白い思いに、一粒を。
さっきよりもいっそう大きく響いた鏡が割れるような音が、病院の形をしていたその場所をなにも無い…真っ白な空間へと一瞬で書き換えた。
「……」
今、この場所には私1人だけ。
マナトもアルトさんもいないし、ミキやエルさんの声も響かない。
「真っ白…か」
もう、この場所が病院に縛られる事はない。
でも、全てなくすんじゃ…駄目なんですよね。
「もう1回、作り直さなきゃですね」
今度はあの世界の思いも、この世界の思いも重ね合わせて…きっとそれが……限りなく私に近い筈だから。
「凄い空間になりそうです、お母さん」
ちょっと困ったような呆れるような…それでいて綺麗な笑顔を私は浮かべてた
※
「……」
見慣れ……た天井。
というかフローリア家の私の部屋でした。数秒ほど呆けた後、自分がベッドで寝ていたと言う事を理解した。
今は何時でしょう…鳥の鳴き声やフレアさんの泣き声が聞こえない辺り、多分まだ真夜中…なのかな?
そう考えながら、私は重い体を何とか起こして起き上がる。
「…ふぅ…結構あちこち痛いけど…私どれくらい寝続け――ひゃぁあああ!?」
ア、アルトさんがなぜこちらに!?
こちらとはどちらかって?!私の膝の上で寝てましたよ!!
…お、落ち着け私。れ、冷静になろ…なろうじゃないか。えっと、状況的には私は部屋のベッドで寝てた。多分誰かが運んでくれたんだよね、これは。それで、私はの膝の辺りにはベッドの側にある椅子に座りつつもベッドに倒れ込むように寝てしまったアルトさんが1人……
あ、繋がりました。はい、分かりましたよこれは。つまりは――
「アルトさんが…運んでくれて、そのまま寝てしまった…と考えるのが妥当ですかね」
……運んでいただいたにも関わらず激しく絶叫してしまいました。恥ずかし!アルトさんが寝てるからいいけど、あの絶叫でアルトさんが起きてたらと思うと死ぬほど恥ずかしいです!夜分遅くに近所迷惑でした!すいません!!
「……はぁ…寝よ…」
脳内でわちゃわちゃしてたらドッと疲れてきました……いや、それ以前にだいぶ疲労が溜まってたっぽい感じもします…私が気絶してる間はどうやらマナトが出てたみたいだし……その辺も含めもうくたくたです。睡眠時間が絶対的に足りてません、不足ってます。
私はもう一度だけ溜め息をついた後、アルトさんに毛布を掛け、ベッドの側に置いてあったランタンだけつけっぱなしだったので、それを消して、布団にくるまり静かにベッドに潜り込んだ。
あー…明日は沢山怒られるんだっけ……覚悟…しなきゃ駄目ですかね……はぁ…
数分横になっている内に、うとうとと戻って来た睡魔に素直にまどろんだ……ら。
「っ!?」
「……?」
「えっ…と……ア、アルト…さん?」
バサッという毛布が落ちる音と、突如体にかかった重さに思わずまどろんでいた目もはっきりと冴えてしまった。
しばらくして暗闇になれたその目が捉えたのは……何故かベッドの上で寝転ぶ私の目の前にいるアルトさんでした。
……うん、なんでいるのかなこの人?さっきまで椅子に座って寝てた筈なのになんでいきなり私の隣りで寝てるんですかね?
「……ま…さか…」
「……すぅ」
(あ゛ぁああああ!?寝ぼけやがりましたよこの人ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!)
違いますよアルトさん!ここはアルトさんの部屋じゃないです!ベッドじゃないです!た、確かに2人くらいは余裕で眠れるくらいの広さはありますが!……はっ!?待てよ!確かこんな状況前にも!!
「とにかく逃げっ――!ひゃあぁ!」
「…ん」
「…………………」
……私の…お腹の辺りに謎の…ホールド感…………
(捕まったぁああああああああああぁああああああああああ!?)
