とある少年の過ち
家族はいなくなった。璃々愛がひとりぼっちになってしまった。
そして…彼女が残した言葉は呪いのように璃々愛を蝕んでいく。
泣いて、叫んで、後悔して、言葉にならない悲鳴を上げて……最後には絶望した。
嫌だ、嫌だった…キミにそんな顔をしてほしくない。そんな悲しい声は聞きたくない。こんな真っ黒な悲しみに溺れていてほしくない。
こんな感情を璃々愛が背負うくらいなら…溺れてしまうくらいなら……
その悲しみの海を全て僕が飲んでしまおう。
ボクの感情なんていくら失っても構わない。どうせ璃々愛を通してでしか、璃々愛がいなければ世界の温度も味も匂いも何も感じられない……そんな風に思えるくらい、ボクは璃々愛が好きなんだから。
悲しみなんて全て忘れてしまえばいい。
その時は…本気でそう信じていたんだ。
「もう…いいや……」
その言葉を聞くまでは。
なんで?璃々愛の悲しみは全部ボクにあるのに……なんでそんな顔をするの?なんで諦めてしまうの?
どうして…笑ってくれないの……?
……僕が…間違えてた……?
あぁ…僕は最大の罪を犯してしまった。知らなかったんだ、人は悲しいという感情を持たずには生きられないということを。たとえ痛みを忘れて生きていたとしても、それは…生きながらに死んでいるだけなんだと。
返さなきゃ……
この悲しみを璃々愛に返して――!
……遅すぎた、何もかも。
こんな大きすぎる悲しみを…ボクは璃々愛に返せない……
あれから璃々愛の悲しみは全てボクにたまってきたんだ。今、これほどの悲しみを全て璃々愛に返したら一体どうなる?
それこそ…今度こそ璃々愛は壊れてしまう。
それなら…少しずつでも璃々愛に……
いや、ダメだ…今の璃々愛に悲しみに対する力は無い。ほんの少しの悲しみを返そうとすれば、残りの悲しみも一気に溢れ出してしまうだけだ。
せめて…せめて、悲しみを感じている隙など無いほどの変化が璃々愛に起きれば……!
ボクじゃあ…ダメだった。
お願いだから…誰か、誰か……!
誰か…璃々愛を救って……
※
その願いが叶ったのは、それから5年後の事だった。璃々愛はこの世界にやってきた。
璃々愛は…ボクらは彼に救われたのだろう。
突然璃々愛を巻き込んで起きたそれによって、璃々愛と世界は大きく変化した。
僕は璃々愛に感情の一部を返し。そして璃々愛は自分がひとりぼっちだと言うことを、ひとりでいつづける事がどれほど悲しく辛い事なのかを思い出す事ができた。
そして何より…璃々愛はようやく涙を流す事ができた。
長い間流れる事のなかった涙をこの世界に来て、彼に…この人に会って……
「君には感謝をひとつしなくてはならない。ボクが奪ってしまった璃々愛の涙を取り戻してくれて…ありがとう」
「いや…そんな風に感謝をされるほど大した事はできていなかったと思うんだが……」
「やれやれ、素直に受け取っておけばいーのに」
「あぁ、君にとっては大した事ではなくても、璃々愛には大きな事だったんだよ。それに……」
それに…君の優しさは、璃々愛を包み込む……その言葉はそっと喉の奥に押しとどめた。
ボクにだって…璃々愛を独り占めしていたい感情くらいは残っているんだ。
「……ここからが本題」
そう、これはあくまで昨日までの事に過ぎない。
ボクは取り返しのつかないほどの間違いを犯してしまったけれど、彼のおかげで璃々愛の悲しいと言う感情の一部を返す事はできた。
璃々愛が悲しいと思えるようになった。
悲しみに対する力も少しずつより強くなっていった。
母親の死を悲しいと思いながらも前向きに生きていてくれた。
だから…あとは少しずつ少しずつ璃々愛にたまった感情を返せば全てが終わるはずだったんだ。
でも……
「ユウ…彼が璃々愛に愛情を向けてしまったんだ。それも…それを言葉にして」
「……っ!」
すると、その言葉に彼は思わず顔をそむけた。
まぁ…分からなくもない。少なくともボクは彼が持っている感情に気づいてる。彼もまた、その一人だと言うことを知っている。
けれど…これが真実で、そして…現実だ。
「璃々愛が倒れた原因は…それだよ」
愛情……
それも…愛情の最大の形である、恋愛感情だ。
「愛情は…璃々愛の傷を開いてしまう、鍵なんだ」
「鍵……」
「ボクは最初、璃々愛から悲しみを無くすために母親が死んだ時の『記憶』を全て消そうとした。でも…人っていうのはなかなか完全に忘れるとことは出来ないらしいんだ。だから、ボクは璃々愛から母親が死んだ時の『感情』奪ったんだよ」
「……」
「それが…さっき言ってた『悲しみを奪った』って奴?」
「そう。そしてその感情は璃々愛に返したしほんの一部以外はまだボクの中にたまってたんだ」
時間をかけて、璃々愛に返す為に……
「でも、『愛情』はその奪った……というより、忘れさせていた感情を思い出させてしまう」
「……それが…引っかかる。なぜそれを思い出させる鍵が愛情なんだ?」
「それは……」
「それが、リリアちゃんが無くしたものだからでしょ?」
……!
