声が蚊の鳴くような声で返した『ハイ』という返事と、


「オーバー」


妙な満足感に満ちた幸恵の声が重なった。




狭いアパートが眩い閃光に包まれた。



筆者は現在二十五歳ですが、アラサーの冠は私にはあまりにも重いです。


週一回以上の更新を目標にちまちま頑張りたいと思います。


私なら痩せやすい体という力が欲しい。オーバー

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