分かってた!分かってましたよこんちくしょう!!激しくデジャヴってたのに!逃げ遅れただけで最悪の事態になりましたよ!しかも相変わらずガッチリホールド……っ!?く、くすぐったい!くすぐったいです!
は、はーなーしーてーくーだーさーいぃいいいい!!
ガチャ
「がちゃ?」
「おい、お前になんかあったって聞い……」
「……………………」
「……………………」
「……へ…へるぷ…」
「な、何やってんだお前らぁあああああああああああ!!」
「大声出さない出くださいバカユウゥウウウウウウウ!!」
最悪の目覚めですよこんちくしょう!!
※
「…………」
「アルトさん」
「……ハイ」
「反省は?」
「しています」
「後悔は?」
「突き刺さってます」
「何か言うことは?」
「本当に申し訳なかった」
「…………はぁ、わかりました。もう怒ってません」
「す、すまない……」
「あ、正座はまだといちゃダメデスヨ☆」
「……」
怒ってませんよ、これっぽっちも1ミリだって怒ってませんとも、えぇ。
「おい」
「はい?なんですかユウ?」
「な・ん・で俺まで正座なんだよ!」
「土下座じゃないだけマシじゃないですか」
「ふざけんな!」
「だいたいノックもせずに入ってきた挙げ句大声出したのは誰ですか」
「……そ、そもそも責任は全部こいつだろ!」
「原因はアルトさんでも責任はアルトさんだけじゃないでしょう。それに……」
そのそもそもの原因であるアルトさんが既に土下座までいった後ですし。
まぁ、前回の反省を一切踏まえられて無いのは問題ですが……アルトさんが疲れて私を運んだまま寝てしまったのは、私に原因があるので今回ばかりは責め立てられません……
え?十分責め立ててる?いやいや、こんなの全然責めるの内に入りませんよ、私の羞恥心に比べたら。
「ま、とにもかくにもこれ以上は怒りませんから。正座ももう崩していいですよ、特にアルトさん」
「あ、あぁ……」
「はぁ…なんでこんな目に……」
ユウの反省が若干浅い気がしますがまぁ、今回は良しとしましょう。
…………そういえば、今までのユウの行動にちょっと気になる事があります。
「ユウ、ちょっと2つほど質問してもいいですか?」
「あ?」
「ユウって…アルトさんと知り合いなんですか?」
「お前俺の事知った上で言ってんのか」
「いや、ユウがぼっちって言うのは百も承知なんだけど」
「シバくぞてめぇ!」
「えっと……リリアは何が言いたいんだ?」
「いや、どうも腑に落ちないと言うか…不思議と言うか……ユウは知っているものだと思っていたので」
「何をだよ?」
「アルトさんが王宮騎士団長だって事をです」
「はっ?」
「あぁ」
「はぁあああああああああああああぁああああああああ!?」
あ、本当に知らなかったんだ……
ユウは王宮騎士団に憧れてたらしいからてっきり団長であるアルトさんの事は知ってると思ってたんだけど、ユウのアルトさんに対する態度がいつもと変わらないどころか寧ろ悪くなってたからもしやと思えば……
「これが!?王宮!騎士団長!?」
「これ……」
「いや、いくらなんでもその驚き方はどうなんですか……」
「お前な!だってあれだぞ!王宮騎士団長つったらあの有名な――」
「あああぁああああああああああああ!?」
ガバッと、突然叫んだアルトさんの両手が私の両耳を押さえつけた。
叫び声と耳をふさがれた事で、ユウの言葉はそれ以上聞き取れなかった。
「はぁ…はぁ…」
「ア、アルトさん…大丈夫ですか?」
「聞いてないよね…?」
「も、もちろんです!全く、少しも、聞いてません!問題なしです!」
「よかった……」
「おい、いい加減離れろ」
キッと睨んだユウの視線と言葉で、ようやく私とアルトさんがかなり近い位置にいる事に気づきました。と言ううかアルトさんと私の身長差で、耳を塞ごうとすればどうしても抱きついているみたいに見えなくもない…のかな?
