生きている風
駅を歩いている時の事だ。ホームへと上がる階段の前で、弱々しく小さな渦を巻くつむじ風を見つけた。埃の塊を、クルクルと回している。まるで飢えて彷徨っているように思えたものだから、僕はなんとなくライターに火を灯して、炙るようにしてみた。
風のエネルギーと言えば、熱だろう。だから、もし仮にこいつが生きているのだとすれば、熱を食べるとそう思ったんだ。……もう少し詳しく説明しようか。
風の流れが曲がると、内と外とで風の速度が変わる。すると、ベルヌーイの法則で圧力差が生まれて、その圧力が更に風を曲げる。この繰り返しが起こって、風の曲がりと圧力との間に正のフィードバックが働けば、風の流れはやがて一回転してつむじ風のようなものが生まれるのだ。地球規模でこれが起これば台風だし、竜巻にだってこれが関係している(二つとも、これだけが要因って訳じゃないけど)。もし、この風の回転自体に、何らかの生命のような性質があって、自らを維持し続けようとするのなら、そして今見ている目の前のそれが、当にそういうものだとしたなら、風の流れというのは、温度差によって生まれるものだから、熱エネルギーを食うのじゃないかと、ま、そんな想像を僕はした訳だ。
ほんの冗談というか、軽い酔狂のつもりだった。でも、なんと驚いた事に、そのつむじ風はライターの火を受けて、元気を取り戻してしまったのだった。しかも、驚いた事に、そのつむじ風は、どうやら僕に懐いてしまったようなのだ。
恐らく、周囲の人達からは分からないだろう。僕の身体の周囲を風が巡っている。クルクルと回転しながら。これではもうつむじ風とは言えないかもしれないけど、仮に僕はそいつをつむじ風と呼ぶことにした。特に良い名が思い浮かばなかったんだ。
人間の体温くらいじゃ、それほど強い風にはならないみたいだけど、安定して得られる熱というのは重要なのかもしれない。つむじ風は、ずっと僕の身体に取り憑いていた。困ったもんだと思ってはいたのだけど、良い点もある。涼しいんだ、こいつ。季節が夏だって事もあるけど、ありがたかった。お蔭でエアコンも扇風機も必要ない。何の問題もなく節電ができる。これは、ある意味では共生と言えるかもしれない。
……もっとも、夏が過ぎたら、少しやばい。身体を冷やされれば、絶対に体調を崩す。
ただ、だからと言って、どうやって追い払えば良いのか分からない。体温が下がらなくちゃ離れそうにないけど、死にでもしなくちゃ、体温は下がらないだろう。仕方がないので、気にせず、そのまま生活をした。仕事をして、家に帰って、寝る。そうやって一緒に居続けると、少なからず愛着も覚え始めた。よく観察すると(いや、見えやしないのだけど)、癖のようなものもあって、白熱電球なんかを点けると、喜んでその熱を食べているようだった。何が違うのかは分からないけど、美味しいらしい。だけど、八月が過ぎて九月になると、やはり心配が的中した。身体が冷やされ過ぎて、僕は体調を崩してしまったんだ。
仕事を休んで三日ばかり。そろそろ、無理にでも出勤しないとまずいという頃合いになった。しかも、ニュースでは台風が日本を直撃すると言っている。具合が悪いのに、雨風の中、仕事に行くのは流石に辛い。つむじ風の奴は、僕が苦しんでいるのを知ってか知らずか、熱で上がった僕の体温に喜んでいるようだった。嬉しそうに、クルクルと回ったりなんかして。
いい気なもんだ。
僕はそう思った。それで、無意味だとは思いながらも、つい愚痴を言ってしまったのだった。
「お前は、僕がどれだけ苦しんでいるのか分かっているのか? もし、分かっているのなら、何とか台風を逸らしてくれ。これまでずっと僕の体温を食い続けてきたんだから、それくらいのお礼はしろよ」
気の所為か、つむじ風はそれにわずかばかり反応したような気がした。
――朝になって驚いた。台風が直撃するはずだったのに、何故か窓から光が差し込んでいたんだ。テレビを点けると、奇跡的に台風が太平洋側に大きく逸れたと言っていた。
「深刻な被害が予想されていた訳ですが、何とか回避された模様です。お蔭で、数多くの人命が救われたはずです」
アナウンサーらしき人がそう続ける。そしてその後で僕は気が付いたんだ。
つむじ風がいない。
僕の身体の周りを、常に巡っていたあのつむじ風がいなくなっていたのだ。僕はまさかと思った。
あいつが、台風を逸らしてくれたのか?
もし本当にそうなら、あのつむじ風は人知れずたくさんの人を救った事になる。
家を出て、強い日差しを浴びる。しばらくぶりに暑いと感じる。少しだけ、それを寂しいと僕は思ってしまった。そして、続けてこう思ったんだ。確かにお前は困った奴だったけど、そんなに嫌いって訳でもなかったんだ。もしも、まだ生きているのなら、また僕の身体に戻って来てくれないか…
ま、
……できれば、夏限定で。