あぁ、そうだ。彼もまた、璃々愛の傍にいた人間なんだ……
「俺にはなんとなくわかるかな。ずーと肌身離さず持ってた大事な物が突然無くなっちゃったとしてさ、それがある日いきなり誰かから全く同じ物をもらったりしたら……無くした物を思い出さずにはいられないでさょ?」
「じゃあ…つまり……」
「そんな遠まわしな言い方をせずに端的に言うのなら…フラッシュバックを起こすんだよ」
そもそも璃々愛の場合、母親がら受けていた愛情が普通より大きかったと言うのもある。
父親をなくし、双子の片割れをなくした……璃々愛は…たった一人の家族だったんだから。
「だから…愛情を向けられた璃々愛はその時の悲しみや苦しみを全部思い出してしまった……と」
「そうだよ……だから…これが警告。璃々愛に、愛情を向けないで」
どれだけそれが美しく、素晴らしいことでも今は駄目……璃々愛もボクも…まだ、忘れていた過去を全て受け止められるほど大人じゃないんだ。
「特に言葉は駄目だよ。言葉には力があるから…思いを言葉にしたそれは璃々愛には重すぎる」
「……分かったと、言うほか方法はないんだな……」
「ない…少なくとも今は……ごめん…」
「いや、寧ろ教えてくれた事は本当によかった。俺の言葉でリリアを傷つけずにすんだのだから……」
「でも…どうするの?結果的にリリアちゃんは今傷ついてるよ、彼の言葉でね」
そうだ、ボクの役目はまだ残っている。
「大丈夫、ボクはその為に出てきたんだから」
「どうにか出来るのか?」
「どうにかするもしないも、ボク以外には出来ないよ」
大丈夫…璃々愛の為ならきっと出来る……
「そうだ…君達には賭の賞品をわたさなくちゃね」
「賭?」
「ボクの中で賭をしてたんだよ。もし…君達が璃々愛が璃々愛でないことに気がついたのなら見せようってね」
ボクはそう言ってゆっくりとこの書斎を歩き始めた。
ボクがここに来た理由はひとつ。ここにあることをボクも知っていたからだ。
そして、一番奥の本棚の前に立ち止まってそれを取り出す。
真っ赤な表紙と金色の陣。
「『memory』」
かつて、璃々愛が紫色の魔術師からもらった友達からのプレゼント。
この本は、記憶を形にして見せる。
「ボクの記憶は璃々愛の記憶だ。だから…君達に見せよう」
璃々愛の全てを。
ボクはそっとその本を閉じたまま表紙を額に当てる。
もし…彼らが璃々愛が璃々愛でないことに気づかなければボクがこれを読むつもりだった。
でも…彼らなら、少し任せてみたくなったんだ……
そして全ての記憶を入れ終える。
「これは…リリアの……」
「全部だよ。璃々愛が璃々愛である由来。知りたいと思うのなら開けばいいよ」
「……」
そっと彼に『memory』を手渡す。
すると、静かな空気を壊すように、突拍子もない言葉が飛んできた。
「じゃあアルト。俺は帰るよ」
「はぁっ!?帰るってどういう事だ、エル!」
「帰るっていうか、俺は見ないよ。それを見るのはお前の役目だし」
「役目って……」
「好きなんでしょ?」
「っ!?エル――!」
「なんにしろ、好きになったんなら真っ直ぐ見つめて、見つけてやるのがお前のやるべき事だろ?だから…さっさと立ち向かってこい、アルト」
彼はもう一度『memory』の表紙を見つめ、そして真っ直ぐにボク達を見つめた。
「……あぁ。必ず、見つけてくる。本当のリリアを」
そうして、『memory』は、全ての記憶は、語り出す。
※
「それで?君はどうするの?」
「んー?どうするっていうか、アルトがどうにかするでしょ。あれでも決めたら真っ直ぐな奴だから」
「……」
本当に…飄々として、食えない奴だ……
「しかし、君の賭けは些か簡単すぎない?」
「普通は簡単じゃないよ。今回は相手が普通じゃなかっただけだ。まぁ…あの猫にはバレてたみたいだけど……」
「……猫…ねぇ」
「警戒はしてたんだよ、あの魔術師は心を視る魔術師だから。ボクが視られるかもって」
そして…あの演習の日。ボクは璃々愛の危なさに思わず声を上げてしまった。
そして読まれた。
「でも…もう関係ないよ」
ボクの役目は終わった。
あとは、今度こそ必ず璃々愛を救うことだけ。それを果たせば……
「ボクはもう、消えるんだから」