いや、本当に抱きついている訳ではないので私的には別に問題ないんですけどね、アルトさんですし。
それはアルトさんも同じようで直ぐに手は離しましたが距離については気にはしていなかったようです。でも、とりあえずユウの言うとおり一旦私から離れました。しかし…ユウが以前の吊り目さんのごとく異様なまでに睨みつけてくるのはなんなんですか……
「えっと…とりあえずユウ。なんかアルトさんの精神面的にその話はアウトっぽいのでもう1つの質問してもいいですか?」
「……チッ」
すっごいナチュラルに舌打ちしやがった……
「まぁ、とりあえず後回しにはしてやるよ。で、もう1つはなんだよ?」
「あー…いや。さっき私になんかあるって聞いたから来たって言ってましたけど……誰に聞いて来たんですか?」
「あぁ…それなら――」
あの銀髪の騎士団員だ……そう答えたユウ以外。あの人の底知れなさに呆れるような、少し…怖いような感覚を感じた。
※
2人っきり…だ。
ユウと私。この広い部屋に、音のない夜に、少し冷たい空気の中に。
私達は…しばらくずっと黙っていた。
アルトさんがエルさんに話があると出て行ったのは数分前。
ただ、こんな夜に私達を2人っきりで残していったのはアルトさんも理解した上での事なんでしょう。私は意識が無かったので、どこまで知られているのかは分かりませんが…少なくとも、アルトさんが気を使うほどには知られているみたいです。
長い、長い沈黙を先に断ち切ったのはユウでした。
「おい、リリア…顔かせ」
「……は?」
断ち切った言葉は完全にカツアゲのセリフでした。
「…………えーと…こ、これ以上私から何を搾取するって言うんですか……」
「ちげーし今まで搾取した覚えもねぇよ!」
「懐中時計はカツアゲされましたけど……」
「あぁもう鬱陶しい!!」
そう声を上げると同時にユウの両手が私の両頬を包み込み、私の顔をのぞき込むような近さまで引き寄せられた。
乱暴な言葉使いとは逆に、その手の動きはびっくりするほど優しかった。
「……!」
「ちゃんと…顔がみたいだけなんだよ……」
「顔…?」
「お前…会った時からずっと顔隠してただろ」
「あ…そういえば……」
「だから…もう一度ちゃんと見せろ」
「……」
その言葉の通り、ユウはただただ私の顔を真っ直ぐに見つめていた。ユウのその言動に私は困ってしまって…何も言えなくなってしまう。
しばらくして、ユウが小さな深呼吸をし、突然私の体をぎゅっと抱きしめた。
「…好きだ」
ユウの熱が、音が…すごく…近い。
だから、ユウが震えている事には直ぐに気が付いた。
あの人は…ユウにどこまで話したんでしょう……
「……ありがとう…ございます…」
「っ…」
その言葉に、ユウの抱きしめる力が少しだけ強くなる。
少し前の私なら、受け止める事も出来なかったユウの気持ち……それは…ユウみたいに真っ直ぐに私の中に入って来る。
それが…少しだけ痛い。
「でも…私はユウに愛情を返せない……」
「……俺じゃ駄目だっつーことか…?」
「違います」
それは…違う。
「私じゃあ駄目なんです……」
「……」
「ユウは聞いたんですね…私の抱えていた問題を……」
「……いや、俺が聞いたのはそれが和らいだっつー事だけだ。それ以上は聞かなかった」
「そうですか……」
エルさんはユウに私の事を大まかに…と言うより曖昧に語ったのでしょう。
でなきゃユウが…もう一度私に愛情を伝えるはずが無い。私はユウのその言葉で倒れだのだから。
「今はユウが私を好いてくれたのは凄く…嬉しいです。こんな私でも誰かに愛してもらえたんですから。でも…私はまだ、誰かを愛せません……」
それはまだ……痛くて、怖くて、何より…私には不確かすぎた。
私はまだ…何も出来ていない。何も見つけられていない。私の思いはまだ真っ白で……ちゃんとした歪みの無い『愛情』を……
私はまだ分からない。
「だから…私はユウに何も返せないんです」
ユウの真っ直ぐな思いを……ただただ眺めるだけの私を…ユウの隣りに置く訳にはいきません。だってそれは…とても残酷な事だから……
また、しばらく無言が続いた。ユウは私を抱きしめる事は止めなかった。深夜の静寂に響く音はなく、私とユウの耳にはお互いの鼓動の音だけが響いていた。
「リリア」
「…はい」
「お前…今まで誰かを好きになった事はあるか?」
「……いえ…誰かを好きだと思った事はありますが…ユウのような恋愛として誰かを好きになった事はありません」
その誰かも…私には家族だけでした。
そんな事を思っていると、ユウはそっと私の体から離れ私と向かい合うような態勢になる。
いつも通りのあの吊り目を少しだけ赤らめながら…それでも、めったに見せない笑顔を浮かべていた。
「ならまだわっかんねーな」
「……へっ…?」
「お前はまだ誰も好きになった事はねーんだろ?」
「え…えぇ……」
なん…なんでしょうこの感じ……
突然のユウの笑顔と雰囲気に戸惑っているとユウはそもまま話を進める。
「なら俺はお前が好きになるまで頑張ればいいんだ」
「…頑張るって……わ、私ユウを好きになるどころか、誰かを好きになるかも分からないんですよ…!」
「そうだな、俺がどれだけお前を好いても、もしかしたらお前は他の奴を好きになるかもしれねぇ。まぁ、そん時はお前を……シバく」
「シバくの!?」
「たりめーだろ、こっちはぜってぇ死ぬほど辛い目見るのが分かってんだぞ?」
「う……」
確かにそう…なのかな?私にはなんとなくしか分からないけど、たぶんフレアさんにフられたミキみたいになるんだよね。そ、それは明らかに色々大変だとは分かります。
すると、ユウは座っていたベッドから離れると部屋の扉の方へ行き、ドアノブに触れながらまた笑顔を見せてくれた。
「それも含めて『頑張る』んだ。お前の事も、夢の事も。俺はまだ自分の夢もなかえてねぇからな」
「夢って…王宮騎士団の……」
「それが1番お前に近づける、同じ場所に行ける。だから待っとけ、そん時の俺は今よりぜってぇカッコ良く映るからな」
そう言ったユウは少し赤くなっていて、部屋の扉を勢いよく開けて、出て行ってしまった。
そんなユウに、届いたかは分からないけれど、誰もいなくなった部屋に私は小さく呟いた。
「ユウはもう…ちゃんと格好いい人ですよ」
何度だって立ち向かえる強さが…ユウにはあるんだから。
※
リリアの声は本当に微かだったが、ちゃんと…届いていた。
それは多分、隣りにいるこいつにも……
リリアの部屋を出た扉の側には、あの金髪の王宮騎士団長がいた。そいつの存在に一瞬戸惑ったが何故か驚きはそんなになかった。
そして何故か、俺はこいつが気に食わなかった。だから、すぐ後ろの扉の向こうの灯りが消えるのを確認してから、俺は隣りにいるそいつを睨みながら言い放っていた。
「俺はぜってぇ王宮騎士団に入る。誰にも負けたくない理由が今度は出来た」
そして直ぐに、俺はそいつの前から走っり去る。
どうしても、その言葉が抑えられねぇから言ったはいいものの、立場的に最悪の行動だっつー罪悪感と言うか、後ろめたさがあったからかもしれねぇが……言った事は後悔はしなかった。
※
そして、彼が去ったあとにはその王宮騎士団長であるアルトだけが残された。
(……思った以上に痛いものなんだな…)
そんな冷静な思考とは裏腹に、彼の顔には赤みが帯び、悔しさや愛しさが複雑に絡み合った表情をしていた。
それが、『嫉妬』と言う感情であると言うことを彼は知りはしなかった。
「俺も…負けたくないな……」
言葉にする事で、彼の思いはより、強さと鋭さを増した。
負けたくない、傷つけさせたくない…そして何より、渡したくない。
どうしようもない嫉妬や独占欲に…戸惑う彼だが、それだけは確かな思いだと理解し覚悟していた。
そこに、リリアがかかっているのなら……誰にも負けたくない。




